6-1
*
あたしたちはスノーモービルに乗せられて、陸に着くやストレッチャーに寝かされ、待っていた救急車に担ぎ込まれた。しばらく走って病院に到着し、検査やら問診を受けてベッドに寝かされると、そのまま眠りに落ちてしまった。
夢なんか見なかった。
次に目覚めた時、目の前には知らない天井があった。目に映る何もかもがクリーム色で、薬のにおいがした。病院のベッドに寝かされているらしいことはすぐにわかった。眠る前に見た光景が全て本当に起こったことなのだと、それでようやく実感した。
そこが根室の病院だと教えてくれたのは、病室に入ってきた背広姿の中年男だった。
彼は見舞客ではなく、事情聴取に来たのだとも言った。そのくせ、警察の人間ではないのだという。まあ口止めされてるし、話しても大して面白くないから詳しくは省くけど、決して短くはない時間、退屈なやり取りに付き合わされた。
事の顛末(潜水艦のことや雀蜂のようなヘリが撃ってきたことなど、なんやかんや)についても聞かされたけど、こちらも誰かに教えたくなるような愉快な話じゃなかった。あたしたちとは別の世界で生きている連中同士が席に着き、作り笑いを浮かべながらテーブルの下では互いの足を蹴り合っているというような、そういう話だ。
とにかく、あたしたちには何のお咎めもないとのことだけはわかった。今回の件を口外さえしなければ、という注釈付きだったけど。
「今まで通りの普通の暮らしがしたければ、口を閉ざしていた方がいい」背広の男は、指で眼鏡を押し上げながら言った。「尤も、言ったところで誰も信じはしないだろうがね」
あたしはそっぽを向き、窓の外を眺めた。
何でもよかった。
とにかく、あたしたちは生きていた。
*
色々な大人たちに色々な形で怒られた。
永遠に続くかと思われた数日に渡る一通りの〈処理〉が終わって、僕はようやく自由な時間を与えられた。
怪我といえば擦り傷ぐらいだったけど、気持ちが疲れきっていてベッドを出る気になれなかった。
そんな風に窓の外に広がるオホーツク海をぼんやり外を見ていたら、ある時、廊下の方が俄に騒がしくなった。何だろうと顔を向けた時には既に、病院着姿の綾瀬さんがこちらへやって来るところだった。
僕は間抜けにも、彼女に挨拶しようとした。
けれど(いや、至極当然なのだけど)彼女は僕の胸ぐらを掴むと、そのまま僕をベッドへ押し付けた。更にベッドの上へよじ上ってきて、僕に馬乗りになった。
胸元がねじ上げられる。
苦しかったけど、抵抗する気は起きなかった。
入り口の方で誰かが怒鳴る。それを遮るように、綾瀬さんは言った。
「あんたの辛さなんて、あたしには欠片もわからないかもしれないけどさ」
僕を睨む、釣り目気味の眼差し。胸ぐらだけでなく心臓まで掴まれている気がした。
「……大変なんだぞ、すごく……人間一人産むっていうのは……好きなものだって我慢しなきゃいけないし」彼女の瞳を、光が過ぎった。
何も言えなかった。
「……でも……それでも、会いたいから、我慢出来るんだ……」
頬に、何か落ちてきた。
雨、なわけがないのは初めからわかっていた。
「……そういう気持ちの元に生まれてきたんだってことを、忘れちゃ駄目だ」
僕は抱き絞められる。綾瀬さんの長く柔らかい髪が、顔に掛かる。花のにおいが微かに香った気がした。
誰かにこんなことをされたのはいつぶりだろう、と考えた。
こうやって、ここにいることを肯定してもらったのは。
顔の奥の方で、温かさが広がった。
堪える間もなく目の前の景色が霞み、熱さが止めどなく頬を伝った。
僕は言った。
「ごめんなさい」
僕を締め付ける力が、一層強くなった。
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