第36話 夜は何度もやってくる


 和泉が風邪を引いてしばらくしてからの睦月邸。

 彼の風邪は徐々に治りつつあったが、それでもまだ喉の痛みや鼻詰まりが酷かったため、もうしばらくは睦月邸での療養を行うことになった。ただし多少動けるようになったので、部屋を2階の客室へと移動することに。


 その際、和葉が何度か睦月邸にやってきては様子を見に来ていた。着替えを取り替え、俊一や和葉の兄が和泉に出した依頼などを一時的に止めたりと手を尽くし、和泉がしっかりと休養できるようにしてくれた。



「悪いな、和葉……」


「ううん、仕方ないよ。和泉兄ちゃんが風邪を引いたの、高校生以来だもんね」


「……一応聞くけど、兄貴や姉貴には連絡入れてねぇよな?」


「大丈夫、入れてない。……入れたら、勇兄ちゃんと凛姉さんの勢いがすごいもんね……」


「バイクとチャリで事務所来るぐらいだからな……。あのブラコンどうにかならんのか……」


「紫蘭お兄ちゃんと同じくらいどうしようもないかな……」


「そっかあ……」



 ブラコンはいつまで経っても治らないのだと、和葉も和泉もきっちり理解した瞬間。どちらの兄達も、弟や妹のことになると全力を出すのは別に構わないのだが、その部分をもう少し別のところに向けられんのか、と。


 2人同時にため息をついたその瞬間、部屋の扉が開いて神夜がやってきた。2人のため息の瞬間に来たものだから、何か悩みでもあるのかと問いかけたりもしたが、2人揃って兄たちのことなのでご心配なくと告げる。



「……あれ?」



 ふと、和葉が神夜の顔を覗き込んだ。長年の付き合いのある彼女だからなのか、神夜の顔色が普段と少々違うことに気づいた様子。

 左目周辺は火傷を隠すために髪で覆っているので分かりづらいが、右目だけでも十分な休息が取れていないということがわかるとのこと。和葉は無理矢理に彼をベッドに寝かしつけると、布団をべしべしと叩いて神夜を説教した。



「いや、ははは……すみません、最近寝付けなくて」


「神夜さんって枕が変わると寝付けなくなる人だったんですか?」


「いえ、そういうわけではないんですよ、お嬢様。……今、夜に寝ると毎回起こされてしまうんです」


「起こされる……って、誰にです?」


「僕の兄に、ですね」



 その言葉を聞いた瞬間、和泉の背筋にぞわりと何かが這いずる感覚が迫った。


 それもそのはずだ。文月神夜――ジェリー・ジューリュの兄であるジェニー・ジューニュは既に死んでいる。そんな彼が神夜をどう起こすというのだろうかと。

 既にジェニーの肉体は滅んでおり、その精神は闇の種族と化している……というのは和泉も知っている情報だ。念の為和葉にもその情報は伝えているため、彼女が驚くことは少なかった。

 だが、だからといって霊体が触れることが叶うわけではないし、更には竜馬が持つ《祓魔師エゾルシスタ》の力で張り巡らせた結界で神夜の下へはたどり着けないはず。


 夢の中で彼が苛まれているのかと思ったが、話を聞いてみるとどうやら違うようだ。実際に首を絞められ、苦しみのままに目が覚めると神夜は言う。



「どうやって僕に触れることが出来ているのか、それはわからないけど……確実に言えることは、今も彼はこの家の何処かにいるってことだね」


「でも、あの……どうやって入ったんです? 竜馬さんの結界があるなら入れないはずですけど……」


「そう、お嬢様の言う通りどうやって入ったのかを突き止めなければなりません。……竜馬に話を聞かないと……」



 神夜は竜馬に話を聞きに行こうともう一度立ち上がろうとするが、それを阻止したのは和葉。夜に眠れてないということは疲労が相当溜まっているということなのだから、自分達がいる今のうちに寝てくれと。


 最初はそういうわけにはいかないと言葉を濁していた神夜だったが、幼少期からお世話をしている和葉の強い言葉には昔から逆らえないのだろう、ゆっくりと眠りについた。和葉の見立て通りに彼の疲労は相当だったようで、神夜は寝かしつけられた瞬間に眠ってしまった。



「……寝たか?」


「うん。……やっぱり、すごく疲れてたみたい」


「俺の世話までしてくれてたからな……。申し訳なさしかない」


「でも多分、優夜さんがいない今はあたしじゃなきゃ寝かしつけられなかったかも。玲二さんと同じで結構頑固だからね」


「あー……じゃあ今日、ここ泊まらせてもらうか? 神夜さんのためにも」


「うん、出来るならそうしたいな。神夜さんはいつも、あたし達のために働いてくれてるから……今日明日は、休ませてあげたい」


「……そうだな」



 柔らかに微笑む和泉。和葉と結婚してよかったと思うだけでなく、彼女が今この瞬間にいてくれてよかったと思うほどに彼女には感謝していた。もし自分だけだったら、神夜に気づくことなく無理をさせていたかもしれないからだ。

 優しく、母が子を眠らせるようにぽんぽんと布団を叩く和葉。神夜の眠りは相応に深いのか、それで起きることはなかった。……はずだった。


 彼が眠りについて2時間が経過したその時。神夜の顔はみるみるうちに苦しむ表情へと変貌し、喉にかかった何かを外そうとするような動作を繰り返す。

 これはまずい。直感的に感じ取った2人はすぐさま神夜を起こし、苦しみから開放させた。彼の呼吸は少々乱れてしまったが、数分も深呼吸をすると落ち着いてくれた。



「だ、大丈夫ですか……?」


「ええ、お嬢様がすぐに起こしてくれたおかげです。……でも、見たでしょう?」


「うぅ……確かに苦しそうでした。2時間でああなるんですね……」


「僕の眠りに気づいてからやっているみたいでして。……どうにも、2時間ごとに目を覚まさないとああやって苦しむことになるんですよ」


「っつーことは……これ、霊が見える奴にとっ捕まえてもらわねぇとダメだな?」


「うん。だから、竜馬か……和馬君もだね。どちらかに手伝ってもらわないとダメっぽいね」



 けほ、と軽く咳をする神夜。先程の首絞めは相当苦しかったようで、喉を軽くさすって痛みを和らげながら対策を練り始めた。眠れないとなれば、後はもう起きて頭を動かすぐらいしか出来ないからと。

 そんな中で和葉が今日は1日神夜と一緒にいることを告げた。和泉の世話をするのは当然だが、神夜も見ておかないと危ないだろうというのが彼女の言葉。



「ですがお嬢様、これは……」


「わかってます、あたしがどうこうできるものじゃないってのは。……でも神夜さんが苦しむのは見たくないですし、だからといって放っておくわけにもいかない。あたしに出来るのは、神夜さんの疲れを見抜いて少しだけでも休ませるぐらいなんです」


「…………」



 和葉の目をしっかりと見つめる神夜。そのうち彼のほうが折れてしまい、和葉に協力を申し出た。少しでも自分に気づいてくれる人がいるほうが、より安心だからと。

 和泉も和泉で睦月邸にいる間は出来るだけ気にかけておくと呟くが、彼はまだ風邪真っ只中。神夜は逆に自分がお世話をするほうだよね、とだけ小さく笑ったが、それでも彼の協力も嬉しかったようだ。


 そのうち、昼食の時間となった。睦月邸での昼食は竜馬も和馬も手出し禁止なので、神夜がキッチンへと向かう。和泉と和葉もまた、同じようにリビングへと向かった。

 丁度竜馬がいたので、昼食の献立を決めてから話を進めることに。当然竜馬は神夜が眠れていないという話は初耳だったため、まずはこんこんと説教しておいた。



「夜に寝れていないってなんで言わなかったんだバカ!」


「いや~あはは。夜中にキミを起こすのは申し訳ないなぁと思って」


「バカ野郎、お前が苦しむほうが余計申し訳無さすぎるわ!!」


「うひぃ、ごめんごめん」


「ったく……人が何のために結界張ってると思ってんだ」


「あー……竜馬さん、それなんですけど」



 和泉が申し訳無さそうに、現在ジェニー・ジューニュがこの結界内に入り込んでいることを伝える。神夜の睡眠不足の原因も彼が引き起こしており、結界の隙間を縫われて入り込まれたかもしれないと。


 竜馬はその言葉を聞いて驚きを隠せなかった。《祓魔師エゾルシスタ》の力で作られた結界は認識を切り替えない限りはどんな悪霊でさえすり抜けることは難しい。

 事実、闇の種族最上級眷属だったジャック・アルファード……もといイズミ・キサラギも力を失ってこそいたものの、最初は通り抜けることすら出来なかった。だからこそ、その力は和泉もよく知っている。



「イズミさんはどうやって通り抜けたんですか……?」


「ああ、その時に結界の認識を少々切り替えたんだ。ジャック君は害ではないとね」


「となると、その認識をすり抜けて奴は入ってるってことになるんですよね。でもジェニー・ジューニュはきっちり弾くようにしてる……」


「そうなんだよ。だから、どう入り込んだかを突き止めるのが一番の課題だ」


「うーん……」



 何かを見落としているのか? と首を捻るが、まだ風邪の諸症状が残っている和泉の頭では決定打となるような考えは浮かばなかった。それどころか、咳が止まらなくなり始めたので、昼食を食べたらすぐに部屋に戻るようにと促されてしまう始末。


 神夜の特製にゅうめんを食べて薬を飲んで再び客室に戻ってきた和泉は、布団に潜る前にもう一度先程のやり取りを思い返しながら眠りにつく。



(結界の出入り……霊が入る方法……)



 うとうとと意識が夢の中へと入ろうとしている中で、和葉がぽんぽんと優しく彼を叩いて眠りにつかせる。隣に誰かいるという安心感が和泉を包み込むと、彼の意識が深い眠りへと入る。


 ようやく眠った。そう思った次の瞬間、和泉は唐突に目を開いて自分の出した結論を叫んだ。



「遼!! そういやアイツの人形共、結界通れてるな!?」



 覚醒した和泉は起き上がると、和葉の静止を振り切って遼の部屋へと急いだ。本来オカルトグッズまみれの部屋にはあまり近づけないのだが、今回は急を要するということで彼の部屋に突撃。



 遼の部屋は、見るからに悪意に満ちた部屋だった。

 悪霊の中でも遼に協力的な者達を人形に封じ込めて集めているが、他者へ向ける悪意というのは凄まじい。礼儀のなっていない和泉に対してガタガタと揺れる人形達は、何をしに来た! 俺達に何をするつもりだ! と言わんばかりに牙を剥いている。



「くそ、この中にジェニーがいるんだろう!? てめぇら、隠しても無駄だぞ!!」



 ガタガタゴトゴトと揺れる人形達。次第に和泉に対する悪意が強くなり始めたのか、室内の温度がかなり下がり始めてきた。

 もはや強行して見つけるしか無いか――そう思われた矢先、出入り口の方からパンパンと軽く手を叩く音が聞こえた。



「はいはい皆、静かにしぃな。大丈夫、こん兄ちゃんはキミらに悪させーへんよ」


「……響」



 遼の部屋の入り口で霊たちを抑え込んだのは、響。今日は仕事が休みでゆっくりしていたところで隣がうるさいから来たのだが、まさか和泉が入り込んでいるとは思ってもいなかったようだ。


 怒りの収まらない人形達に対し、響はお供えに甘栗と抹茶羊羹を準備。そして和泉にもちゃんと謝るように説得して、何故このような強行に出たのかを問う。

 当然だが、和泉は神夜の睡眠不足の件からジェニーがこの家の中にいることまできっちりと話をしておいた。



「ほーん、なるほどね……それなら確かに、りょーくんの人形が怪しいなあ」


「結界を抜けられる、且つ竜馬さんを欺くことが出来ると言ったら、もうこの人形達しかなくてな……」


「……や、でも……ちょいそれは無理やと思うねんな、俺」


「なんでだ?」


「竜馬おじちゃんが言ってたんやけどー……」



 竜馬曰く、例え人形の中に入っていてもその人格ははっきりと分かるとのこと。生前の姿まではわからなくとも、どのような性質を持ち、どのような霊であるかの判断までがつくそうだ。

 そのためジェニーが隠れているのはほぼ難しいのではないか、というのが響の推理。そこを抜けるとしたら、あとは遼が竜馬のいない隙を縫って出かけた時のみなのだと。



「……ちなみに聞くけど、最近の遼の様子は?」


「ん? 普段と変わらんよ。気になるなら、ハーヴィーに聞いてみたら?」


「ハーヴィー?」



 そこの人形、と響が指差したのは可愛らしいくまのぬいぐるみ。小さめのホワイトボードを抱え込む形を取っており、彼だけは会話ができると響は言う。

 試しに和泉がぬいぐるみを手にとってみても、うんともすんとも言わない。和泉のことを警戒しているのか、普段であればホワイトボードに文字を書いてくれるところが何も書かない状態となっていた。


 どうしたもんかと悩んでいると、再びカタカタと動き出す人形達。まるで何かを知らせるかのように動き回っているが、和泉達には彼らの言葉を理解する手段がない。遼であれば幽霊の言葉を聞くことが出来るので彼らの訴えを聞くことが出来るが、あいにくと今日は仕事で16時までは帰ってこないのだ。



「どないしたもんかねぇ……。ハーヴィーはだんまりやし、皆は言いたいことあるみたいやし……」


「仕方ねぇ。こうなりゃ、ウミガメのスープ方式で聞いてみよう」


「ウミガメのスープって……アレか、水平思考ゲーム。はい、いいえで答えるやつやろ?」


「そう。はいなら1回揺れる、いいえなら2回揺れる。それで少し情報を絞り込んでみよう」


「はぁー、流石探偵さんやねえ。お風邪引いてるって聞いたけど、元気そうやん?」


「これでもだいぶしんどいっつーの」



 けほん、と軽く咳をした後に和泉は人形達に向き直る。答えたがりな人形を数名選び、机の上に座らせて問いかけを開始。思いつく限りの問いかけをして返答を得て、ばらばらになったパズルを組み立てるように疑問を晴らしていった。


 結果、最近の遼は様子がおかしいという情報を汲み取ることが出来た。更には普段ハーヴィーを連れて夜の探索に出るところを、別の人形を持って行くことが増えたという情報も掴むことに成功する。



「別の人形か……響、心当たりは?」


「いやぁ、あらへんな。最近迎え入れたって子がおるなら、俺も知ってるはずなんやけど……そんな話、聞いたこともあらへんなぁ」


「ふむ……となると本人に聞くべきか、あるいは……」



 ちらりと、和泉の視線がハーヴィーへと向けられる。遼の様子がおかしくなった時期や何やらを聞くには本人以外から聞くのが良いわけだが、遼が話すとは思えない。なのでハーヴィーに聞くのが1番なのだが、その肝心のハーヴィーはだんまりを決め込んでしまっているため話を聞くことが出来ない。


 どうしたもんかと考えていると、和葉が神夜を連れて遼の部屋へやってきた。もちろん、彼女の目的は脱走した和泉の確保である。



「確保ぉーー!!」


「わぎゃー!? ちょ、和葉、タイムタイム!!」


「ダメー! 風邪がまだ治ってないのに無理するからー!」


「ごめん、ごめんってば! コレ終わったらすぐ部屋に戻るから! ねっ!? 俺もうちょっとで結論出せるから!」


「ダメー!」



 もう少しというところで次の考えが浮かぼうとしていたのだが、和葉によって無理はするなと怒られる和泉。流石に彼女に心配をかけるのは些か気が引けたので、このまま部屋に戻ろうと考えも出たのだが、やはりハーヴィーに話を聞かないままでは頭がスッキリしない。

 どうしたらいいものかともう一度ハーヴィーに目を向けると、カタカタとハーヴィーのぬいぐるみが揺れ、ホワイトボードに文字が描かれた。



《野郎と話すよりはレディと俺は話をしたいのでそこのお嬢さんが一緒なら会話してやってもいいぞ》


「こ、こいつ……っ……!!」


「は、ハーヴィーってそんなキャラだったっけ……?!」



 昔から知り合いである神夜もまた、ハーヴィーの言葉には驚きを隠せていない。ついでに、和泉と響が神夜とハーヴィーの関係について驚いていたので、そこはしっかりを話をしておいた。


 神夜曰く、彼は昔はかなり寡黙で知らない女性とはあまり話をしなかったそうだ。彼が話を出来た女性は数少なく、家族と屋敷のメイド以外ではリナリア・エル・アプリルとリーチェ・リア・アプリルの姉妹だけ。それ以外の女性とはほとんど会話をしなかったという。

 遼と話が出来ていたのは、彼がリナリア・エル・アプリル――もとい、長月鈴の息子だと知ったからだという。幽霊の言葉を聞くことが出来る体質を持つのは彼女しかいないと知っており、それが引き継がれたのが遼だった故に彼とは簡単に会話出来たと。



「物好きになったもんだねえ、ハーヴィー」


《いいだろ。兄貴の目がつかない今、好きにやって好きに喋るだけだ》


「勇助にバレたときが面白そうだなぁ。……で、和泉君、どうする?」


「どうする、って」


「オカルトマニアの部屋の中で会話してても問題なさそう?」



 神夜がそう言った瞬間、和泉の顔色が青くなった。

 ――今まで、俺はどこで喋っていたんだ? と。



 その日、大音量の悲鳴が睦月邸に響き渡ったと竜馬と和馬は語る……。

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