第5章 探偵と王女、夜に挑む

第?話 苦しいのはキミだけでなく


「……っ……」


 その日の夜。

 睦月邸の客人用寝室で眠りについていた神夜は、唐突に目が覚める。


 それは何かの予感なのか、それとも未来からの呼び声なのか、あるいは己の過去が叫んでいるのか。

 ……何にせよ、胸の痛みに耐えようと呼吸が大きくなってしまっている。彼は己を落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をして、鼓動を落ち着ける。



「……はは、何に怯えてるんだ、俺は……」



 意図せず震える身体は、神夜が何かに恐怖していること知らしめる。幸いにもこの部屋にはアルムとイズミしかおらず、彼女達は眠りについているため見られることはなかった。

 だが、それでも神夜にとってはこれも汚点として捉えられているようで、彼は必死で心の中を整理して、頭の中を整頓する。



「……あー、ダメだ……。整理がつかない……」



 少しだけ外の空気を吸おうと思い、扉を開けて廊下に出た。

 暗い廊下の明かりを付けて音を立てないように階段を降りる中で、ふと、脳裏に浮かんだのは元の世界ガルムレイで共に生まれ、生き別れた双子の兄ジェニーのことだった。


 闇の種族最上級眷属のジェニー・ジューニュ。その存在は今やガルムレイにとっては世界の敵に等しく、いずれは討伐されてしまう対象。

 彼が存在している理由はイズミでも『誰かに恨みを抱えているから』としか言えなかったが、神夜には大いに心当たりがあった。


 『7つの呪い』をつけたのも、同じくジェニー。その理由は、父と母の愛情をジェニーだけが受け取るはずだったのに、神夜ジェリーと双子として生まれた故に分けられて愛情をもらうことになってしまったからだ。

 独り占めするはずだった愛情が、ジェリーにも流れてしまう。それを嫌がったジェニーは生まれ持つ《呪術師マーディサオン》の力を使い、生まれる前に神夜ジェリーに7つの呪いを付けたのだ。



「……まだ、俺のことを恨んでいるんだろうな。だからキミは、闇の種族として残り続けている……」



 階段を降りきったところで、ふと、何かの気配を感じ取って前を向いた神夜。

 ぼんやりと見える小さな光に何事かと思ったのだが、廊下にかけられた時計を見て、ああ、と納得する。

 この時間帯はまさにオカルトマニアである遼のゴールデンタイム。彼は外に出ては街中に潜むオカルト関連の事象を解明し、和馬や和泉に対し情報を渡す手伝いをしている。昼間にも出向くことはあるが、夜ほどの情報は集まらないという。


 玄関を通り抜けた遼の手には、可愛らしい熊のぬいぐるみが小さなホワイトボードを握り締めている。彼は夜に出向くときは必ずこのぬいぐるみを持ち歩いていくので、神夜も少々気になるところではあるそうだ。



「っと、神夜おじさん。寝れないの?」


「ああ、うん。ちょっとね。そういう遼君は情報収集だったのかな?」


「うん。ハーヴィーが見回りに行ったほうがいいって言うもんだからさ」


「ハーヴィー……?」


「あ、ハーヴィーっていうのはこのぬいぐるみに入ってる幽霊のこと。俺の相棒なんだ」



 そう言うと遼は手に抱えていたぬいぐるみを見せる。ふわふわな毛を持つテディベアのぬいぐるみがカタカタと小さく震えると、手に添えられたホワイトボードに文字が描かれていく……。



《久しぶりだな、ジェリー》


「……えっ?!」


「ん!? ハーヴィー、知り合いなの!?」



 ホワイトボードに描かれた文字に、神夜も遼も驚きを隠せなかった。


 文月神夜という人物を『ジェリー』と呼ぶのは、ガルムレイからやってきた竜馬、鈴、勇助に加えて事情を話した朔や蓮、息子達とその友人達。更にガルムレイに住むアルム、イズミとレイぐらい。遼が持つぬいぐるみの幽霊程度には知られるはずはなく、だからこそ神夜は一体誰なのかと戸惑った。


 記憶の糸を辿って、ハーヴィーという名前を遡る。そして神夜は記憶に該当する、たった1人の男の名前を小さく呟いた。



「……ハーヴィー・ヴェン・ルーテシオン……」



 彼の呟きに対し、ぬいぐるみのホワイトボードは『当たり』とだけ描く。


 十二公爵の1人、《射手アルケイロ》を持つアゴスト・ルーテシオン。真の名はハーヴィー・ヴェン・ルーテシオン。元来より内向的な性格で、兄のオルチェ・ヴェン・ルーテシオンよりもおとなしい人物だったと神夜は記憶している。


 今のハーヴィーと比べると記憶に残るハーヴィーがおとなしかったせいだろう、活発に文字を描くその様はどちらかと言うとオルチェの方を想定してしまうようだ。が、オルチェ・ヴェン・ルーテシオンは今や『神無月勇助』と名を変えて生きているため、目の前にいるのがハーヴィーであることに間違いはないのだと、脳が理解した。



「え、ええと……縁ってすごいね?」


「一番驚いてるのは俺なんだけど……。っていうか、神夜さんのこと知ってるなら、母さんたちのことも知ってるってことになる?」


「うん、まあ……ね」



 ハーヴィーが神夜を知っているということは、竜馬も、鈴も、勇助も、そしてジェニーのこともよく知っている。

 神夜の悩みについても、既にハーヴィーは承知済みの様子。彼はただ一言だけホワイトボードに書き記し、神夜を励ました。



《全てが、お前のせいだと思わないこと》


「……!」



 その言葉に、神夜は少し肩の荷が降りたような気がした。

 ジェニーが自分を呪う理由も、彼が闇の種族として存在する理由も、自分が悪いことはわかっている。だがそれらの原因が全て、神夜1人が起因しているものではないとハーヴィーは伝えてくれた。



《お前が悩むのもよくわかっている。が、お前だけで全てが動くわけじゃない》


「物事には様々な理由が絡み合って、様々な原因で動いている。……そういえば、キミのお兄さんの口癖だったね」



 小さく笑った神夜に対し、遼は首を傾げていた。――なにせ、ハーヴィーの兄が勇助であるということはまだ彼は知らないから。


 気がつけば、神夜の胸の痛みはなくなっていた。代わりに遼とハーヴィーに勇気づけられたおかげで、今日は安心して眠れそうだと礼を述べる。

 部屋に戻って、さあ寝よう、と思い立ったところで……神夜は、未来を視た。



「……え?」



 見えた未来は、瞬間的な出来事の場面。

 隣にいたのが遼だったせいか、彼の未来が見えていた。

 だが見えた未来がどうしても理解し難かった神夜は、再び心の奥がざわめき立つ。



 ――黒く濁った涙を流した遼の姿が、神夜の脳裏に残された。

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