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   *


 信号もない、真っ暗な道のり。

 あのコンビニを出てから、もう二時間近く走っていた。周りは、明るかったら畑か牧草地が広がっていたことだろう。街灯の一つも立っていなくて、灯りと言えばハンプティの投げるヘッドライドの円ばかり。こんな所でエンジンが停まりでもしたらと考えると、ちょっとゾッとしなかった。「お願いだから今は頑張って」と愛車に懇願さえした。

 助手席の一穂少年は寝息を立てていた。寝顔だけ見ると女の子のように見えなくもない。スマホで写真を撮ってみたけど、まるで目を覚まさなかった。余程疲れていたのかもしれない。

 かくいうあたしも、大きく欠伸をした。コーヒーは禁止だし、煙草は元々吸わない。ガムだって、カフェインが入っていないものを選ばなきゃいけないけど、それでは意味がない。つまり、この時のあたしの眠気を覚ます手段は地上に存在しなかった。

 どうしようもないと思うと、余計に眠気は確固たる質量を帯びてきた。頭の上に胡座を掻かれている気さえした。

 ここから先は山道になってくる。この状態で行けば、気付いたら谷底――もしくはそのまま気付かないで一生を終えるなんてことだって十分考えられた。それだけは、何としても避けなければならなかった。

 あたしの日頃の行いが良いのか、程なくして道の駅の看板が見えてきた。いくら走ってもコンビニ一つ見当たらず、最悪路肩に停めて仮眠を取ろうと思っていただけに、これは天恵だった。

 真っ暗な駐車場に車を入れ、エンジンを切った。

 くぐもった振動音が聞こえた。

 後ろからだ。あたしは一穂の様子を窺いながらシートベルトを外し、彼のリュックへ手を伸ばした。

 何をしたかって?

 まあ、旅の道連れとして彼を助けてあげたわけよ。

 一仕事終え、あたしは背もたれを倒して仰向けになった。

 お腹を何度か擦っていると、待ち構えていたように眠りがやって来た。今日一日の反省をする暇は、とてもなかった。


   *


 夢を見た。

 そこは小学校の教室で、僕は小学三年生だった。つまり、五年前の出来事だ。

 周りを取り囲む、同級生たちの顔、顔、顔。

 同情ですらない、侮蔑を含んだ「可哀想」と言う声。

 笑い声。

 興味だけはそのままに、向けられる感情は程なくして反転する。

「あいつは七蘂で〈光〉を浴びた」

 根拠のない噂話を耳にした誰かが、そう囁き出す。

「あいつの周りにいたら病気になる」

「あいつの周りにいたら凍らされる」

 机を取り囲んでいた同級生たちは、今度は遠巻きに僕を眺めるようになる。

「あいつは人間じゃない」

「あいつは呪われている」

「あいつは氷の世界から不幸を持ってきた」

 暗転。


 真っ暗闇の奥から、喉を痛めた猪が唸っているような音が聞こえてきた。

 どこかで聞いたことのある音だ。喉を痛めた猪を、どこかで実際に見たのかもしれない。

 いや、違う。

 うっすらと、瞼を上げる。

 途端に、目映い光が溢れ出してくる。

 一度瞼を閉じてから、再度挑戦する。その間も、例の「猪の唸り」は続いている。

 自分が最後にどこで何をしていたのか考える。最も新しい記憶は夜で、たしか車に乗っていた。女の人が運転する車の助手席に。

 思い出すなり、瞼は何の躊躇もなく開かれた。

 果たして僕は小さな車の助手席に座っていた。窓の向こうには見たこともない建物があって、ここがどこだかはわからなかったけど。

 運転席には綾瀬さんが座っていた。

「す、すみません! 僕、助手席なのに……」良い子を演じる余裕もなくしどろもどろになった。

「うん、それは大丈夫なんだけどね」綾瀬さんはハンドルにもたれるような格好で、何かを頑張っていた。声にも力が入っていた。だけどやがて、諦めたように背もたれに寄り掛かった。「車の方が大丈夫じゃないみたい」

 ガス欠で動かなくなった車を、僕は生まれて初めて目にした。

 スマホで調べてみると、最寄りのガソリンスタンドまでは三キロの道のりとのことだった。綾瀬さんがいくら電話を掛けても繋がらず、迎えの車を呼ぶことも出来ない。待っていても仕方がないので、車を運んでいくことになった。つまり、手で押していくのだ。

「ごめんね。まさかエンプティランプが死んでるとは思わなくてさ」運転席の窓から手を突っ込み、ハンドルを操作しながら押す綾瀬さんが言った。

「いえ、これぐらい」僕は後ろから車を押している。

 車の仕組みは詳しく知らないけど、二人で押すと案外簡単に転がり出した。これなら坂道でもない限り、苦労はなさそうだ。

 時折、傍らをトラックや自動車が走り抜けていく。

「まったく……駄目になりそうだったら、早めに言えっての」綾瀬さんが息を切らしながら毒づいた。「駄目になってからじゃ遅いんだよ……こうやって、人にも迷惑を掛ける」

 彼女の言葉の矛先は、今や重荷と成り果てた車に向いている筈だ。だけど、僕は自分が責められているような気分になって、小さく「すみません」と呟いた。もちろん、綾瀬さんの耳には届かなかっただろうけど。

 何台目かに通り過ぎたトラックが、僕らの前方でハザードランプを灯して路肩に停車した。運転席から、頭にタオルを巻いたおじさんが降りてくるのが見えた。

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