4-5
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言ってから、後悔の味が口の中に広がった。けれど今更引き返せない。
「部外者が口を挟んで悪いんだけど、それはちょっとどうかと思うよ」
予想通り、尖った眼差しがこちらを向いた。よく見ると、泪も湛えている。あまり彼女を責めたくはなかったけど、かといって一穂が一方的にやられるのを見過ごす気にもなれなかった。
「この子、家出してきたんだ」あたしは言った。なるべく柔らかい口調になるよう意識して。「札幌でバスのチケット失くして、歩いてここまで来ようとしてたんだよ。途中、警察に補導されそうになったり、山道で体調崩したり、朝早くから牧場の手伝いさせられたりしてもさ。そこまでしても七蘂に来たかったんだよ」
桃香と呼ばれた女の子は黙ったままあたしを睨み続けた。
「あたしには詳しい事情はわからない。けどさ、あんたがどうしようも出来なかったように、この子だって自分の意志だけじゃどうしようも出来なかったんじゃないかな」
「綾瀬さん、もういいです」一穂がそっと割り込んできた。
「よくないよ。ちゃんとほんとのこと知ってもらわないと」
「そんなこと……」女の子が言った。「わかってます……今更他人に言われなくても」
声が震えていた。
「お姉ちゃーん」店の奥から小学生ぐらいの女の子が顔を覗かせる。体にバスタオルを巻いただけという大胆な格好は、見ようによってはこの店の普段の客足を物語っていた。
「梨理!」
女将さんが窘めると、女の子は慌てて引っ込んだ。
桃香もまた、踵を返し奥へと去って行った。目元を手で拭っていたのは、たぶん見間違いではないだろう。奥からは荒々しく階段を駆け上がっていく音と、妹の子が何か大声で言っているのが聞こえてきた。それもすぐに止んだけど。
一穂は相変わらず俯いたままだった。さすがに千キロカロリーは酷だと思い、最低ラインを五百キロカロリーまで引き下げようとした。
その時だった。
九時前に五分ぐらい流れる、北海道のローカルニュースの音が耳に引っ掛かった。特定の単語に網を張っていたのだ。
『――行方不明となっているのは札幌市中央区のデザイナー・
息を呑んだ。頭を鈍器で殴りつけられた気分だった。目の前の一穂はもちろん心配だけど、人のことばかりに気を回していられるほどあたしは大層な身分ではない。そんなことを思い出させられた気がした。
やがて運ばれてきたオススメの鍋焼きうどんはたしかに美味しかった。先行きに転がる様々な不安を、一時的にだけど忘れることが出来た。
勘定を済ませ、あたしたちは店を出た。宿へ向けて歩いていると、一穂が足を止めた。
「すみません。先に戻ってて下さい」
それまでの経緯を見ていて、「はいそうですか」と戻れる筈がない。
「あたしも行く」
「でも、寒いですし……お腹の子に良くないですよ」
「この子があんたから離れるなって報せてくるの。内側から蹴って」
実際はまだ、本当にいるのかも疑わしいぐらい小さかったから、「蹴った」というのは嘘。だけど、虫の報せのようなものがあったのは確かだ。あ、虫って言っちゃダメだね。
こちらの嘘を見抜いたのかどうかは知らないけど、一穂は観念したように溜息を吐いた。
「少し、歩きますよ?」
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