5-13
*
記憶が繋がらない。
けど、今はゆっくり考えている暇はなさそうだ。
僕は綾瀬さんに言われるままシートベルトを外し、車を降りる。見渡す限りの真っ白な平原。靄でぼやけた太陽。ここが天国と言われても信じてしまいそうだ。
「バカ!」
襟首を掴まれ、引き倒される。綾瀬さんは僕を、車の影に引きずり込む。何かから隠れるように。さっきから頭の上で響いている、ヘリコプターの音と関係しているのかもしれない。
「一か八か、警察の勤勉さに賭けたいね」言いながら綾瀬さんは赤い筒の、キャップのような部分を取った。そしてその筒を、二メートルほど前に放り投げた。
氷の上に転がった筒は、光を発しながら白い煙を上げ始める。
彼女が望んでいることは、何となく察しがついた。一はヘリコプターに見つかることで、八は煙を見た別の誰かがやって来ることなのだろう。そして僕らにとって有益なのは、後者のようだった。
「綾瀬さん」吹き渡る風に流されていく煙を見ながら、僕は言う。「すみませんでした、こんなことになってしまって」
「ホントだよ」綾瀬さんは、筒を見つめたまま言った。「このまま死んだら、地獄へ道連れにしてやる」
「地獄に落ちるような心当たりがあるんですか?」
「あるよ、たくさん」それから、声の調子を落とし、「これから減らすつもりだったんだ」
お腹に手を充てている彼女を見て、僕は唇を噛んだ。
プロペラの音が近くなってきた。綾瀬さんは僕の頭を押さえ付け、自身も蹲る。
氷が砕け、金属の爆ぜる音が響く。機関銃。
拡声器越しに何か言われるけど、音割れが激しくて何を言っているかはわからない。宇宙人に話し掛けられているみたいだ。
「怖いだろ」鳴り続ける破壊の音の向こうで、綾瀬さんが言った。「あたしは怖いよ」
嘘ではなさそうだった。
「怖いです」僕は答える。そして気付く。
僕は生きているのだ、と。
やがて、プロペラの音とは別に、駆動する機械の音が聞こえてきた。
顔を上げると、雪原の彼方から雪を巻き上げながら走ってくるスノーモービルが見えた。それも一台ではなく四台も。
「助かった」綾瀬さんが呟いた。
僕も同じ気持ちだった。
車の向こうで、ヘリコプターの音が遠ざかっていく。厄介事から逃げていくような慌ただしさが感じられた。
四台のスノーモービルは、僕たちを取り囲んだ。四台ともしっかりと防寒対策をとった重装備の運転手が乗っていた。その内の一人は、昨日ゲートの所に立っていた警察官だとわかった。
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