1-2 智奈の対敵

 更に先に進むと、アズが突然震え出した。

「旦那あ、入れてもらってもいいですかい」

「なんだよ、雷怖いのは女子だけじゃなかったのか?」

「雷は大丈夫っす。ただ、やっぱここ何かいますよ。威圧されてる感じがして立ってられないっす」

 もそもそと、アズは霧亜のパーカーの中に潜り込む。首元から顔を出すアズは、なんとも愛らしい組み合わせになる。


 ナゴを見ると、ナゴは顔をふるふると横に振った。

「あたしは大丈夫よ、もう雷聞こえないから。きっと、青竜に威圧されてんのよ。あの子あたしより若いからね」

 お姉様が言うのなら、それは安心だ。

「霧亜、ナゴは大丈夫みたい」


 顔を上げる。


 そこに、お兄様の姿はなかった。

「霧亜?」


 辺りを見回しても、白い髪の少年の姿はない。


 ナゴは智奈の腕からすたりと降り、辺りを見回す。

「匂いはする。けど見えないわ」


 急に、耳を塞がれている違和感が智奈を襲う。ナゴでさえも、遠くに感じられる。

「霧亜! 霧亜!」

「智奈落ち着いて、大丈夫よ。霧亜はどこかにいるから」

 パニックに陥る智奈をなだめようと、ナゴが顔を擦り寄せてくる。


 目頭が熱くなってきた。

 辺りの森が、どんんどん閉塞的に見えてくる。ここに、自分が一人だけになってしまった感覚に陥る。


 がさごそと、木の奥から物音がした。

 飛び上がって、その場から後ずさる。


 木の裏から顔を出したのは、この森では完全に異質の姿だった。

 智奈よりもずっと小さな少女だ。オレンジに輝く長い髪の毛を二つに結き、クリクリの大きな丸い目が、智奈をはたと捉える。この森に似つかわしくない、ふわふわの衣装のようなワンピースを着ている。


 智奈は、驚きで声が出せなかった。


「あなた、あきのちな?」

 溌剌とした高い声で突然名前を聞かれ、智奈は動けない。


 そう、私は光谷智奈じゃなくて、こっちでは暁乃智奈だ。


「あなた、あきのちな?」

 もう一度、少女の声は森に木霊する。


 智奈はゆっくりとかぶりを振った。


「あきのちな、いたよー!」

 雷鳴の後に続き、少女は森一帯に響くほどの声量で叫んだ。

 森の鳥たちが、一斉に飛び立つ音が遠く聞こえる。


 少女の叫声に恐れを抱き、智奈は動くことができなかった。


「あら、思わぬ遭遇ね」

 いつの間にか、少女の両隣に男女が立っていた。


 女は、長い布で頭を隠し、目だけが見えている。布面積が少なく、すらりと長い生足が露出し、裸足で地を踏み締めている。

 男は、旅人のような格好でマントを羽織っている。腰には二重のベルトで、様々な色の小瓶がずらりと並んでいる。


「こんな子供が依頼の子なの? 随分ひ弱そうだけど」

 女はオレンジ色の少女の頭を撫でながら言う。

 オレンジの少女は頭を撫でられ、嬉しそうに女の後ろに隠れた。


「いくら子供でも、依頼に変わりはない」

 男が、憐れみの目を智奈に向ける。


 一体何のことかわからなかった。ただ、この人達に、智奈への敵意があることは、よわい十一の智奈でもわかった。


「じゃあ、せっかく作ったし、毒で死んでもらいましょうか」


 言うと、女は自分の足元に小瓶のようなものを投げつけた。煙がもわりと上がり、男と女、そして少女の姿が見えなくなる。


「智奈!」

 手に小さな痛みが走った。


 目の前が黒くなると、智奈は何かに担ぎあげられ、猛スピードで森の中を疾走していた。疾走が段々と緩やかになり、やがて智奈は地面におろされる。

 智奈を抱えていたのはナゴだった。いつの間にか大きく獣化している。

 手のひらを見ると、噛み傷があった。


 ナゴは、どしんと音を立てて地面に横たわる。


「ナゴ?」

 両手いっぱいのナゴの顔を抱きしめると、ナゴは上がる息で呼吸が上手くできていないようだった。

「ナゴどうしたの?」


 聞いても、ナゴは返事ができそうにない。

 ナゴの体のあちこちを触ると、右側の脇腹に違和感を感じた。


「触っちゃ、だめ」

 たどたどしいナゴの言いつけを守らずに、智奈はナゴの毛の間に手を滑り込ませる。ぬるりとした感触があり、見るとそこが血だらけになり、肉片が手にまとわりついてきた。


「いたっ」

 ナゴを触った手が、ビリビリと針に刺されたような、焼けただれるような、経験した事の無い痛みに襲われる。


 ナゴは霞む息を整え、大きな目で智奈を見た。

「毒よ。智奈、逃げなさい。霧亜を探すの」


 痛さで、涙が零れた。涙で潤み、ナゴがよく見えなくなる。

 どうして手がこんなに痛いのか、理解が追いつかない。手首から、取れてなくなってしまいそうなほどの激痛に耐えられない。


「ナゴ……」

 息ができなくなった。吸っても吸っても、空気が取り込めない。体を起こしていられなくなり、ナゴにもたれかかる。


 どうして? なんで?


 再び足音がした。


 もう、後ろを振り返る気力もない。手が動かない。身体が、どっしりとしたおもしに身を潰されているような気分だった。身体が全く動かない。

 痛みの続く手を誰かに持ち上げられた。痛みで呻いても、身体が動かない。


 高いところから声がする。

「解毒の調合をしてくれ」

「なんであたしが」


 辺りがぼうと黄色く光ったような気がした。

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