3-5 智奈と四神の調停者
ナゴとアズの目的地である『ロウの家』は、装束店のようだった。
犬の鳴き声が聞こえ、上を見上げると二階の窓に大型犬がいるのが見えた。シベリアンハスキーや、アラスカンマラミュートにも似た、冬の景色の合いそうな長毛。柄がなく灰色一色の犬だ。
店の中は、以前お母さんに、クレープを食べるのに一度連れて行ってもらい、洋服を買ってもらった、原宿のアパレルブランドのようだった。洋服屋の中に、第一の世界ではなさそうな、ローブやマント、武器を仕舞うためのベルトなどが揃っている。
店の外には、マントを着る人がよく歩いている。この世界では旅や遠出をする人はよく着るらしい。普通の服にはない魔術をかけているらしく、汚れにくく寒暖差も調節してくれる便利グッズだそうだ。
奥の店番に立つ少年が、まん丸の目を見開いて、がたりと椅子から立ち上がった。
黒髪短髪に四角い黒縁メガネ、真面目な野球部主将というイメージ。人懐こそうな印象だ。
「帰ってきたのか」
野球部主将に、霧亜は笑いかけた。
「ただいま」
「霧亜だー!」
先程の犬が二階からどたばたと下がってきた、旺盛な声色の犬は引きちぎれそうなほど、ふさふさの尻尾を左右に振って霧亜にのしかかった。
霧亜は支えきれずに後ろに倒れる。
それを好機とべろべろに顔を舐められている。ピンと立った耳に鼻は長く、狼のようにも見える。そのまま智奈が背中に乗っても問題なさそうなくらい大きい大型犬だ。
「相変わらず口くっせえな、お前は」
霧亜も犬の頭や体をこれでもかというほどぐしゃぐしゃに撫で回している。
「雄の友情ってよくわかんないわ」
ナゴが智奈の首元でため息をついた。
「おばさんは?」
一通り雄の友情を確かめ合った霧亜は、少年を見る。
「ショーロに買い付けに行ってる」
と、少年は智奈に目を向けた。芸能人にでも会ったかのように顔を輝かせ、こちらに近付いてくる。智奈と目が合うように、少し屈んだ。
「君が智奈ちゃん? はじめまして。霧亜と同じ魔術学校に通ってた、ロウです。霧亜から智奈ちゃんのことは聞いてるよ」
会釈をすると、ロウはにこりと笑った。
「ロウ、飯しよ」
霧亜がロウに夕飯をねだると、ロウは嬉しそうに返事をした。
店の二階に上がる。家の中に葉の蔦が登っている、温室かと見間違えるほどの観葉植物の多い二階は、乱雑に様々な柄の布が広がっていた。
「試作品めちゃくちゃ作ってたから、汚くてごめん」
ロウはテーブルの上に置いてある布を両腕で全て床に落とす。
キッチンにある寸胴の鍋を温め、出てきたのはカレーだった。この世界にも、カレーはあるのか。手際良く三人分の料理を用意し、テーブルにつく。
「いつ帰ってきたんだ」
「ついさっき」
「早かったな。もっと時間かかるかと思った」
「ヤクザの魔術師にナイフで脇腹刺されて、智奈と一緒にビルから落ちたから仕方なく」
ロウは目を丸くして、本当か? と言いたげに智奈を見てくる。嘘だったらどんなにいいか、しかし一言一句本当だ。
「お前、これからどうするの。智奈ちゃんと帰ってこれたはいいけど、何か仕事するのか?」
「お前は?」
「今は家を継ぐ方向だけど」
霧亜は首を傾げた。
「だけど?」
ロウは、すくったカレーをじっと見つめ、口に運ぶ。しっかりと噛んで飲み込むと、智奈と霧亜を交互に見る。
「見廻になりたいんだ」
見廻とは、第一の世界の警察のような立場の人たちだと聞いた。サダンの言っていた、智奈や霧亜のような力の抜かれていない混血は、見廻に見つかると力を抜かれてしまう、という言葉。
智奈たちの存在は在ってはならないのだ。法律に違反している。それを取り締まるのが、見廻だ。
霧亜は面食らった様にロウの告白の言葉を見つめ続けるように動かない。
「お前らを捕まえたいわけじゃない。むしろ逆。混血の制度を直したいんだ。混血の疎まれない世界にしたい」
ロウの目は真剣だった。嘘をついていたり、茶化しているような表情ではないことは、出会って数分の智奈でもわかった。
警察の代わりであるこの世界の見廻。
霧亜はにやりと笑った。
「お前、いつか見廻よりもっと偉くなんないとオレ達は守らんねえぞ」
ロウも霧亜と同じ顔をする。
「元からそのつもりだ」
「オレは、旅に出る」
唐突に兄様は言った。
ロウのスプーンが止まった。
智奈は、バックパッカーとヒッチハイクを思い出しつつスプーンを進める。でも、この世界ヒッチハイクするような車はなさそうだ。
「旅?」
ロウが固まったまま霧亜に尋ねた。
「四神の調停者。暁乃一族の仕事なんだ」
智奈からしたら、わけのわからない話を霧亜とロウがしているだけだが、ロウは動揺を隠しきれないといった状態だった。同じ立場に立って話を聞いてあげれないのが申し訳ない。
「どういうことだ。四神って、伝説だろ」
そうであって欲しいと願うかのようなロウの言葉。
霧亜は首を横に振った。
「オレが親父に教えこまれた事の、数少ない一つ。四神の調停者をやり遂げる」
「あれは想像上のもので、教科書に載ってた、四神の、調停者って、ええ、あの、ええ」
ロウの口から、ボキャブラリーゼロの言葉しか出てこない。余程驚いているようだが、智奈は何がそんなに驚くことなのかわからなかった。
いつの間にか、智奈はロウより先にカレーを食べ終わっている。とりあえず話が読めないと訴えるために霧亜に目を向ける。
霧亜はこちらの視線をキャッチしたかと思うと突然誓約のような言葉を発した。
「お前、この世界を色々見てみたいって言ったよな?」
ナゴを抱っこして、そんなことを言って無くはない。
嘘をつけないような状況に追い込まれる。智奈は頷いた。
霧亜は計算高そうな嫌味な顔をする。
「じゃあ、見せてやるよ。オレについてきたらな」
そんな格好よく言われても、やっぱり意味がわからない。
「危険じゃないのか? 魔術もろくに出来ない智奈ちゃんを連れてなんて。別の暁乃一族がやるんじゃダメなのか?」
ロウが割って入ってきた。
確かに魔術なんてできない。ナゴも大きくできなかったし。
霧亜はいつも胸に提げている六芒星のペンダントを引っ張ってみせた。
「これが四神の調停者の証だ。暁乃一族の色んなやつに渡って、ペンダントが調停者を決める。ガキの頃にオレはペンダントに選ばれたんだ。やるっきゃない」
ロウは反論をやめた。
今がチャンスと、もう一度智奈は話を詳しく教えてほしそうな目を霧亜に向けてみる。親友の説得を終えた霧亜は、やっと智奈の目の訴えに応えてくれた。
「この世界の伝説の一つに、『四神』の伝説があるんだ」
東西南北を司る聖獣で、東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武が存在し、この四神がこの世界を守り納めているという。
智奈も、この四神の名前は聞いたことがあった。よくアニメやゲームなどに出てくるので覚えていた。
その伝説の聖獣が、実際に存在するという点で、まずロウは驚いているようだった。智奈はナゴやアズ、ガルカンの時点で驚きは頂点に達したのでさして再び驚くことは無い。
「調停者って?」
なんだか響きだけは重々しい。
「四神は、百年に一度四神のうちどれかが代替わりをするんだ。その代替わりの儀式を遂行して、無事儀式の成功を見守るのが、調停者。暁乃一族の代々行われてきた仕事なんだ。魔術師では暁乃一族。体術師では河冷一族がこの仕事を担ってる」
「その、調停者を霧亜がやらなきゃいけないってこと?」
智奈は話に入っている証のため、相槌を打ってみる。
霧亜は頷いた。
「ただ、調停者にも、四神のうちどの聖獣が代替わりをするのかわかんないんだ。百年前は自分の一族じゃないやつが調停者だしな。だから、四神のいるところに逐一確認しに行って儀式を行わなきゃいけないんだ」
世界を見て回るにはもってこいの仕事だということだ。
「それで、四神に気に入られることができれば、願いを叶えてくれるっていう伝説もある」
だから、すぐに智奈が元の世界に戻りたければ、戻れるかもしれないのだ。
「その話、妹の智奈ちゃんはいいだろうけど、俺も聞いちゃって平気な話なのか?」
ロウの言葉に霧亜は口をきゅっと真一文字に結んだ。
「正直、本当は一緒に行って欲しかったんだけど、家の仕事と勉強があるもんな。ロウが周りに言わなきゃいい話だ」
ロウは面食らったようにカレーを咀嚼する口を止めた。飲み込むと、くすりと笑う。
「うん、一緒にはいけないけど、バックアップは手厚くするよ」
霧亜は次に智奈に目を向ける。
「オレは四神のところに行って仕事をするから、智奈は世界旅行を楽しんでくれってこと」
そういうと、霧亜はすっと目を伏せた。
「多分一年くらいかけてこの仕事をするから、四神に気に入られなくても、オレが成人したら、戻るかどうか考えて」
この世界も楽しそうだが、まだ智奈にとっては元の世界にいた時の思い出が多い。だが一年間はこの世界にいるしかない。家に残って霧亜を一年待っても、また家で一人待つだけだ。
「サダンの無理難題な条件で一年潰すより、いいだろ」
霧亜が言うと、ロウも声をあげて笑う。
「サダン先生の条件は、マジで無理だからな。霧亜がすごいよ」
どうせ帰れないなら、旅行に連れて行ってもらう方が楽しそうだ。
「わかっ、た。一緒に行く」
霧亜は希望を携えた満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、準備しよう。早速出発だ」
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