第33話 その先へ


「……ん……」



 和泉が目を覚ましたのは、午前7時。

 丁度睦月邸では朝食を作る時間帯となっており、いい匂いがリビングにまで漂ってきていた。

 隣ではまだ優夜が眠っている。イズミの姿はなく、テーブルには途中で消された蝋燭の残骸。精神世界にいる間に誰かがいたことが伺えるのだが、それを考えるのもめんどくさくてやめた。


 それよりもと、和泉は状況を整理した。

 裏山でイズミが優夜を押さえつけるのを見た、まではしっかりと記憶している。

 そしてその後……優夜の精神世界での出来事。長い間歩き続けてはキレ散らかして、黒い姿の優夜に出会って、神夜も入ってきて――。



「……神夜さん!?」



 ハッとなって、和泉は周囲を見渡した。神夜が入ってきて彼と共に優夜の精神世界を走り、更に《預言者プロフェータ》の力を逆流させたところで、神夜は精神世界から離脱することになってしまった。

 無理矢理に力を逆流させたことで何らかの影響が出てるのではないかと心配になっていた和泉だったが、そんな彼の焦りとは裏腹に神夜がひょっこりとキッチンから顔を出す。



「わ、和泉君起きたんだ。よかったぁ、大丈夫だった?」


「いやそれはこっちの台詞なんですが!? 大丈夫ですか!?」


「大丈夫だよ~、慣れないことやって吹き飛ばされた程度だからなんともな~い」


「お気楽だなぁ!!」



 あまりにもお気楽に答える神夜に、ツッコミを入れながらも和泉はホッとした。もしこれでなにか起こっていたら、優夜になんて伝えようかとなっていたからだ。

 そんな優夜は……まだ、眠っている。少々心配ではあるが、必ず戻ってくるだろうと信じて和泉は無理矢理起こすことなどはしなかった。


 時間が進むにつれて、睦月邸の住人達とイズミが起きてくる。和馬が心配そうに優夜の顔を覗き込むが、やはり彼は起きる様子はない。



「……起きねえ、な」


「まあ、神夜の過去を見てショックを受けてるってところだろうな。……ベーゼに何かを施されている様子はないし、こればかりは本人次第だ」


「でも、ゆーや君はもう戻ったんやろ? それだけは安心しても大丈夫なん?」


「ああ、そこは安心しろ。ベーゼが抜け出したことは俺が保証する」


「おー、そりゃよかった。優夜がいなかったら、美味い朝飯食えなくなるところだからな!」



 それぞれが椅子に座り、朝食を待つ。その間にもイズミは優夜の様子を見てみるが……多少呼吸の回数が増えたぐらいで、彼は目覚める様子がない。

 そろそろ目覚めてくれないとこちらとしても困るんだが、と呟いたイズミ。どうやって起こしてやろうかと考えた時に、響が突然叫んだ。



「あ! カズ君が料理作っとる!!」



 いきなり何を言い出しているんだ? と首を傾げたイズミ。起こすのにそんな台詞で大丈夫なのだろうかと心配になりつつも、優夜の様子を見守る。

 また和泉と遼と猫助は台詞の意図に気づいているため優夜の反応を待ち、和馬は少々しょぼくれた。


 数秒、後に大きく息を吸う音。

 その後すぐに発せられた言葉で、彼らは安堵した。



「……ダメだって言ってるでしょ!!」



 起きた。

 もう少し起きるのに時間がかかるだろうと思われた矢先に、たった1つの台詞で。


 そんなことある? と驚愕するイズミ。起きたという事実は覆ることはないため、一旦和馬達をその場に留めて優夜の様子を伺った。


 結果、まだ闇落ちの諸症状は残っているため、和馬と神夜が近づくのは厳禁となってしまった。時々腹を擦る様子が伺えたが、それは数日まともに食事をとってないためだ。それを予見してか、神夜が朝食にポトフを準備してくれていた。



「ちょっと長く煮込んで、柔らかく仕上げておいたよ。これなら食べれるかな?」


「うまそう。俺も食べたい」


「はいはい、ジャック君は多めに盛ってあげるね」



 神夜からイズミへ、イズミから優夜へ手渡されたポトフ。スプーンでじゃがいもをさっくりと崩してから、口へと運び……ただ一言、美味しい、と呟いた。

 優夜が満足に食事を取れている姿を見て、和馬達は大いに喜んだ。最後に別れた時にはまともに食事を摂ることも出来ていなかったため、心配だったのだ。人として食事することがままならなくなっていたら、どうしようと。



「よかった、よかったよ~! ゆーやが、ゆーやが戻ってきたぁ~!」


「ホント、よかった。お前がネコの飯食わないってわかったとき、マジで焦ったもんなあ……」


「……本当に、ごめん。僕、ネコちゃんに失礼なことしてたよね……」


「にゃっ、いいんだよ、ゆーや。食べれない時は食べれないって言ってくれたほうがいいし、今回はそのおかげでゆーやの異変に気づけたんだもんね!」


「ネコちゃん……」



 猫助の天真爛漫な笑顔に、優夜の顔が少し歪む。自分がどれだけ友人たちに酷いことをしてしまったのかと、心の奥がチクチク痛んでしまってなんとも言えないようだ。

 しかしその胸の痛みは、何も友人たちへの行いだけに留まらない。ポトフを作ってくれた相手――神夜に対しても、胸の痛みが強く出てきてしまう。感謝の言葉を伝えようにも、胸が痛んで言葉にならないものだ。


 その様子に声をかけてきたイズミ。彼は同じ経験をしているので、今の優夜がどんな状況でいるのかも、よくわかっている。多く盛り付けられたポトフを片手に、優夜の隣へ。



「……苦しいか?」


「……うん。ネコちゃんのこともそうだけど、父さんのことも……僕は、色々と誤解してたから……」


「謝りたくても謝れない……からな。今のお前では、声をかけることさえも苦しいはずだ」



 ちらりと神夜を見てみれば、朝食準備で使用した器具類の片付けをしている。イズミの視線に気づくとゆるく手を振り返すのが見えるが、優夜への視線はなるべく切ってくれているようだ。

 そんな状況には、どうにも耐えきれない。元に戻りたいという意志が強いのだろう、優夜は意を決してイズミに問う。



「僕は……ずっと、このままなのかな?」



 自分ではどうすることも出来ない症状。この世界には無い心の病。

 父と仲直りするにはこれをどうにかするしかないものだから、目の前にいるイズミに助けを乞うしか出来ないのだ。


 そんな優夜に対してイズミは少しだけ微笑んで、すぐにいつもの仏頂面に戻す。きちんと戻せることも伝えて、自分もそのためには助力を惜しまないことをしっかりと伝えた。



「闇落ちに成る前の症状は、深くなければある程度は治療可能だからな」


「そっか……よかった」


「だが、まずは食え。今のお前はかなり衰弱しきっている。……お前にだけ伝えるが、俺達がお前の前にたどり着いた時には、お前は立っているだけで限界だったんだぞ」


「う。……わかってる、ちゃんと食べるよ」



 スプーンで野菜を崩し、ゆっくりと食べ進める優夜。久しぶりに食べる暖かな食事には父からの愛情が込められているのか、少しだけ胸が痛む。

 それでもしっかりと食べようと思ったのは、10年来の父の食事だからだろう。どんなに苦しくなっても、どんなに胸が痛んでも、スプーンを口へ運んで胃の中を満たした。


 数分もすれば、食事は終わる。

 それぞれが食べ終えた食器を片付け、仕事の準備へと取り掛かった。



「ごちそうさま。神夜さん、朝飯ありがと」


「ん。今日は遼君と猫助君がお仕事かな?」


「ひびきんもだよー。ゆーや以外はみーんなお仕事ー」


「そっか。和馬君は?」


「今日は調査依頼が1件。夕方までは帰ってこれないと思います」


「ん。……あれ、じゃあもしや」



 神夜と優夜の視線が交じる。今ここにいない竜馬やアルムを除き、睦月邸の住人が誰一人としていないということは2人の会話の場が図らずも設けられたことを意味する。和泉が場を設けると言っていた矢先のことなので、まだ心の準備が整っていない2人は咄嗟に目を背けた。

 恋人同士か? と同時にツッコミを入れた和泉とイズミ。優夜の方に寄り添いながらも、彼らは神夜との話し合いの場を設けようとしていた。



「あー……俺とイズミがいても無理そうか?」


「う、うぅん……あの、ちょっとまだ……心の準備が」


「っつっても、タイミング的には悪くないと思うんだけど。なんならアルムも呼んでこようか? アイツ今絶賛寝坊中だけど」


「なんか足りねぇって思ったらアルム寝てたのか……」


「夜ふかししてたからな、昨日。多分あと4時間は起きねぇぞ」


「わぁ……」



 アルムがいれば多少雰囲気が和んだかもしれないが、そんな彼女は夜ふかしによる寝坊中。彼女を起こすのも忍びないし、待ってる間の時間がもったいない気がしたので、そのまま4人で話すことに。


 仕事に出向いた遼、猫助、響は和馬が送り届け、和馬もそのまま調査へと出向いた。そのため、現在睦月邸のリビングにいるのは和泉、イズミ、優夜、神夜のみ。

 神夜と優夜の距離が縮まらないように座る場所を指定して、コーヒーを出し、戸棚にあったクッキーを盛り付けてから、まずは神夜が深く謝罪した。



「優夜、改めて……本当にごめん。あの日、僕が帰れなかった理由は見せたとおり、ガルムレイからやってきた闇の種族を食い止めていたら、間に合わなかったんだ」


「アレは……父さんに引き寄せられた、って言ってたけど……」


「神夜は呪われている……というのは、ベーゼから聞いてないか?」


「う、ううん。呪われてるって、今初めて聞いた」



 父が呪われていることもそうだが、それに引き寄せられているという事実には驚いた。本当にそうなのだとしたら、優夜が闇落ちになりかけるというのも昔から決められていた、ということになる。

 それが本当であれば恐怖でしか無い。優夜は少しだけ身を震わせた。


 7つの呪いを説明し、子を殺す呪い以外の紋章も見せる。異様に浮かび上がっている呪いの紋章は、まるで生きているかのようにうっすらと輝いていた。



「じゃあ、僕と目を合わせようとしなかったの、は……」


「……左目に、子を殺す呪いがかけられていてね。キミを見てしまって発動する可能性があったから、なるべく視界に入れないようにしていたんだ」


「そう、だったんだ……」


「ただ……そろそろ髪で隠すのにも限界が近いみたいだ。ジェニーを見つけて呪いを解いてもらわないと、キミが元通りになっても……」


「あー……その、ジェニーのことなんだが」



 言葉を遮るようにイズミがそっと手を上げて、2人の会話を一度止める。


 イズミが言うには、ジェニーに関してはそもそも見つけることが難しいため、呪いを解くことが難しいのではないかという事を伝えたかったらしい。

 ジェニー・ジューニュの存在は確認されているし、イズミ自身も元が闇の種族だったのもあって存在自体は把握している。だが実際の姿を見た者はおらず、ガルムレイにいるかどうかさえもわかっていないのが現状……というのを、はっきりと優夜達に伝えた。



「ええと、そうなると……父さんと一緒に落ちてきたっていうのは無いから……」


「この九重市にいる可能性が高いんじゃねぇかって思う。……イズミ、もう一度確認するがガルムレイにはいない、でいいんだな?」


「ああ。こっちに来てるか……までは流石にわからない。腕の機能解放にはアルムの許可貰わなきゃ使えねぇんだよ……」


「……キミ、尻に敷かれすぎじゃない?」


「ぐふっ」



 鈴に言われた台詞を、まさにもう一度受けることになろうとは。イズミはまたしても頭を垂れて落ち込み、しばらく再起不能となってしまう。自分は尻に敷かれてないもん、と言葉を残して。


 そんな中で、和泉は深く考え込んでいた。なにかを見落としている気がするのか、もう一度神夜から今までの流れを聞き出した。

 ガルムレイで誕生してから落ちるまで、落ちてから今日までの出来事を1つ残さず洗いざらい聞き出し、時系列がわかりやすいように線を引いてガルムレイと九重市での出来事を全てメモする。



「……ん……?」



 ふと、和泉は時系列が少しおかしくないか? と気がついた。

 もし仮にジェニー・ジューニュが九重市に来ているというのならば、イズミがジェニーを認識しているのはおかしいのではないか、と。

 逆にイズミがジェニーを認識しているのなら、ガルムレイ側でジェニーを見つけられないというのもおかしな話。

 彼にはゲートを作る手段が無く、通ることは出来ても帰ることが出来ない。そのため和泉にとってはどうしてもこの部分に矛盾が出来てしまうことが違和感でしかなかった。



「イズ君、どうしたの?」


「……いや……時系列を整理してたら、そもそもジェニーってのはどうやって九重市に来て、どうやってイズミに認知されてるんだ? と思ってな……」


「あれ……確かにそうだ。こっちに来てるのなら、イズミ君が向こうで認識するタイミングがないね?」


「逆もまた然りで、イズミが認識してるなら誰かの手を借りてこっちに来るしか無い。……これ、誰か裏で手を引いてる可能性は無いか?」


「それこそ……僕を乗っ取った人物、とか……?」


「ベーゼか……」



 ベーゼ・シュルトはレイ・ウォールから生まれ落ちたもの。レイがゲートを開けることは和泉もこの目でしっかりと確認しているため、ベーゼがゲートを開いてジェニーと共に行き来していることを考えれば、イズミがジェニーを認識してなおかつ九重市に留まらせるという芸当が出来るのではないかという結論を導き出した。


 ……だが、ベーゼがジェニーに協力する理由がどこにもない。逆もまた然りでジェニーがベーゼと協力する理由が無い。そのため、この結論に至るのはまだ時期尚早である、と和泉は判断した。



「時期尚早……か」


「ああ。……まだ考察要素が少なすぎるし、お前を戻すのを先決しなきゃならん。俺の勘だと、ジェニーはお前で神夜さんを殺せなかったことから神夜さんを直接狙う……と思うんだ」


「ああ、そうか。確かに優夜に任せていたから今までは手出ししなかった、と考えればそれもあり得るね?」


「だから今回はここで考察を打ち切るぞ。……で、イズミはいつまでめそめそしてんだ」



 和泉に叱られて、イズミはのそのそと起き上がる。まだ尻に敷かれているのを気にしているのかと声をかけると、イズミはきっぱりはっきり、和泉に言ってやった。敷かれてないもん、と。



「いや、既婚者の俺から見てもお前は十分尻に敷かれてるからな?」


「なんでだよ。ってか、お前既婚者なの!?」


「ん、そういや言ってなかったっけか。既婚者だぞ、俺」


「嘘だ!! 嘘だと言ってくれ!! じゃないと同じ顔である俺の立場がないんだが!!?」


「いや、立場って言われてもなぁ……」



 頭を掻いて、目線をイズミから逸らした和泉。同じ顔でありながら立場が違うというのは、和泉自身も感じていたこと。

 自分は探偵という職業にはついているものの、比較的一般人に近い。それに対してイズミは王族という立場であり、王女が婚約者という高位の立場。同じ顔なのにどうして自分よりも位が高いのかとショックを受けたもので。


 だが、今の言葉を聞いてイズミ・キサラギという男も、普通の人間と変わりはないのだと実感した。

 例え彼が『自分は3分の2は人間ではない』と告げたとしても、立ち振舞いや意志は人間そのものだ。無理に、深く考えることなく、彼と付き合っていいのだと。



「……ま、この世界にいるときは俺のほうが有利ってことだな」


「ちくしょう!」


「あーあー、喧嘩しないで。ね? ほら、おやつ用意するからみんなで食べよう? アルムさんや竜馬もそろそろ起こさないとね」


「あ、じゃあ……僕、起こしてくるよ。まだ、父さんと一緒にいると胸が苦しいから……」


「ん、じゃあよろしくね。今日は手作りのパウンドケーキだって、竜馬に言っておいてね。飛び起きるから」



 そう言って優夜はアルムと竜馬を起こすために2階へ上がり、神夜はキッチンに戻っておやつの準備を始める。



 2人の雰囲気が元に戻り、より良い方向に進んだことに安心した和泉。

 しかし、そんな安心も束の間の休息。彼の脳内にはまだある1つの疑問が残されていた。



(……ベーゼがいなくなったのは、イズミも言っているとおりだ。だが……)


?)



 ……まだまだ、この物語に終わりは見えないようだ。

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