4-12 智奈の哀哭
呆然と沈黙する、霈念のいなくなったその場。
智奈、能利、ラオは霧亜を囲むようにしゃがみこんでいる。霧亜は、汚れや傷も消えて、本当にその場に寝ているようにしか見えない。
「いやあ、ただいま」
陽気な様子で、霈念は元の位置に帰ってきた。
「ラオも、一緒にいてくれてありがとうな。今、政府の監獄に潜り込んで、お父さんだけ盗んでお家に返してやったから」
「えっ……え?」
ラオは信じられない様子でぱちくりと目を瞬かせ、霈念を見つめる。
「これ終わったら、ちゃんと家に帰れよ。母ちゃん心配してるぞ」
霈念の言葉に、ラオはこくこくと頭を縦に振る。
「すごいじゃないか! 子供らの願いを叶えてやって、まるで神のようだな」
いつの間にか、白虎の背に寝転んで待っていたロクリュが、楽しそうに空に向かって拍手をする。
「時間を少し止められても、
霈念の視線に、玄武は鼻から冷気のような息を吐き出す。
「いい思い出を持ってたからな。見せてやって、その場に放り込めば暴れだすだろうと思ったが、娘に止められて残念だ。魔術師最強と呼ばれる人間が暴れる姿を見てみたかったが、その娘もかなり才能があるじゃないか。あんなにめちゃくちゃにできて」
全て嫌味に聞こえる玄武の言葉。
四神の最後の試練も、トラウマや、嫌な記憶を見せられるものだった。今までの青龍や朱雀と違って、性根が悪い。
「お前たちは、こうなるように今日まで遊んでいたんだろう?
霧亜に聞いたことがあった。百年前に、この世界が滅亡しそうになった時の英雄の名、鋭牙。この世界の滅亡を救う時に使われた封印の力というのが、四神の力だったというのか。
あははとロクリュは声をあげる。
「そんなに神を悪者にしたいかね。人間とはやはり面白い生き物よ」
獣の咆哮が周囲に響き渡る。地面が揺れ、腹に重くのしかかる声。鼓膜が破れそうなほどで、智奈は耳を塞いだ。
「図に乗るな、人間。自分たちが主役とでも思ってるのか」
玄武が、息を荒らげながら、冷気を鼻や口から振り撒いて怒声を吐き散らす。
「いやいや玄武よ、人間は皆主役。我らより短く生死を繰り返す。ドラマなくして何が人生か」
白虎の背中に寝転がるロクリュは、可愛らしく両手に顎を乗せ、まるでテレビの中の子役のような、完璧な笑顔を見せる。
「さあ、霈念とやら。そろそろ神々の我慢も切れそうだ。あきのちなへ渡すもの渡して、こちらに来い」
霈念はふわふわの栗色の頭をかく。
「神様には敵わねえな」
ため息をつくと、霈念は黒いコートの懐から日本刀のような刀を二本取り出した。侍の持つ刀だったら、黒いコートから、はみ出ているはずだ。智奈の知る刀より、少し短い。
「これは、弥那の形見だ。使わない方がありがたい、が、弥那の子だからなあ」
霈念は空を見上げ、にやりと笑う。
「霧亜に、この刀の使い方のメモを渡してる。簡単には扱えないからな。それで、誰かに、刀を教えてもらうといい」
智奈は、二本の刀を受け取った。ずっしりと重い。持ち手の部分には包帯のような布でぐるぐる巻きに巻かれ、鞘は真っ黒で少し薄汚れている。
「最期に、俺の願い叶えてくれるか?」
にやっと口角をあげた霈念は、自分を指差す。
「パパと結婚するって言って」
こんな時に、この人は何を言っているのか。
そう思うのと裏腹に、霈念の「さいご」という言葉が重く智奈にのしかかった。
「パ……お父さんと、結婚する」
顔の見れなかった智奈は、下を向きながら、父の願望を叶える。
霈念は照れ臭そうに笑うと、智奈を抱きしめる。智奈が恥ずかしくなるほど長く抱き締め、ゆっくりと離れると、深く青い瞳の父親は、智奈の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ありがとう。冥土の土産だ」
霈念はそう言って、黒いコートを脱ぐと、横たわる霧亜の上にかけた。
「こーのコートも、直すのに時間かかったんだぞー。あいつらとの戦闘でボロボロになっちまって」
しゃがんで、ぽんぽんと、霧亜の胸に手を置く。
息を吸い込むと、霈念は立ち上がり、しっかりとした足取りで四神の前に向かっていく。
「待って!」
智奈は叫んだ。
霈念は振り返り、にっと笑う。
「智奈、お前は母さんの強い心を受け継いでる。だから、霧亜をよろしくな」
智奈には、何も言わせないような、霈念の言葉。
霈念が四神と向き合い、両手を広げる。
「さあ、この命で息子を生き返らせてくれ」
「最強と謳われた魔術師も、これで終わりか」
ロクリュの言葉に、霈念は肩を震わせた。
「
「人間らしい。わあは好きだぞ」
ロクリュは四神の光から出来た宝珠を指で弾く。それは霈念の胸を突き抜け、ブーメランのようにロクリュの手元へ戻っていく。
霈念の体の力がフッと抜けた。
倒れる父親の身体を支えにいこうと、駆け寄る。
身体が軽かった。
一瞬で近くに移動して、霈念を支えることに成功する。
霈念の身体も、とても軽かった。
ロクリュは白虎からすたりと降り、歩いて智奈と霈念を通り過ぎ、霧亜に近付く。
霧亜の顎を持ち上げ、霈念を貫いた小さな宝珠を、開いた口の中に転がし入れた。
智奈は、腕の中で動かなくなった、安らかな霈念の顔を見つめる。地に横たわっていた霧亜と、よく似ていた。
また、眉間がぎゅっと詰まる感覚。目頭が痛くなって、目の前の霈念の顔が霞んで見えなくなっていく。
一度瞬きをすると、目の中の水分が流れ落ち、霈念の頬へと落ちる。
立っていられなくなった智奈は、膝を落として、霈念を抱きしめ、嗚咽を繰り返した。もう、絶対に、あの深く綺麗な瞳を見ることはない。
「霧亜!」
ラオと能利の声。
「智奈、どうした? 親父がどうかしたのか?」
智奈の肩に触れる、まだ少し冷たい手。
智奈が顔をあげると、霧亜はぎょっとした顔を見せる。
「どうした? 顔がくしゃくしゃだぞ」
霧亜はしゃがみ込み、智奈の目を黒いパーカーの袖で拭う。
「ばかあ」
智奈は泣いた。
大きな声で、泣いた。
まだ温かく、段々と冷たくなっていく父親を膝に。
まだ冷たく、段々と温かくなっていく兄の胸の中で。
智奈の呼んだ雷雲が、晴れていく。
雲間の一つの穴から、夕日のような、紅の光が差し込んでいた。
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