5-3

 レストランは営業していない筈だったけど、テレビが点いていた。全ての椅子がテーブルに上げられた中、二脚だけは下ろされ、そのうちの片方に男が座っていた。

 入り口に背を向けた男は、テレビを見ながら缶コーヒーを飲んでいた。その背中に近付いていくと、不意に相手が振り向いた。正面の締め切った硝子戸にこちらの姿が反射していたのかもしれないけど、そんなことはどうでも良かった。

「やあ」奴――加賀谷は笑った。「久しぶりといっても、まだ三日も経っていないけど」

 促されるまま、あたしは奴の向かいに座った。

「何か飲むかい? といって、こんな粗末な物しかないけれど」

 黒縁の眼鏡を光らせながら、加賀谷は問うてくる。いつもはきっちり分けている髪は、筋が数本額に垂れている。服は三日前と同じ。幽霊が死んだ時の姿で地獄の底から戻ってきたという感じの風体だった。

「『どうしてここが?』って顔をしているね」コーヒーの缶を弄びながら、加賀谷は異様なまでに整った歯を見せた。「さっきから黙ったままだけど、いい加減、声を聞かせてくれないか。それとも何かい。僕がここにいるのが、そんなに不思議かい? いや、ここに来たというよりは生きていることが、かな?」

「前者だよ」あたしは声を絞り出した。「別に殺すつもりはなかった。だから、驚いた理由は前者」

「そうかい」加賀谷はクツクツと笑い出した。いつもの笑い方だ。「僕はてっきり殺されたのかと思ったんだけどね。目を覚ました時、まだ事務所のベッドにいるのが信じられなかったよ」

「自分のことがニュースになってるって、知ってた?」

「ああ、知っているとも。麻里子には可哀想な思いをさせてしまった。大事な体だから、これ以上心配を掛けたくない。もうすぐ二人目が生まれるんだ。だから僕は、早く用事を済ませて家に帰りたい」

 あたしはテーブルの下で、拳を握りしめた。

「時間が勿体ないので本題に入ろう」加賀谷はテーブルに両肘を突いた。「君が盗み出した僕の作品、あれを残らず返してもらおう。あの中には進行中のプロジェクトのデータも入っているんだ」

 予想通りの言葉。まさか彼があたしと話し合いをするために七蘂までやって来たとは、さすがに考えていなかった。だから失望なんて感情は少しも湧かなかった。むしろ、乾いた笑いがこみ上げてきたぐらいだ。

 笑いはいつの間にか、外へ漏れ出ていたらしい。

「何がおかしい?」

「いやだって、あれはあたしの作品だし」

「世に出したのは僕だ」

「あたしのアイデアを元にして、ね」

 加賀谷の眼鏡が真っ白に光った。

「思い上がるなよ」奴は言った。何かを必死に押さえ付けているのが、声の震えから察せられた。「たかだかニュークラ嬢の落書きが、そのまま評価されるわけがないだろう」

 ニュークラっていうのはキャバクラのこと。

 それはまあ良いとして、奴の言葉はあたしの中の触れちゃいけないスイッチをいくつか押した。既にこれまでの間にも押されていたわけだけど、最後に残っていた数個まで全部押されきってしまった。後はもう、爆発へのカウントダウンが始まるだけだった。

 そんなこととは知る由もない加賀谷は続ける。

「まあ、百歩譲ってインスパイアされたことは認めよう。だが、それだけだ。それ以上のことはない。作品が認められたのは僕の実力だ」

「たしかにね」あたしは言った。「たしかに、あんたの実力だわ。あんたは他人の物を盗む力に長けている」

 青筋を立ててこちらを睨んでくる男を眺めながら、こいつのどこに魅力を感じたのかと考える。残念だけど、めぼしい答えは見つからなかった。もちろん、彼ばかりを責めるわけにはいかない。こんな男に一瞬でも心を許したあたしにだって、当然非はある。

 弱っていたのだ、あの時のあたしは。

 けどそれは、言い訳をして良い理由にはならないだろう。少なくとも、ここでの弁明には使えないと思う。

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