5-9
誰もいない幹線道路を、あたしとハンプティ・ダンプティは駆け抜けた。
一穂を追うには、これしかなかった。
何の根拠もないけれど、絶対にもう一度、彼に会える気がしてならなかった。
というより、会わなきゃいけないのだった。
たしかにあたしには、あの子が負った傷を癒やすことも出来なければ、その深さを完全に理解することだって出来ない。同じ痛みを共有することも、身代わりになることも不可能だった。
だけど。
だけど一つだけ、彼に伝えられることがあった。
どんな理由があったって、問答無用で曲げちゃいけないルールがこの世にはあるってこと。
それを言うのに資格も何も必要ない。
「あってたまるか!」あたしはハンドルを握る手に力を込めた。
見覚えのある交差点を殆どドリフトしながら曲がると、ゲートが見えてきた。バーが一本下ろされた傍らで、警官が一人欠伸をしながら立っていた。
まさか、小型車が一台、猛スピードで突っ込んでくるとは考えてもいなかったのだろう。だからこちらに気付いた時も、ただただ立ち尽くすしかなかったに違いない。あたしとしては、変に飛び出して来られることもなくて助かった。
白と赤で塗り分けられたバーが鉄製だったらどうしようなどとは、砕けた破片が飛んでいくまで頭に浮かばなかった。同じように、エンジンが焼き付いたら、ベルトが千切れたら、タイヤが破裂したら、ということは一度も考えはしなかった。そんなことは起こらないのだと思うことさえしなかった。
ハンプティは走るのが当たり前で、一穂は見つかるのが当然だった。それ以外の結末なんて、あたしの中には存在しなかった。
*
父さんの船に乗ったのはこれで二度目だ。こんな形で二度目が来るなんて思わなかったけど。
何もかもが凍り付いている。雪と氷の世界。
父さんが、最期を迎えた場所。
「来たよ、父さん」僕の声は、やけに大きく響いた。
答えはない。僕の口から出た白い息を、風が攫っていっただけだ。
庇から垂れる氷柱を除けながら、操舵室に入る。シートに座ったけど、当然ながら、そこに父さんがいた形跡は残っていない。
目の前の窓には氷が張り、光が射し込むだけで何も見えない。けど、ステンドグラスのような神々しさも感じられる。最後に見る光景としては、これ以上ないシチュエーションなのかもしれない。
「あれから色々なことがあって、色々なことが変わったよ」僕は言う。父さんに向けて。
「僕には、あんまり良いことじゃなかったけどね」
海上を吹き渡る風の音が、ビュウビュウと響く。
隣に置いたリュックから、水と瓶を取り出す。瓶の中身は母さんが使っていた睡眠薬だ。
「こんなことすると、父さんは怒るかもしれないけど」
でも。
「僕にはもう、歩いて行く勇気がないんだ。このまま先には、行きたくない」
瓶の蓋は固く閉ざされていた。手袋を外し、力を込めて回す。内側から誰かが押さえている気さえしたけど、僕の根気の方が勝った。
錠剤を掌に開ける。文字通り山のような量を。バラバラと、何粒かが下に落ちた。
これが臆病者の選択であることは、僕だって理解している。
だけど、頭でわかっていることを心が受け入れられないということが、この世の中には往々にしてある。僕はこの五年間で、それを痛感した。
必要なのは、誰かの善意じゃない。
何かが欲しいわけでも、何かをしてもらいたいわけでもない。
では自分を内側から変えられるかといえば、それも出来ない。
これは弱さだ。わかっている。
わかっているけど、どうしようもないのだ。弱さを抱え続ける強さすら、僕は持っていない。
だから、こんな方法しか思いつかないんだ。
「ごめんなさい……」僕は謝る。父さんに、母さんに。それから、綾瀬さんにも。
手が震え、錠剤がポロポロと足下の雪に落ちていく。原因は、体の芯から凍りつきそうな寒さだけではないようだ。
震えを止める方法は、一つしかない。
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