第38話 優しさの果て


 和泉が風邪を引いているその頃のガルムレイ・ロウンの城。

 その地下にある『祈りの洞』と呼ばれる場所に、優夜は1人佇んでいた。


 陽の光が僅かにしか入り込まない天然の洞窟。この場所で、彼はしばらく生活してくれとアルムとイズミに言われていた。

 闇落ちの諸症状を浄化するにはこの場所に一定期間待機することが条件とのことで、優夜もそれで治るのであればと了承していた。


 ……しかし、この場所は現代っ子な優夜にはある種の拷問に等しかった。

 なにせ機械文明がない世界だ。スマートフォンも使えなければ、テレビなどの娯楽はない。本当にただの洞窟で座っているだけ。


 それでも彼が発狂せずにここに居座ることが出来るのは、時々現れるオルドレイ・マルス・アルファードの幽霊が話し相手になってくれるからだろう。



『よっ、優夜』


「どうも、オルドレイさん。……ええと、今日は何を?」


『そうだなぁ、今日はどんなことを聞きたい?』


「と、言われてもですね……」



 この世界に来てから1週間が経つ。なおアルム曰く、九重市での時間は3日程度しか経っていないのだそうだ。

 その長いようで短い間に、優夜はオルドレイから様々な話を聞いておいた。神夜の話から始まり、彼が呪われている話、彼の兄ジェニー・ジューニュの話、竜馬たちの話……とにかく、神夜に関わりのある話は全て彼から聞いておいた。


 そのため、8日目となる今日は何を聞けばいいのか考えあぐねていた。大体の話は聞き終えているし、かといってオルドレイと話をしなければ暇で仕方がない。優夜は悩みに悩んで、もう一度神夜――ジェリー・ジューリュの話を聞きたいとオルドレイに告げた。



『前にも話したことを話すと思うけど、それでいいか?』


「はい。暇つぶしはほしいところですから」


『じゃあ、どこから話そうか。ジェリー・ジューリュになる前でもいいか?』


「え、父さんって前とか後とかあるんですか」


『あるある。そもそも、元のアイツのフルネームはジェリー・フォン・ジューニュだ。ジューリュの家に入ったのは6歳の時だからな』


「それは聞いたことなかったですね……」


『おっと、そうだったか?』



 じゃあその話をしてやろうかとオルドレイが優夜の隣に座ると、ジェリー・ジューリュの半生をつらつらと語り始めた。


 ジェリー・フォン・ジューニュ。生まれながらにして7つの呪いを抱えており、《預言者プロフェータ》に選ばれた奇才の子としてレヴァナムルでは讃えられていた。

 しかし彼の生まれた家は《呪術師マーディサオン》の力を受け継ぐことが代々のしきたりなので、別の力を受け継ぐことは許されない。そのため、当時のジューニュ家当主とジューリュ家当主の話し合いにより、ジェリーを養子に出すことで帰結。ジェリー・ジューリュという新たな当主が生まれた。



『まー、昔はジェニーとジェリーと仲良しこよしの双子ってんで、知らないやつはいなかったけどな。何処に行くにしても、てなぁ』


「……え?」



 今のオルドレイの言葉に対し、優夜は違和感を覚えた。

 現在、神夜ジェリーが呪いを受けているのは実兄のジェニーが原因。そして今も彼が苦しめられているのは、ジェニーが闇の種族として存在しているからだ。


 しかしそうなるほどに憎んでいたのであれば、オルドレイが言うようにジェニーがジェリーと一緒にいるなんてことはあり得ないはずでは? という小さな疑問が優夜の中に芽生え始めた。神夜ジェリーがいなくなってから今現在に至るまでに、ジェニー本人に何かが起こらなければ今もこうなっていないのではないかと。



「……あの、オルドレイさん。本当に父さんとジェニー……さんは、仲が良かったんですか?」


『ん? ああ、めちゃくちゃ仲良かったぞ。リンもフォルスもオルチェも、そのへん知ってると思うけど』


「…………。あの、オルドレイさんは――」



 ジェニーが闇の種族であることを知っているのかと尋ねようとしたその時、扉が叩かれる。誰かが来たのだろうと、優夜は扉の前に立ち声を聞く。


 声の主はアルム。どうやら優夜に客が来たようで、話を聞きたいとのこと。通しても構わないかという承諾を得に来たようだ。



「えっと、話って……というか、誰が?」


「会ってみればわかるって言われたんですけれど……優夜さん、アマベルさんとお知り合いだったんですか?」


「アマベル……?」



 名前を聞いてもよくわからないと言った顔をする優夜。顔を見ればわかるかもしれないからと、優夜は客を通すように伝えた。


 アルムが連れてきたのは――以前、寝付けなくて城の外に出た時に出会った男性。優夜はその顔をはっきりと覚えているのか、ああ、と声を上げた。

 しかしアマベルの他にも、目を隠した緑髪の男性がよろよろと降りてくる。彼はアマベルの手をしっかりと握りしめ、落ちても大丈夫なように手すりに手をかけていた。優夜の気配を感じ取った瞬間、口元がキュッと閉まったのだけは見えたがそれ以外の表情は読み取ることが出来なかった。



「え、ええと……」


「改めまして、僕はアマベル・ライジュ。こっちはカサドル・セプテン。キミに会いたくて、アルム様に無理を言ってここまで来たんだ」


「僕に……? ええと、でも僕は今……」


「うん、大丈夫、わかってるよ。闇落ちの症状を治すためにここにいることもね」


「だからアマベル様がお前を見に来たんだぞ。喜べ」


「え、え……??」



 ずずい、とカサドルがアマベルを称賛しながら優夜に差し迫る。ここで見に来なかったらお前は死んでるだの、お前は一生元に戻れないなどと言った脅しをかけるカサドルに対し、アマベルの方はただ優夜の様子が知りたくてきただけだと言う。

 その2人の対比した態度に、思わず後ずさりしてしまった優夜。この2人は本当に大丈夫なのか? とアルムに目線を投げるが、アルムも少々申し訳無さそうな顔をしている。ダメそうだ。


 そんな中、オルドレイがじぃっとアマベルを見つめている。アマベルのことをさほど知らないためか、ある種の警戒をしている様子。

 しかしアマベルは彼の視線に気づいていないのだろう、気にせず優夜の手を取って診察を開始した。



「……うーん、これは……」


「どうでしょうか、アマベルさん。優夜さんは元に戻りますか?」


「うん、まあ元には戻るよ。……ただ、ちょっと今回はアルム様にはご退室頂く必要がある、かなぁ」


「あー……それは、ちょっと難しいかも……」


「だよねぇ。フォンテにはアルム様から離れないようにって言われてるし……」



 現在、アマベルはあるギルドに所属しており、そのギルドマスターの指示によってアルムから離れることは許されていない。指示に従わなかった場合、ギルドマスターより違反の対処が行われるためにあまり無理はできないのだ。

 しかしそれに対して納得いかないのがカサドル。アマベル至上主義な彼にとって、ギルドマスターもアルムもちっぽけなものだろうと言い切った。



「フォンテとこんなチビを気にかける必要なんてあるんですか、アマベル様」


「むっか~~!! なんでこんな口の悪いやつがアマベルさんの従者なんですか~~!!」


「すみませんねぇ、アルム様。昔っからアルム様が嫌いなんですよね、彼」


「なんでだぁ~!!」



 むきゃー! と、お姫様らしくない怒り方で怒るアルムに対し、アマベルも優夜も苦笑を浮かべるぐらいしか出来なかった。


 カサドルとアルムの攻防がしばらく続いた中で、アマベルはこっそりと優夜に耳打ちをする。今回の事件には全て、ベーゼ・シュルトが絡んでいるという話を。



「ベーゼが……?」


「そう。キミのお父さんが狙われるようになった理由も、キミが闇落ちする理由も、全てベーゼが仕組んだことだ。……何が目的なのかは、まだわからないけれど」


「……それを探るために、アマベルさんはここへ?」


「ん? いやいや、そうじゃないよ。……うぅん、そうだなぁ……」



 なんて言えばいいのかなぁ、と小さく呟くアマベル。言葉を選ばないと誤解が広がるだろうし、かと言って簡略して伝えると理解が難しいだろうからと、丁寧に言葉を選んでいる様子が見て取れた。


 そして悩んだ末、アマベルはアルムにも聞こえないほどの声で、優夜に自分の素性を明かす。

 ――闇の種族・最上級眷属であることを。



「……っ……?!」


「これ、アルム様には内緒なんだ。僕とカサドルならば、キミのその症状を完全に除去できるんだけど……アルム様に見られると、ちょっと困るんだよね」


「……それは、彼女が王女という立場だから?」


「それもあるんだけど、ちょっとね」



 苦笑を浮かべたアマベルは優夜から離れると、アルムにどうにかこの場を抜けてほしいことを伝える。そうしなければならない事情があることはアルムもわかっているようだが、やはりギルドマスターとの契約上どうにもそれは難しいと渋っていた。

 苦渋の決断の末、アマベルが出した折衷案は『この場所にギルドマスターを連れてくる』こと。契約で出来ないのなら、契約を更新させればよいのだ。



「……フォンテさん、ここに来ますかね?」


「引きずり下ろしてでも連れてくるから大丈夫だよ。ということで、ちょっと行ってくるからカサドルの事お願いしていいかな?」


「あ、はい。構いません。……コイツが嫌って言いそうですけどねー」


「は? アマベル様の命令ならきちんと待っておくのが常識だろ。そういうチビの方こそ嫌なんじゃないのか? 出ていったらどうだ」


「は~~?? ここあたしの家でもあるんで出ていくとかありえないんですよね~~」



 まあまあと嗜めるアマベルと優夜。お互いの雰囲気が悪くなる前に、急いでギルドマスターを連れてくるよと笑って、アマベルは一度祈りの洞を出た。

 その合間にもアルムとカサドルのやり取りは子供の喧嘩のように続いていたが、優夜はそれをぼうっと眺めては小さく笑っているだけで、あとは2人におまかせの状態でいた。


 ……というのも、彼女らのやり取りを見ると心が苦しくなってしまっている。それは闇落ちによる諸症状からなるものではなく、純粋に寂しさが積もり積もったのが原因だ。

 他の皆は今も九重市の方で頑張って、笑い合っているのに……自分だけが取り残されているような気持ちになって仕方がない。



(……だけど)



 ――だけど、今は辛抱しよう。

 そう思えたのは、心の奥に眠る和馬への感情が残っているからだろうか。優夜の決意は揺らぐことはなかった。


 しばらくして、アマベルが白髪の男性を連れてきた。薄ら寒い洞窟の中だというのに、薄着1枚のその男性は優夜を見るとアマベルと顔を見比べ続けていた。

 そして優夜もまた、その顔を見て驚くのだ。――和泉にそっくりだ、と。


 男の名はフォンテ・アル・フェブル。優夜はベーゼから既にその名を聞いていたが、実際に会うのはこれが初めてになる。和泉そっくりであることは知らされていなかったため、あまりにも驚きすぎて言葉を失っていた。



「こいつが?」


「うん、そう。さっきも話したとおり、アルム様がこの場にいるとちょっと問題が起こっちゃうんで、キミに契約更新をしてもらいたくてね」


「なるほどな。……カサドル、お前はどうなんだ?」


「俺か? 別に俺はお前と契約しているわけではないし、アマベル様が変えるというのなら変えていいぞ」


「まあお前の意見なんてそうだろうと思ってたよ。……しゃーね、今回限りは姫さんからの離脱を許す。そうする理由もさっき聞いたしな……」



 はぁ、と大きくため息を付いたフォンテは優夜にちらりと視線を向ける。驚いているような、怖がっているような、いろいろな感情が折り混ざった優夜の顔を見たフォンテは小さく首を傾げた。

 初めて会う相手に怖がられるのはよくあることだが、驚かれるのはあまりない。そのせいかフォンテは優夜が物珍しくて仕方がないらしく、近づいて声をかけてきた。



「どうした、俺の顔を見てそんな顔して」


「えっ、あ……ええと、ごめんなさい。知り合いに似ているものだから、つい」


「知り合いぃ? ……ジャックか?」


「ジャック……あ、イズミ君のことかな。いや、彼のこともそうだけど、僕の友人にも似ているものだから……」


「友人ねぇ……」



 じろじろと優夜を見定める様子のフォンテだが、そのうちアマベルが準備をするからアルム共々出ていってほしいと告げる。このままいてはやることも出来ないから、と。


 更にカサドルはオルドレイに向けても出ていくように声をかけた。どうやらアマベルにはオルドレイの姿も声も届いていないようで、代わりにカサドルが声をかけたそうだ。



『おい、その子には絶対に変なことするんじゃねぇぞ。俺の知り合いの息子だ、変なことをしたらタダじゃおかねぇ』


「もちろんだ。アマベル様の処置は的確だし、身体的不調は起こさないだろう。お前が心配するようなことは、絶対に起こさない」



 約束だとしっかりオルドレイに言い聞かせたカサドルは、オルドレイがいなくなるその瞬間まで彼の前にいた。その様子はアマベルには見えていなかったため、何をしているのかよくわからないという顔をされてしまったが。


 その後、祈りの洞に優夜、アマベル、カサドルだけになったことを確認すると、アマベルは優夜の手を握ってもう一度診察してから何をどうするかの説明をしてくれた。

 闇の種族の力を吸い取るならば、その力を見知った者が捕まえるに限る。ということで、闇の種族・上級眷属であるカサドルが優夜と繋がることで、闇落ちの時に手に入れてしまった力をつまみ出すのだという。



「僕……が繋がるとキミを壊しちゃう恐れがあるから、カサドルに力を還流させる形を取ろうと思う。カサドルならキミの中に残っている力を全部見つけてはとっ捕まえる事が出来るからね」


「ええと、その間の僕は何をすれば……」


「何もしなくてもいい。……いや、気になるなら別のことを考えていろ。少し身体の中を探られる気分になるからな」


「じゃあ、えっと……」



 別のことを考えていろと言われて、何を考えようかと悩んだ優夜。カサドルの包帯を巻いた手が優夜の手を取ったその瞬間……浮かんだのは、愛しの和馬の顔だった。

 今頃何をしているだろうか。書類整理はちゃんと出来ているだろうか。美味しいご飯を食べているだろうか。そういえばFPSゲームのランク抜かされていないだろうか。ランク抜かされていたらなんか嫌だな。そういえばタワーディフェンスゲームの方も最近やってないな。ローグライクばっかりやってたな。……などなど、カサドルが読み取ってもよくわからない単語が優夜の頭を支配していった。


 しばらくすると、じわりとカサドルの包帯が黒く染まる。優夜から闇の種族の力の根源を吸い取ったことを表しているようで、少しずつカサドルの包帯が元の白い色へと戻っていった。


 そんな中で、カサドルの表情は芳しくない。まるで、予想外だと今にも口にしそうな表情で優夜の手を握り続けている。



「……お前は、いったい……」



 何者なのか。カサドルがそう聞こうとした矢先に、祈りの洞の扉が開かれる。

 アルムが戻ってきたのかと視線を向けたが、入ってきたのはなんとイズミ。……ただし、右腕が異形のモノへと変貌した状態で。


 恐ろしいものを見てしまった優夜は小さく悲鳴を上げたが、アマベルが彼の視線を切るように前へ出ると、イズミの様子を確認するために右腕に触れた。



「……ああ、そうか。今日から緋色の月だったか」


「そうだよ。……発動するのは、久しぶりだがな」



 小さく舌打ちをしたイズミは、邪魔はしないと告げて祈りの洞の片隅へと移動。優夜の視界に入らないように配慮をしつつ、右腕を壁へと預けた。今にも暴れだしそうな右腕を、絶対に振り回してはならないと自戒しつつ。


 そんな彼に向けて、優夜は問いかける。何故、そんな風貌になってしまったのかと。本当なら聞いてはならないのだろうが、どうしても気になってしまったようだ。



「……聞いてどうする気だ。お前の世界の症状じゃないんだぞ?」


「もしかしたら、だけど……ジェニーさんにも関わりがあるかも、しれないから……?」


「なるほどな。……っつっても、何処から話したもんか。その状態で俺の話聞いても大丈夫なのか?」



 イズミの問いかけに対し、カサドルはもうすぐ終わると告げてより一層強く握りしめる。それと同時にカサドルの手の包帯が真っ黒に染まり、じわりと彼の身体に吸収されていった。

 これでもう大丈夫。アマベルのその一言は、彼を黒い鎖から解き放ったようだ。今一度、愛する和馬の顔を思い浮かべても……もう、痛みはない。


 ようやくみんなの下に戻れるという喜びの反面……《預言者プロフェータ》の力は、優夜を逃さない。



 ――黒く濁った瞳を、自分に向ける長月遼の姿。

 ――血が広がったような黒い空が、彼を彩っているのが映し出される。

 ――遼の後ろに浮かぶのは、白の月と……緋色の月。



「っ……!!」



 見えた光景が《預言者プロフェータ》が見せた未来であることは、まだ優夜は知らない。だからこそそれが強烈に頭に残ってしまって、イズミに向けて青い顔をしていたという。



「その様子だと、やべーもんが見えたな?」


「……キミが言う、緋色の月が……遼の、背後に」


「となると……アイツらにも情報提供が必要になる、か」


「……ごめん。忙しいときに」


「気にするな。関わってしまった以上は、全力で解決を目指すだけだ」



 そう言うとイズミはアマベルに向けて、強力な封印術を施してくれと頼み込み始めた。九重市にいる間だけでも自分が自分でいられるように、人間性を失わないようにと。

 同じく優夜もアマベルに明日にでも戻りたい旨を伝える。先ほど見えた情報をみんなに伝えるため、すぐに戻って遼の危険性を伝えなければなにか嫌な予感がするのだと。



「……あのねぇ、2人共」



 アマベルは大きなため息を付いて、苦言を漏らした。

 ――ただのギルドメンバーに色々と言われても困るのだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る