1-6 霧亜と虐め

———— Kiria



「霧亜遅刻しないでよね、あたし日直だから先出るからね!」

 智奈の可愛らしい声が、オレの寝起きの頭の上から降ってくる。


 智奈と衝撃的再会を果たした次の日。

 まだ恥ずかしいらしく、兄妹水入らずの登校はできなかった。

 また今度ね! と、先に家を出て行ってしまった妹の、なんと可愛いことか。

 兄妹らしいことなんてわかんねえけど、ちゃんと、こいつを守ってやりたいという、親心というか、兄心は芽生えた気がする。


暁乃あきの様、如何ですか、第一の世界は。いい子じゃないですか、妹さんでしたっけ」

 姿はないが、部屋の中から若い男の声がした。

「書類、書いていただけました?」

 その声に、オレはもぞもぞと自分の荷物から一枚の書類を引っ張り出す。『第一日本東京都渋谷区神山町第五ポート』と書かれたその書類。他にも、オレの色々な個人情報を書き込んだ書類は、オレが差し出すとするりと空中に消えた。


「ありがとうございます。それにしても、その歳で親なしの入世したのは、あなたが初めてかもしれません」

 姿のない声は言う。

「まあ、オレ天才だからな。サダンからの褒美だ」

 オレは鼻を鳴らす。


「そうですよ。サダン様の許可でこちらも仕方なく。全く、サダン様は君に甘いというか……」

 長そうな小言は聞きたくない。耳に指を突っ込んで聞こえないふりを見せると、姿のない声は軽いため息をつく。


「髪も目も、元の暁乃さまよりは日本っぽいですけど、珍しい色にしましたね。原宿とか、都会にはいますけど、その歳だとこの世界はなかなかいないですよ。ハーフって呼ばれそうです」

 長々と早口で喋る声に、オレはため息をつく。

「あんた、向こうのオタク?」

「好きじゃなかったら、第一だいいち入世にゅうせい管理局には入ってないですよ」

 このオタク。というオレの暴言は無視し、姿なき声は続ける。

「では暁乃様、お帰りの日時は決まっておりませんから、お帰りの際はまたこちらの書類でよろしくお願いいたします。貴重な転移用紙ですから、なくさないように」


 オレの目の前に、ふわりと真っ白な書類が現れる。

 姿なき声は気配を消した。



 まあなんとか、智奈にオレの事を信じてもらえたんだろう。昨日色々話したし、なにしろ、他の誰にも話したことの無い、両親の事を聞かせてくれたのは、智奈がオレを信用してくれたという意味だと思う。


 と、智奈を第二の世界から迎えにきたことは確かだけど、すぐに腕引っ張って連れて帰るなんて、非情なことは流石にしない。

 智奈にだって、こっちの生活があるのはわかってる。


 わざわざこっちの学校に、色々な大人が頑張ってくれて、この学校に編入できたのも、ある程度の期間はこっちで智奈と生活を共にして、納得して向こうの世界に来てもらうためだ。

 だって、オレ今年十四だし。ギリギリなんだよな、十四の男子が小学六年生に混じるの。頭抜けてでかいのだって当たり前だ。



 智奈と同居できた次の日。転校二日目。


 体育の授業でオレのクラスは三階からぞろぞろとグラウンドへ移動していた。やることは五十メートル走らしい。

 隣を歩く康太は、自分は去年より確実に早くなっているだろうと意気揚々と歩いていた。

 この学校に来て一番に仲良くなった康太。智奈と学校で初めて会った時に隣にいたやつだ。こいつのおかげで、この学校にオレが馴染むのも早かった。


 オレが五十メートル走で本気を出したら、この世界だと小学生にして大人の日本新記録が確定しちまう。周りの速さを見て調節することに専念しなければならない。


 オレと智奈は、魔術師の父親と、体術師の母親を持つ。だから、どっちの力も使えるんだ。体術師の足の速さは、走ったら車と競えるくらいの力を持ってる。


 康太に、何秒なのか探りを入れて階段を降りようとした時だ。


 ふいに、背中を押された。

 前につんのめり、頭が早めに階段へ落下しそうになる。

 体をひねって、押された場所を確認する。驚きの顔をした康太の後ろに、栗木の姿が見える。切れ長の目はしっかりとオレを捉え、ぎんとした野生動物のように睨みつけている。


 多くの生徒から注意喚起される噂の一つ。

 この学校で勢力をふるっているのが、栗木壮介くりき そうすけというヤンキーらしい。

 栗木とはクラスが違うが、彼の耳にはもうオレの噂は届いてるだろう。家がヤクザだとか、暴力沙汰が絶えないとか、先生たちも怖がってる始末。

 思っていたより早いご挨拶のようだ。悪目立ちする転校生は粛清か。

 暴力的ヤンキーの割には陰湿なことをする。もう少し堂々と決闘とか果たし状とかにワクワクしてたんだけど、今の時代はツッパリってやつとは違うらしい。


 普通の人間だったら、階段の上から落ちたら大怪我だっただろう。が、痛いのはオレはいやだ。といって魔術でどうにかするには人の目がありすぎた。


 第一の世界への入世にゅうせいについての注意。

『第二の世界の人間であると、悟られるなかれ』


 オレは栗木を見るために身体を捻ったことを利用し、階段の途中に両手をしっかりとつき、バク宙の要領で、一つ下の階へしっかりと着地した。

 一瞬の間が空く。

 突然の一般人離れした技を見せられて周りの生徒はポカンと口を開けていた。

 オレはとりあえず、体操選手の競技終了ポーズをとってみる。

 わあっと拍手喝采が起こり、四方八方から大丈夫? 怪我はない? の言葉の嵐だった。


 魔術は流石に見せられないけど、少しの体術なら、運動神経がいいで終われる。


 大丈夫、怪我はない。を返しつつ、落とされた階段の上を見るが、もう栗木の姿はなかった。

 次の体育では、みんな五十メートル走そっちのけでバク転やバク宙を見せて欲しいの騒ぎで、落ち着けるのに先生も大変そうだった。

 バク転を見せてしまったオレも悪いけど、あのまま落ちて怪我するのも面倒だし。こっちの世界じゃ骨折は治るのに相当時間かかるんだろ?


 まあ、これで栗木がオレに集中して目をつけてくれて、他の生徒に危害が及ばなくなれば一番いいけど。さすがに、一般人に暴行を受けるつもりはさらさらないのでオレに問題はない。



 その後数日、男にしてはみみっちい陰湿ないじめがオレに多発した。

 例えば有名だそうな、

 机がグラウンドに事件。

 頭上から鉢植え事件。

 トイレで水被り事件。

 オレの上履き、体操着が紛失事件。

 おお、あるある知ってるー! と叫びたくなった。第二の世界で、第一の世界のアニメとかドラマ、よく見てたから、むしろ嬉しかったのが正しい。

 にしても、全部誰がやってんのかわからない。栗木の顔が見えたのは、階段の一件だけだった。


 帰りに、日直の康太を待って校門で女子に囲まれてた時だ。

 女子の後ろから、おそらくオレに向かって野球バッドが飛んでくるのが見えた。オレは女子をかき分けるようとするが、壁が厚すぎてキャッチはできなかった。といってこの人の視線、空中で止めるのも難しい。

 バッドが後頭部に当たりそうになった女子の腕を引き、間一髪でバッドは、ガードしたオレの腕に当たる。かなりの打撲音がそこに響いた。


 からんとバッドは地面に落ちる。

 女子の悲鳴があがった。


 オレはバッドを拾い上げて飛んできた方向を見据える。

 いた。階段から落ちた事件以降、やっと姿が見えた。

 職員室に続く廊下に、仁王立ちの栗木と、後ろに小さな女子。いつも、栗木と一緒にいる菅野かんのもも子という女子らしい。

 オレは女子の壁から脱出して、バッドを放って栗木に返した。

「野球に誘いたいならちゃんと『暁乃野球しようぜー』って言え、遊んでやるから!」

 オレの声に、栗木は小動物のようにびくっと身体を震わせ、顔をくしゃくしゃにして、走り去っていく。菅野は、投げられたバッドを抱えて慌てて栗木を追いかけていった。


 なんだか噂より、だいぶ小心者にオレは見えた。



 そんなこんな、転校早々虐めの続く日々が、一週間くらい続いた。

 栗木の陰湿な虐め以外は、順調そのもの。智奈との同居生活も順調。栗木の話をしたら心配してたが、オレがなんとかする、で押し通した。


 その一週間の間も、栗木からの熱烈アプローチは続いてた。

 もう、逆になんでこいつはここまでオレにこだわるのか興味が湧いてきて、学校で栗木を見かける度に話しかけるようになった。

 が、栗木はすばしっこく、話しかけるとすぐにどこかへ走り去ってしまうおかげで、栗木からの陰湿熱烈アプローチは増加した。


 何はともあれ、栗木の目は完全にオレにターゲット捕捉したようで、周りの被害が減ったらしい。まあ、ならよかった。


 そう思っていたが、オレの考えなかった方向に栗木は目をつけていたらしい。

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