第35話 決意という名の罪悪感
和泉が風邪を引いた次の日の朝。
睦月邸の和馬の部屋では……和泉が眠っているだけで、和馬の姿はない。
どうやら彼は事務所側の部屋にあるソファで眠っているようで、和泉に気を使ってくれているようだ。
猫助が作ったお粥が運び込まれたので、少し起き上がってもそもそと食べる。久しぶりに引いた風邪はかなり重く、味もほとんどわからない状態となっていた。それでも腹だけは減っているから、せっせとスプーンを口に運んで胃を満たす。
「にゃー、いじゅみ、だいじょぶ?」
「ん……まだ、だるい」
「うにゃ……欲しい物があったら、言ってね?」
「……和葉に連絡」
「それはだいじょぶ。昨日、ひびきんがしてくれたよ」
「そうか……」
食べ終えた食器を猫助に返し、布団の中に潜り込む和泉。スマホをぽちぽちと操作して、念の為自分からも和葉に連絡を入れておいた。
猫助が退散した後はしばらく静かなものだった。聞こえるものといったら、小学生達の登校の声や、中学生と高校生の自転車の音。あとは近くを通る車ぐらいで、何も聞こえない。
もう一度ゆっくりと寝てしまおう。そう考えた矢先に、扉が開かれた。
「あの……イズ君、起きてるかい……?」
「ん……どうした、優夜」
おずおずと申し訳無さそうに部屋に入ってきたのは優夜。和泉に相談事があるとのことで来たようで、少量の氷水が入った袋を彼の額に当ててから話を進めた。
相談事とはイズミと共にガルムレイへと向かい、闇落ちの後遺症を治療したいという相談だった。当然和泉もそのほうがいいと言葉を弾ませたのだが、優夜とイズミが言うには1つ問題があるという。
「あの……その、ゲートのこと、なんだけどね?」
「ああ……俺の家以外にもあるんだろ?」
「それが……そのう……」
「……無いのか?!」
「……イズミ君が言うには、イズ君の事務所が1番大きいせいで感知できないらしくって……」
だから相談に来たんだ、と申し訳無さそうに呟く優夜。その言葉に和泉は枕に頭を打ち付け、自分が現在身動きが取れない以上はしばらく待って貰う必要がある、と告げる。
しかし現状、優夜には早めに復帰してもらいたいというのが和泉の本音だ。だからこそ無理してでも事務所に戻るべきではないかと考えるのだが、事務所に戻っても和葉は現在実家で修理修行中だし、玲二も同じく御影家に戻っているため風邪を看病してくれる者がいない。
いっそサライや砕牙や零に看病を頼もうかと考えたりもしたが、彼らは俳優業や学会でいつ留守になるかわからないし、零に至っては病院の方を空けるわけにはいかないため和泉につきっきりの看病が出来ないのだ。
実家にいる兄姉や弟を頼ろうと思っても遠すぎて逆に交通費をかけさせるのが申し訳ないし、何より事務所のゲートから誰かが来た場合の説明がめんどくさい。好奇心旺盛な兄弟なので絶対に首を突っ込んでくるだろと。
「……どうすっかな……。鍵、渡すからお前だけでもいくか?」
「でも、そうしたらイズ君が帰って来ても入れないよ……?」
「それなんだよなぁ……。もう1個作っておけば……あ」
ふと、和泉は思い出した。
もう1つの合鍵の存在――ベルディが使っていた事務所の鍵を。
あのあとガルムレイから戻った後にベルディからは返してもらっているため、合鍵は残っている。財布に入れっぱなしにしていたのが功を奏したようで、これなら優夜とイズミだけで事務所に向かっても問題ないだろうと。
「どうして今まで忘れてたんだい?」
「……お前の騒動のほうが大きかったから、かな……」
「う。それを言われると、ちょっとごめんとしか言えない」
「まあ、それぐらいデカい迷惑を和馬にかけてるんだよ。……事務所入ったら、貼り紙を出しといてくれ」
「うん、わかった」
合鍵を受け取った優夜はそのまま廊下へ出て、イズミと合流。外へと出ていく音が聞こえた。
和泉はその音を聞き届けた後はゆっくりと眠り、体力の回復を促す。徐々に熱が下がっているのはわかるのだが、身体のだるさはまだ残っており、動くことも少々だるい。
(……そういや、最後に風邪引いたのっていつだっけな……)
ごろりと寝返りをうち、今までのことをぼんやりと思い出す。
最後に風邪を引いたのは高校時代だったな。それ以降はここまで重い風邪は引いてないな……といった様々な言葉が頭に浮かんでは、すぐに消える。
そうして思い出されるのは、昔の出来事。
如月探偵事務所の設立を決め、相棒だった春樹との楽しい日々。
和馬からのライバル宣告を受け、探偵としての技術を磨き続けた日々。
春樹と2人で楽しく、探偵業務を続けてきた日々。
親友だった
和馬、優夜、遼、猫助に助けられたが、今もなお後悔しか残っていない。春樹を助けることが出来る瞬間があったのに、守れなかったと。
それに加えて響から遼を奪われた。遼はお前のものではない。そう言われて刺されそうになったことだってある。
(……ああ、ダメだ。それ以上……思い出したら……)
ぼんやりと目の前が微睡む中で、和泉の記憶が黒く濁ってゆく。
思い出してはならない、思い出すのも危険な記憶が和泉を支配しようとしている。
無意識のうちにじわりと涙が目に浮かび、胸がズキズキと痛んで仕方ない。今は風邪を引いてしまって苦しいのだと無理矢理に言い聞かせながら、和泉は頭を布団で覆う。
そんな折にやってきたのは、神夜だ。和泉の様子を見に来てくれたようで、和泉の熱を測ったり汗を拭いてあげたりと色々とお世話をしてくれた。
「すんません……」
「ううん、いいんだよ。こういう時は無理しないで人に頼るのがいいからね」
「うー……」
言いたいことは色々とあるのに、とにかく動くのがだるくて仕方がない。神夜にされるがままに汗を拭われ、身体を綺麗にする。
途中で右肩の弾痕の話をしたりしたが、そのことさえも喋るのが億劫な和泉。ぼんやりとした表情のまま、神夜の言葉を聞き流していた。
「そういえば、琥珀とは連絡を取り合ってるのかい?」
「……琥珀って」
「キミのお父さん。……あれ、言ってなかったっけ。僕らと彼も友人関係だよ?」
「あー……」
というのも和泉は探偵を始めるに当たって、実家に戻ることは殆どないこと、連絡がある場合にのみ家族に連絡を取る以外は実家へ関与することはなくなった。
探偵業務に何がつきまとうかわからないというのが一番の理由。兄や姉、弟達が巻き込まれるのは正直勘弁して欲しいと願うところだし、なんなら姉が巻き込まれたら巻き込んだ側が可哀想になってくるから、というのが理由。
それでも姉と和葉が同じ修理業の修行をしている関係もあって、姉とはたまに話をする。事務所に来ては唐揚げを作って帰るというのも、ままよくある。
ふと、黒い記憶が埋め尽くしていた脳内が、そう言えば姉貴は最近来てくれてないな。唐揚げ食べたくなったな。という思考に切り替わる。
最後に食べたのが2ヶ月も前というのもあるからか、段々と和泉の脳内が姉の唐揚げに支配された。
「……姉ちゃんの、唐揚げ……」
「うん? 食べたいの?」
「……なんか、急に食べたくなって……」
「うーん、風邪引いてるからちょっとまだ食べさせられないかなあ」
だからもう少し寝ていようね、と清拭を終わらせた神夜は和泉をそっと横にして、布団をかぶせる。優しく、胸付近をぽんぽんとゆっくり叩いては安眠を促させる。
暗い記憶で埋め尽くされ張り詰めていた顔が、ゆっくりと安らぎを得る。
誰かがそばにいる。それだけでも十分だと言うような表情が和泉に浮かび上がり、そうして彼はゆっくりと眠りについた。
和泉が眠りについてしばらくしてから、和馬が部屋に戻ってきた。遼達を送り届け、着替えてから探偵業務を開始しようとしていたようだが、その前に和泉の様子を見に来たようで。
「……ちゃんと、寝てるな?」
ホッとした様子の和馬。風邪を引いた時の和泉というのはなかなかに珍しいからか、少しだけ眺めていたいと言うのが本音。だが睦月探偵事務所の看板を既に立てたので、あまり長居できないのが心苦しいところだ。
用件を書いたメモを水分補給用ペットボトルに貼り付けた後は、そのまま部屋を出て探偵業務を開始する和馬。優夜もいないため、慣れない書類作業を行うことに。
そんな折に、2人の客がやってきた。初めての客なのだろう、直々に和馬が扉を開けてみれば……。
「どうも、こんにちは」
「こんにちは~」
「……さ、燦斗さん……??」
目の前にいたのは、金宮燦斗にそっくり……とは言い難いが、非常によく似た客が2人。1人は金髪に白目の少々異質な衣装を着た男性、1人は白髪に紫色の瞳の女性っぽい男性という出で立ちだったが、髪型と顔つきはほぼ金宮燦斗そのもの。
いったいどういうことなんだ!? と和馬が少々焦っていると、背後から神夜の声が聞こえる。どうやら彼らの知り合いのようで、何があったのかと聞いてくれた。
「ああ、神夜父さん。すみません、兄さんからこちらに向かうようにと連絡がありまして」
「なんか、風邪引いた人の面倒見てあげて~って言われてー。神夜パパ、何か知ってる?」
「あ、あ、あーー……なるほど、そういうことか」
悩んだ様子の神夜に対し、和馬はどういうこっちゃと尋ねる。
燦斗が寄越した2人組。金髪白目の男性はエーミール・アーベントロート、白髪紫目の男性はエーヴァルト・アーベントロート、通称エヴァ。彼らは金宮燦斗の弟なのだが、今日はどうやら和泉の看病のために手を回されたようだ。
彼らへの救援は神夜から頼んだことではない。燦斗が独自で寄越した救援なので、断ることも可能だという。
だが今日は優夜が長期不在、遼、猫助、響が仕事でおらず、竜馬も七星ラーメンの手伝いに向かっているため誰もいない。更に和馬は探偵業務のために事務所から離れることが出来ず、神夜も竜馬の部屋で仕事をしているため手が離せないので、和泉の看病を出来ないのだ。
なので、和馬も神夜もありがたい申し出だとエーミールとエヴァを室内に入れる。もちろん多少の不安もあったので身体検査は行って、和泉のいる部屋へと案内した。
「お~、寝てる寝てる」
「エヴァ、お願いですから静かにしてくださいn」
「わはーい! いずみちー!」
「風邪引いてる人に惨いことすなぁ!!」
ばふん、と和泉が寝ているベッドに倒れ込んだエヴァ。声にならない鳴き声を上げた和泉は何事だと目を覚まし、隣にいた和馬を睨みつけた。当然だが、すまん、という言葉しか和馬には上げられず、エーミールが猛烈に謝罪していた。
和泉もエーミールとエヴァの姿には首を傾げていたが、神夜と和馬の説明によりなんとなく納得。まだ少々つらいところがあるので、誰かがいてくれるのは非常に助かると安心した様子を見せる。
その様子に和馬と神夜も安心したようで、残るはエーミールとエヴァに任せると言って部屋を出た。3人だけ残った部屋は、エヴァがとにかく喋ってくれたので音が途切れることはなかった。
「なんか……すんません。初対面の人に、ここまでしてもらうなんて……」
「いいんだよ~。いつもサライちと砕牙ちがお世話になってるしね~」
「サライと砕牙……なんで……??」
「ええと、2人は兄さんのお仕事の関係上、時々我が家に来ては一緒にご飯を食べたりするんですよ。だから、自然と私達とも仲が良くて」
「ああ……そうか、だから2人の帰りが遅い時があるんすね……」
「そだよ~。いずみちが怖がってないかな~って毎回言ってるけどね、サライちも砕牙ちも」
「ああ……」
だったら和葉も零せんせーもいねぇときに俺も連れて行けや。そう言いたそうな顔と声でもぞもぞと布団の中に潜った和泉。自分だけしかいない時の探偵事務所というのはかなり怖いらしく、思い出してしまって顔を埋めたくなったようで……。
話し相手がいるためか、時間はどんどん進んでゆく。気づけば時計の針は12時を指しており、昼食をどうしようかと悩み始めていた。
「おや、もうお昼ですか」
「ありゃ。いずみちのご飯どうなるのかな~」
「神夜父さんに聞いてきますよ。……あ、いや、貴方が聞いてきてくれません?」
「なんでー。僕1人でもいずみちを見てるよー」
「どうせまた『わはー!』とか言ってダイブするでしょう。私が見ますから、はい、神夜父さんのところに行くのはエヴァです」
「むー。神夜パパに言いつけてやるー」
ぶつぶつと文句を言いつつ、エヴァは部屋を出て神夜の下へ。出てすぐに出会ったのか、どうやら今から一緒に作るといった声が部屋の中まで聞こえてきた。
ふと、和泉はエーミールとエヴァが神夜のことを父親のように呼んでいることに気づき、そのことに対して問いかけてみることに。
「ええと、兄さんが異世界の人間というのは聞いているんですよね?」
「倒れる前に、少しだけ……。もしかして、こっちに来てから路頭に迷ってたところを……?」
「はい、そうです。ある程度の就職先とかは本部がなんとかしてくれてるんですが、それ以外のことはどうにもならなくって……」
「あー……そこに神夜さんが来て、助けてもらえたと……」
年齢まではわからないが、神夜を父親と呼ぶのなら出会ってから相応の年数が経っているんだなと推察する和泉。そうなると、優夜も彼らのことを知っているのではないかとエーミールに尋ねると、もちろん、という返答を得る。
優夜のことについては、エーミールも知っていた。父・神夜を恨み、母・優奈を敬愛する優しい子だと。
だからこそ、今回優夜が闇落ちしてしまったのは自分達の観察不足でもあったとエーミールは謝罪した。兄はきっと謝罪しないだろうが、自分は和泉達にも申し訳無さしか感じていないと彼は言う。
「……別に、いいんですけどね。俺もなんかすげぇ力持ってたし……」
右手を出して、握りしめたり開いたりを繰り返す和泉。優夜の精神の中に入り込んだのは、あれは夢だったのではないかと感じるほどなのだが……それにしては感触が手に残り続けているのもあって、夢ではないと言い切れないと。
だがエーミールは和泉の手を握りしめ、二度とその力を使ってはならないと忠告を促す。ただの注意ではなく、これは和泉の命を守るためだ、と。
「命を……?」
「はい。……まだ確証は得られていませんが、和泉さんが使ったそれは……きっと貴方の身体に大きな負担をかけている」
「……ああ、だから……今」
「風邪を引いてしまっている、ということです。……おそらく次に使えば、風邪どころではないかもしれません」
「…………それでも」
それでも、と呟いた和泉の脳裏には、遼の姿が思い浮かんでいる。
彼が黒い涙を流した瞬間を見たという優夜の言葉が正しければ、今後また同じ力を使って自分が救わなければならない。2度目は必ず来るだろうから、俺はまた使いますとだけ宣言した。
何故、命を捨てるような真似をするのか。エーミールには理解が及ばなかった。今でさえかなり大変な状態だと言うのに、更に自分を追い込むような真似をするのが如月和泉という人物なのかと、彼は問いかける。
「……別に、そんなんじゃないですけど」
「じゃあ、何故?」
「……俺、アイツらに助けてもらってるんです。死ぬ間際ギリギリに」
和泉は語る。2年前に起きた事件《狂乱事件》で自分が殺されそうになったことを。そのときに相棒である男を殺されてしまったことを。和馬達が情報をすべて集め終えて殺される寸前になって助けてもらったことを。
あの時の自分は無力だったと和泉は語る。春樹を連れて外に行くことが出来たはずなのに、その時だけはいつものように連れて行かずに彼を事務所に置いていってしまって見殺しにしてしまったと。
あの時の自分は無力だったと和泉は語る。空が狂っていることは事件の数日前から気づいていたのに、彼に辿り着くことさえ叶わずに春樹を殺してしまったと。
和泉は何度も語る。自分のせいで、春樹は死んでしまったのだと。
だからこそ、次に守るべき和馬達のためなら命を投げ捨てる覚悟さえあるのだと。
その言葉を聞いたエーミールは……何も言い返すことはなく、ただ頷くのみだった。彼の長年の決意に対して自分が色々と言うのは、彼に対する失礼に値すると判断したようだ。
「……なるほど。でしたら、私が止める理由はありませんね」
「すんません……俺のことを気にしてくれるのは、ありがたいんですけど」
「いえ、私の方こそ申し訳ない。貴方の決意というのを甘く見ていました」
やんわりと微笑んだエーミール。それに対して和泉は、脳裏に超失礼な言葉が思い浮かんでしまった。これを言うべきか言わざるべきか悩んだが、風邪引いている今のうちなら許されるだろうと思い、1つだけエーミールに尋ねてみることに。
「……あの、エーミールさん。すげぇ失礼なことを言うんですけど……」
「はい、なんでしょう?」
「…………本当に金宮さんの弟さんなんすか……??」
「非常に残念な話なんですが、本当に金宮燦斗の弟なんですよねぇ、私。……血は繋がってませんけど、ね」
「……神様って、時々残酷な時もあるんすね」
「それ、兄さんの前では聞いちゃダメですからね?」
「うっす……」
エーミールは笑ってくれたが、きっと燦斗は笑ってくれない。そんな気がした和泉は昼食を食べ終えた後、エヴァの突撃を何度か食らってから眠りについたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます