三度目の実戦へ

「しかし……本当に大きい湖じゃのー」

 隣にいる少女、フィルミナが湖面に目を向けつつ呟く。


 彼女も今は旅装として、袖のない外套――えんじ色のクローク――を纏っている。中には黒を基調として赤いフリルを飾った大人っぽいワンピース、出会った時に着ていたものだ。

 このワンピースには特殊な魔術がかかっているらしい。

 以前大人の姿に合わせて、自動でサイズ調整されたことからも分かる。他にもかなり丈夫らしく、「下手な甲冑よりも頑丈じゃ」と言っていた。



「こうして旅客船が定期的に出るくらいだからね。湖でこんなにのんびり船旅なんて、世界広しと言えどここくらいじゃないかな?」

 こっちも湖……正確には夕焼けを見つつ答える。


 受け答えた自分も用意した旅装に身を包んでいる。頑丈さと動きやすさ重視で、なるべく色の濃いものを選ぶようにした。

 濃い色を多くした理由に深い意味はない。汚れが目立ちにくいからだ。

 あとは腰に多目的用の山刀と護身用の短剣を下げている。



 湖畔の町『アモル』から出航して数時間、すでに朝も昼も過ぎ去っていた。

 当初は静かで広大な湖を進む様を楽しみ、フィルミナと共にこの蒸気船の仕組みや船内のことで話していたが、今は二人並んで何も考えずに湖を眺めている。

 暇を潰すのもそろそろ限界に来ていた。



「のう、セスよ」

「なに?」

 手持無沙汰に、腰から下げている短剣の柄に手を置きながら答える。


「今更じゃが、本当に王都ではなく『学術都市』でよかったのかのう?」

 そう、自分たちは王都に向かわずに、西部近くにある『学術都市エコール』に向かっている。その名の通り様々な研究機関があるだけでなく、王国最大の大図書館もある。

 王国の首都である『王都アウトリタ』にも負けないほどの情報が期待できる。


「その方がいいよ。『はぐれ龍』を単独で討伐したから、王都でも結構騒ぎになっていると思う。同じ情報を集めるのでも、多少遠出して『学術都市』に向かった方がいい」

 たしかに髪も目の色も違うが、それでも自分のことがバレる可能性はある。幸いにも表向きに手配されたりはしていないようだが、油断しないに越したことはない。

 あそこでその厄介事が起きると、自分とフィルミナだけじゃなくアモルの人たちまで巻き込む可能性が高い。


「うむ、お主がそういうなら信じよう」

 相変わらずフィルミナは湖に目を向けたままだ。


 フィルミナの封印の副作用……いや、『呪い』を解く。

 そのためにはまず様々な情報が必要と思い、今回の『学術都市』行きとなった。いったいどのような封印か、それ以前に鬼を封じるとはどんなものか、そもそもどれほど前にあった出来事なのか……

 挙げればキリがないほど、不明確なことだらけである。


 それらを少しでも埋めていく、今の当面の目的はそうなっている。



 『血の落日』に関しては、フィルミナの『呪い』を調べている途中に何か分かればいい、その程度に考えていた。


 理由は二つ。

 一つ目は自分たちが調べなくても、王国の上層部やらが調べるだろうから。

 二つ目はフィルミナ自身が、「あー……後で構わんぞ」と言ったから。


 ……たしか『血の落日』は、フィルミナが気になるって言った気がしたんだけど。



 ちら、と夕日から彼女に視線を送ると、大きな欠伸をしていた。

 これはこれで平和でいいか……そう思ったが、フィルミナが弾かれたように空を見上げた。


「フィルミナ? なにかあった?」

「……来るぞ」


 フィルミナの視線を追うと、空に大きな『何か』がいた。

 その『何か』が下りてくるに連れ、どんどん大きさと正体が露わになっていく。


「……あれ、『龍』か?」

「……」


 尚も近づくにつれ、その『龍』は自分が戦った『はぐれ龍』とは桁違いだとわかる。

 大きさだけではない。

 荘厳にして神々しく、華麗にして力強い。

 そんな言葉が霞むくらい、夕焼けを浴びた白と銀の『龍』は圧倒的だった。他の乗客や船員が、騒がずに見惚れてしまうくらいに。


 長く流麗な体躯、翼はない。その身体に負けない立派な腕。

 全身が白銀の龍鱗と体毛で覆われている。

 細長い髭が二本、頭にも二本の立派な角を携えている。



「『しろがね』か……」

 フィルミナが呟くのが聞こえた。


「それって……南東の大高地にいるっていう伝説の龍だろ?」

 こちらの問いに答えない彼女から、再び『しろがね』と呼ばれた『龍』に目を移す。

 いつの間にかその『龍』は、船と並走するように空を泳いでいた。


 銀の瞳が、こちらを……『フィルミナ』を捕らえた。

 その瞬間、口元が笑みの形を作った気がする。


 そして挨拶をするかのように、船を追い越し空へと向かって消えていく。


 『龍』が消えていった方向、湖の水平線に浮かぶように船着き場と宿場町の影が見え始めてきた。

 ようやく、他の乗客や船員が騒ぎ始める。



「セスよ……船が着いてから、行くところが出来た。宿は取れんぞ?」

「わかった」


 すでに日も暮れ始めている。

 上陸する頃には夜の帳が下りているだろう。





「こちらです! 皆様落ち着いて誘導に従ってください!」

 荷物を背負い、船に掛けられた渡り階段に向かう時にすでにそれが聞こえていた。白いセイラー服を着た船乗りたちが、船から降りる乗船客を誘導している。


 何があったか聞きたいけど……


 ただでさえ忙しそうな状況、今船乗りさんに聞いて教えてくれるか?

 『後で説明します! 今は誘導に従ってください!』と言われるのがオチな気がする。どうにかして……



「すまぬ、何があったのじゃ?」

 フィルミナが何の躊躇もなく船乗りに質問していた。


「お嬢ちゃん、良い子だから……」

「こっちにいる儂の相方、こう見えても腕が立つ。もしも荒事なら手伝えるぞ?」

「………このお兄さんかい?」

 船乗りが俺を見るが、お世辞にも力になれるようには見えないだろう。身長はそこそこあるが、体型は特段鍛えられているわけじゃない。

 何より、顔つきがどう見ても荒事向きじゃない。


 毎朝鏡を見るのだ。そのくらいの自覚はある。



「こう見えて下位の魔物は物の数ではない。儂を守りつつ今日まで旅を出来ているのが証拠じゃ」

 うーん、流石というか何というか……あしらわれる前にしっかりと会話の主導権を握っていく。


「有難いけど……今はもっと厄介なんだ。結構有名な冒険者も前線に立ってる」

「……となると、『はぐれ龍』かの?」

 小声で指摘するフィルミナ、俺と船乗りさん以外に届かない声だ。

 だがそれは図星だったようで、船乗りの表情がそれを証明している。


「おそらく……先の白い巨龍、あれに驚いてこちらに来てしまったのではないか?」


 船乗りが右、左、右と確認した後に屈んで、

「……その通り、魔物だけじゃなくて『はぐれ龍』まで来てる。厄介な状況さ」

 小声でフィルミナにだけ届くように話しかけた。


 鬼の自分もしっかりとそれを捕らえる。


 船着きの宿場町、ここはさほど大きくはない。

 湖畔の町『アモル』と学術都市『エコール』を繋ぐ拠点としては有能だが、王都からは遠いため、アモルと比べると知れている。

 そうなると……


「セスよ、船を降りてから暫しはお主に任せる」

「フィルミナ……」

「ただし、儂を置いていくな。この身体ではお主に付いていけん」


 フィルミナからの気遣いを受け取り、自分がやるべきことを確認する。

 力になれるなら、何かできるなら、俺はそれをする。





 船から降り、船乗りの誘導に従う。

 ……ように見せかけ、気付かれないように反対方向に駆け出す。


 鬼の瞬発力と脚力を最大限に生かし、魔物やはぐれ龍を食い止めているであろう戦場――結界の境界線――を目指す。


「しかし……『龍帝』だっけ? 自分が動くとどんな影響が出るかって考えないのか?」

「あやつは『龍の皇帝』じゃ。だからこそ、この状況でも自然でいるのじゃ」

 自分が抱きかかえている少女、フィルミナに一度だけ視線を向ける。


「知性も理性もない『はぐれ龍』とは言え龍、在るがままに生き、在るがままに死すべしということじゃ。ここであやつがそれを否定し人を庇えば、それは『龍』より『人』を優先するということになってしまう」


「かと言って『はぐれ龍』を理由に、あやつの自由を侵害する権利は誰にもない。しかし責任は果たしておる。『龍』と『人』……その共存を考えておるからこそ、大高地で同族をまとめて静かに暮らしているのじゃろう」



 ……なんとなくわかった。


「つまり……共存のために話の分かるやつはまとめるけど、わからないやつは放っておく。何か諍いがあれば当人同士がどうにかしろ、てことか?」


「まあ、そんなところじゃ」


 ちょっとは龍と人の差を……いや、考えても変に手を出せないか。

 余計に話が拗れそうだからな!


 その言葉を飲み込むかのように、足を踏み出す。





 そして戦場――宿場町の境界線に着く。

 町の外には十数体の魔物の死骸が転がっている。大半が四足歩行のウルフと、黒い翼に鋭い嘴と爪を持つクロウである。他にはでっぷりとした体形を持ったオークの死骸も、四体ほど確認できた。

 こいつらを全滅させているだけで……さらに死傷者がいない時点で、相当な実力者が戦っているであろうことがわかる。


 それらが彩る戦場に『はぐれ龍』が三匹、踊っている。

 二匹はアモルで自分も戦った、緑色の龍鱗を持って空を舞うワイバーン。

 残る一匹は、龍鱗をさらに硬質化した黄土色の甲を全身に纏うシールドドラゴン。


 冒険者や旅人らしき人達が相手にしているが、旗色はあまりよくない。龍そのものが強力なのもあるが、魔物との戦いで疲弊しているのもあるのだろう。

 特にシールドドラゴンを相手にしている赤毛の人……一人でシールドドラゴンの相手をしている。すごいとは思うが、どう見ても限界だ。

 さらに境界線の内側……石積みの塀の中には負傷者が何人も控えていた。人手自体が不足している。


 純粋に戦力が足りないのだ。



 心臓の鼓動が緊張で早くなる。

 実戦はこれで三回目、まだまだヒヨッコでしかない。


 だが自分自身も必死に努力し続けた。

 教えられたままではなく、知恵を絞り一人でも反芻し、ひたすらに鍛錬した。特に仕事がなくなった五日間、その間は自分の汗が水溜りを作る程に鍛錬し続けたのだ。

 そして寝る前、フィルミナに「授業料じゃ」と言わんばかりに血を吸われて倒れるように眠る。


 ……ミミちゃんの遊び相手が、一番楽で気が休まった五日間だったな。



「フィルミナ……」

「何も言うでない、暫し任せるといったであろう?」

 頷き、背に負った荷物を預ける。


「うむ、思い切りやってくるがよい!」

 その言葉で心臓の鼓動が落ち着いてくる……俺のことを信じて、戦場に出ることを許してくれた。


 今日までの指導、絶対に裏切るものか。

 その決意と共に、旅装の上着に着いたフードを被る。

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