4-2
*
車は緩やかな坂を下っていき、市街地に入る。
主要な道は除雪されていて、歩道に腰上くらいの雪の壁が出来ている。どの建物も屋根に分厚い雪を湛え、およそ水が垂れそうな所には漏れなく氷柱が伸びている。商店はほとんどがシャッターを下ろし、歩いている人の姿もない。時折軽トラックやミニバンなんかが泥を撥ね飛ばしながら現れては、小道を曲がって建物の間へと消えていく。どの車も窓が曇っていて、まるで人など乗っていないようだった。
この五年間、テレビで何度か目にすることのあった街並み。画面の中では全くの別世界に見えていたけど、こうして実際に来てみると、やはり僕の知っている街だ。
だからこそ残酷なのだ。
街はこの五年間、本当に氷漬けにされたまま時を停めていたのだ。
「一穂」
綾瀬さんの声でハッとする。
「大丈夫?」
「大丈夫です」僕は首を振る。
綾瀬さんはそれ以上、何も言わなかった。
七蘂で最初に見た人間は、警察官だった。肉襦袢みたいなダウンジャケットを着込み、ずんぐりむっくりした体型に、ネックウォーマーで口元を覆って耳当てまでしているという、万全の防寒対策を彼は施していた。
赤い誘導用の棒を横にして、完全防備の警官は車の前方に立ちはだかった。
「この先は立入禁止だよ」綾瀬さんが下ろした運転席側の窓で、警官がネックウォーマーから口を覗かせて言った。言葉には訛りがある。
「バスターミナルって、この先じゃないんですか?」綾瀬さんが言った。僕のナビでここまで来たのだ。
「新しいのは向こう。旧町役場の所。この道戻って、交差点を左ね」
「どうも」綾瀬さんは窓を閉め、車を方向転換させる。
「すみません」僕は言った。
「一穂は何にも悪くないでしょ」綾瀬さんは前を向いたまま言った。
何も変わっていないのに、ここは確実に僕がいた七蘂ではない。そう考えると、体の底から寒気が昇ってきた。僕の帰る場所なんて、もうこの世のどこにもないのだと、誰かに教えられているような気がした。
*
周囲からは頭一つ飛び抜けた、四階建ての建物が旧役場らしかった。今は使われていないようで、どの窓も暗かった。
その足下の、元は駐車場だったらしいスペースが「バスターミナル」になっていた。
といって、あたしたちが着いた時には一台のバスも停まっていなかった。停留所の標識が一本と、傍に待合室と思しきプレハブ小屋が一棟あるだけで、そうと聞いてこなければそこがバスターミナルだとはいつまで経っても気付けそうにないような場所だった。
「お父さん、何時に来るの? 一緒に待ってるよ」あたしは車を停め、運転席を出た。
「もうすぐ来ます。なので大丈夫です」一穂は後部座席から自分の荷物を抜き出して、背負った。「本当に、ありがとうございました」
真っ直ぐ見つめられたら、何も言えなくなってしまった。
あたしは小さく咳払いして声を整えた。
「風邪、引かないようにね」
「綾瀬さんも。あんまりここにいると、お腹の子に良くないですよ」
「ありがと」
それからあたしたちは、短い別れを述べ合った。
呆気ないようにも感じたけど、別れなんてこんなものだとも思った。小説や映画じゃあるまいし、行きずりで出会った同士の旅が終わる時なんてそうそうドラマチックなものでもない。
まあ、全く寂しくなかったといえば、嘘になるけど。
問題はこの後。
こちらが立ち去らなければ、一穂はいつまでも外に立っていそうだったので、あたしは運転席に戻った。
アイドリングしていると思っていたけど、エンジンは停まっていた。
多分、無意識に切ったのだろうと思い、キーを回す。呻くような喘ぐような音がするけど、エンジンは掛からない。もう一度試すけど、結果は同じだった。
「あれ?」
三度目、四度目もまた然り。
あたしは思わず顔を上げた。
フロントガラスの向こうに立つ、つい今し方、今生の別れ(に等しいもの)を交わした少年と目が合った。
彼は口を半開きにしてこちらを見ていた。たぶんあたしも、同じ顔をしていた。
「あははは……」取り敢えず笑ってみた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます