3-5

   *


 いつの間にか眠ってしまっていた。

 灯りを点けようと蛍光灯から垂れた紐に手を伸ばす。ふと、カーテンを閉めていない窓の向こうに広がる夜空が目に入ってきた。あたしは起き上がり、窓辺に立って空を眺めた。結構長い時間、そうしていた気がする。溜息を吐き、気付けばお腹に手を充てていた。

 扉がノックされた。母さんか美月かと思ったけど、どこか控えめな音だった。もしやと思いつつ小さく開けると、一穂が立っていた。

「もう起きて平気なの?」あたしはあの子を招き入れながら言った。

「夕飯までご馳走になってしまいました」

 灯りを点けてクッションを床に敷き、座らせた。それ以外、この部屋に人をもてなすような物はなかった。あたしは机の椅子に座った。

 一穂はどこか緊張しているようで、キョロキョロしたいのを押さえているようだった。女の子の部屋に入るのは初めてだったのかもしれない。あたしを「女の子」として見てくれていると思うと、なんだか嬉しくなった。

「出てった時のままなんだ、この部屋」あたしは言った。「何も変わってない」

「綺麗に掃除してありますね」

「勝手に掃除されたみたい」けれど、何かがなくなったり、位置が変わっているようなことはなかった。「いっそ、物置とかになってた方が気が楽だったかも」

「綾瀬さんがいつでも帰ってこられるようにしておいたんじゃないでしょうか」

「どうだか」あたしは肩を竦めた。

「あの、綾瀬さん」一穂は思い詰めた様子で言った。今日二度目の打ち明け話かと思ったけど、昼間とはどこか様子が違った。「本当のことを話してみてはどうでしょうか」

 鼓動が転調したようだった。

「本当のこと?」

 一穂には話していない筈だった。いや、この時点では奴以外の誰にも話しはしていなかった。

 無意識のうちに仕草に出ていたのだろうか。それとも自分で思っている以上に見た目でわかるのだろうか。あたしはあれこれ考えを巡らせた。すると一穂がこちらの眼をじっと覗き込みながら、更に言葉を続けた。

「一人っきりで抱え込むのはよくないですよ。家族に打ち明けるだけでも、きっと少しは楽になる筈です」

 この子は気付いているのだ。あたしは観念した。

「敵わないな、一穂には。いつわかったの?」

「お米を後部座席に乗せた時です。トランクに入れなかったのが気になって」

「そんなことでバレたのか」

 すると一穂は肩を竦めた。あたしの言葉がそうさせたのは間違いなかった。だけどあの子はすぐにそれを引っ込めた。

「やはり札幌で、ですか?」

「そ。付き合ってた男とね」あたしは言った。「付き合ってるとあたしが勝手に思ってただけだけど。向こうは全然本気じゃなかったみたい。まあ、あたしも冷静じゃなかったんだね、今考えると」

「冷静でいられる方がどうかしてますよ。僕なら頭が真っ白になるかもしれない」

「でも、後悔はしてないよ。そりゃ、その男のことは今でも憎いけど、あたしにも得るものはあったわけだし」

「綾瀬さん……」一穂は哀しげな眼を向けてきた。

「別に強がりじゃないよ。ほんとにほんと。あたしは全然後悔してない。むしろ、前に進むためには必要なことだったって思ってる」

「そうかもしれないですけど」あの子は見てられない、とばかりに目を伏せた。「その、どうやってやったかって訊いてもいいですか?」

「へ?」素っ頓狂な声を出してしまった。「ど、ど、どうやってっていうのは?」

「相手の人をどのような状態にしたのか、です」

「どのような状態にっていうか……」随分と踏み込んできた質問に不意を打たれ、あたしは狼狽えまくっていた。「普通……だよ。そういうのでよくあるような感じ」

「首を絞めたり」

「そこまではしないかな」

「薬を盛るとか」

「それは別の機会にやったけど」札幌を出る時だ。奴のグラスに睡眠薬を混ぜ入れ、昏睡させた。本当は不在時を狙ってもよかったんだけど、奴を足止めして時間を稼ぎたかったのだ。結果、思惑通りに事は進み、この時点ではまだ追い掛けてきている気配はなかった。

 と、ここまで考えて、あたしははたと思った。

 もしかして一穂とあたしの論点はズレてやしないかしらん、と。

「あのさ、一つ質問」あたしは小さく手を挙げた。「もしかしてあたしのこと、人殺しだと思ってる?」

「違うんですか?」

「違うよ」

「じゃあ未遂……」

「でもないよ」いや、厳密には薬で眠らせた時点でそうなるのかもしれない。けど結果的に相手は元気だとわかったわけだから、君には大目に見てほしい。「なるほど、そういう勘違いをしてたわけね」

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