3-2

 再び走り出してしばらくすると、きついカーブは緩やかになっていき、その数も段々と減っていった。木々の間隔も広くなり、やがてフロントガラスの向こうに広がる平野が見えてきた。

 十勝平野。

 懐かしいという気持ちより先に、胃の強張りの方を感じた。あまり長居はしたくない場所だった。

 市街地に入り、最初に見付けたセコマで車を駐めた。一穂は助手席で、蒼い顔のまま目を瞑っていた。あたしは店に入り、水とポカリスエットと冷えピタ、それから小腹が空いた時のためのパンと、サイドミラー補修用のガムテープを買って車へ戻った。

「一穂?」

 呼び掛けると、苦しさで潤んだ眼差しがこちらを向いた。あたしはあの子の額に冷えピタを貼ってやった。

「すみません……」

「いいよ。急ぐ旅でもないし」少なくともあたしはそうだった。「しばらくここで休もう」

 一穂は頷き、瞼を閉じた。

 あの子が回復するまで、どのぐらい掛かるかわからなかった。昨日も車中泊だったし、今夜はちゃんと布団で寝かせたい。そうなると、街で宿を取ることも視野に入れなくてはならなかった。知り合いに会うかもしれないから全然気が進まなかったけど。

 嫌だと思っていることについて考えていると、そこへ繋がる出来事が起こる。完全に感覚の話でしかないけれど、あたしは強くそう感じる。自然の摂理なんじゃないかとさえ思う。もっとスピリチュアルな引力が働いていると言われても、疑える自信はない。急に何だと思ったかもしれないけど、そういうことを考えなければならない事態が起きたのだ。本当に、突然に。

「あれ!?」

 ミラーの補修を終え、店の前のベンチに座り、ホームランバーを食べながらスマホをいじっていたあたしは、それが自分に向けて発せられた声だとは気付かなかった。次の瞬間までは。

「おねえ!? お姉だよね!?」

 聞き覚えのある声。顔を上げると、二年ぶりに見る妹の姿があった。

美月みつき……」あたしは咥えていたホームランバーを落とした。そんなリアクションは漫画の中だけだと思っていたけど、現実でも起こり得るのだと思い知らされた。自らの行いによって。

「すごい! 何でいるの!? 何やってんの、こんな所で!? え、え、札幌は!?」

 驚きは直ちに引いていき、面倒臭さが押し寄せた。他人のフリをして逃げようかと半ば本気で考えていると、ケータイのシャッター音が聞こえてきた。見れば美月がスマホに親指を走らせていた。嫌な予感がしないわけがなかった。

「おい……」

「今、おかあにLINEしたから」美月は満面の笑みで言った。「これからうちに帰るんでしょ?」

「いや、帰らな――」

 美月のスマホの着信音が、あたしの言葉に被さった。妹は画面を操作し嬉々として、

「お母も驚いてるよ。夕飯作って待ってるって」

「あのねえ……」

「あ、せんせー」あたしの言葉も聞かず、美月は店から出てきた男に手を振る。

 その先にはジャージ姿の高校生が数人。目の前の美月もまた、緑色のジャージにハーフパンツという出で立ちだった。

「わたし、姉の車で帰りまーす」

「おー、そうかー」

 せんせーは朗らかに言って、あたしの方へ頭を下げた。あたしもつられて会釈した。そうしてあれよあれよという間に、教師と生徒を乗せたバンは走り去ってしまった。

「さ、お姉の車はどれ?」

「『さ』じゃねーよ」あたしは美月を睨んだ。「うちには帰らない。ここにはただ通りすがりに寄っただけ」

「でも、もうわたしの車行っちゃったし」

「知らん。歩いて帰れ」

「えー、行けずー。四十キロはあるよー」言いながら、美月はシルバーのプリウスに近付いていく。「これ?」

 それだったらどんなによかっただろう。

「それともこっち?」

 牛乳会社のロゴが入った軽トラだ。

「牛乳好きが高じてついに……」

「いつの間にあたしは牛乳好きになったんだよ」溜息を吐きつつ、あたしはハンプティの元へ戻った。

「うそ……これ?」美月の声が引き攣った。

 ざまあみろと思う反面、悔しさも湧いてきた。

「文句があるなら四十キロ歩け」

 意識朦朧の中、一穂には後部座席へ移ってもらい、助手席に美月を乗せた。「狭い」「臭い」「ボロい」と文句を垂れる妹を見ていたら、レバーを引けばシートが飛んでいく昔のボンドカーみたいな機能が本気で欲しくなった。

「しかし、なるほどねえ」美月が訳知り顔でウンウン頷いた。

「何が」

「わかったよ、お姉が帰ってきた理由」そう言ってあいつは後部座席に目を向けた。「つまりアレだね、結婚の挨拶だね?」

「バカ」

「いいよー、隠さなくて。この状況見たら、一発でピーンと来ちゃったよ、わたしは」

 田舎者は他に娯楽が少ないから、他人の色恋沙汰に過敏になる。男と女が一人ずついるだけで何でもそこに繋げたがる。異論は認めるけど、あたしはこの説にかなり自信を持っている。

 そんな田舎者の妹は体を捻って、ぐったり眠っている一穂を値踏みするように眺めた。

「結構童顔だねえ。大学生? お姉より年下みたいだけど」

「中学生」

「ちゅ――」絶句。「ととと、都会の中学生は進んでるんだね……」

 さて、ここからどうしたものか。美月の、そしてこの先待ち受ける更に厄介な人物たちの誤解を晴らすためにはそれなりの理由を述べる必要がある。けれども、本当のことを話すと余計面倒なことになりかねない。何か適当な、二人の旅の理由を述べなければ。

 家庭教師とその教え子。勉強に疲れた彼の気分転換に、ドライブ旅行に連れて行く。勿論、保護者の許可付きで――そんなストーリーをあたしは捻り出した。

 助手席で美月が、ブツブツと何やら呟いていた。

「教師と教え子……」

 田舎者の恋愛脳は並大抵のものじゃなかった。

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