第32話 過去と現在
走って、走って、走り続けた。
宵闇の空間の中を、無我夢中で。
真っ黒に染まったあの子の身体を引きずり回して。
黒い感情をぞりぞりと剥がしてやって。
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。
走り続けて、奥を目指していたはずなのに。
目の前が歪んで、いつの間にか真っ暗闇へと連れ込まれる。
知らぬ誰かが俺の手を引いて、何かを見せたいと言うように……。
和泉の目の前に広がっていたのは、いつの間にか夜になった九重市。真夜中過ぎなのか、住宅街の明かりはほとんど見ることがない。
先程まで優夜の精神世界にいたはずだよな、と首を傾げるのもつかの間、和泉の隣には優夜――の形をとった光の柱がそこにあった。
「優夜。……どうやら、賭けは成功した感じか?」
『どういうこと……。僕は、いったい……』
「神夜さんはガルムレイ側の人間だった……ってのは、ベーゼに聞いてるか?」
『それは……聞いてる、けど』
「んなら、ちょい略して話す。詳しいことは終わってからな」
神夜以外にも竜馬、鈴、勇助が同じ立場であること。神夜が元々は未来を見る力を持っていること。その力を逆流させて優夜と和泉に過去を見せていること。これらの情報を簡潔に、手短に話した。
というのも目の前で既に過去の神夜が動き出しており、彼らは追いかけなければならないためだ。
過去の神夜は竜馬達と合流することを目的に移動している様子。しかし、一通の連絡に彼は足を止めていた。
『……あの、通知音は……』
優夜には心当たりがあった。神夜は家族からの連絡だけは別の通知音を使っており、今、まさに優夜からの連絡が届いた通知音が聞こえてきたのだから。
この時間がいつなのか。この通知がなんなのか。優夜はそれらを、たった1つの通知音で理解してしまった。
――自分が母の危篤を伝えたあの日なのだ、と。
「……ああ、なるほどな。神夜さんの意図がなんとなくわかった」
『僕に……真実を見せようって、言うのかい』
「だろうな。……それも、語ることが出来なかった真実を」
『語ることが出来なかった……真実……』
その直後、ものすごい雄叫びが聞こえた。それは九重市全体を揺るがすほどの音量だというのに、住宅街の人々が起きる様子はなかった。ただ、過去の神夜や和泉達にははっきりと聞こえていた。
その条件には心当たりがある和泉。過去の神夜を追いかけつつも、優夜にしっかりと説明しておいた。
「ガルムレイから来たやつってのは、3日ぐらいはこの土地の人間に感知されない……っつーのは、流石に知らねぇな?」
『知らない。……僕がベーゼに聞いたのは、父さんがガルムレイの人間であるということだけ』
「そうか。まあ説明したとおりなんだが……」
ちらりと目線を向けてみると、過去の神夜の前を立ちふさがる黒い大型の獣の姿。和泉や優夜には何の影響も及ぼさないので何ら問題はないのだが……何故か、神夜は誰かをかばうように両手を広げた。
黒い獣はそんな神夜に向けて突進してくるのだが、それを受け止めたのが勇助。ギリギリで追いついて、神夜が殺される未来を回避したようだ。
『っぶねぇ! 大丈夫か、ジン!』
『大丈夫! このまま一気に片付けよう!!』
過去の神夜は……そのまま、戦いを始めた。己の嫁が危篤状態であることを知っているにも関わらず、その場を離れることも、誰にも告げることもせずに、竜馬と勇助と連携を取って世界に害をなす黒い獣を討伐していたのだ。
その光景を見た優夜は……何も言えなかった。自分の父が何をしていたのか知っても、やはりその心に宿った憎しみは消えることは無いようで。
そんな彼に対して、和泉は小さく納得した。何故彼が帰ることなく、ここで討伐すると決めたのか……その理由に。
「……あの人は、わかっていたんだ。どちらを取れば被害が大きくなるのかを」
『それは……』
「お前のお袋さんを選べば九重市に甚大な被害が出て、今の俺達に平和なんて無い。ここで食い止めるのが最善の対策だと……未来予知で見えていたんだろうな」
『だったら……だったら、言ってくれればいいじゃないか!! 危険な仕事をしていること、街を守るためにやっていることだって!』
「それを伝えたとして、あの頃のお前は……その話を、信じられたか?」
『っ……それは……』
優夜は言葉が詰まった。和泉の言うことも最もなのだから。
例え父が街のためにこうして戦っていると知ったとしても、話の全容はにわかに信じることは難しい。今は既に異世界ガルムレイのことを知っているから信じることは出来るが、当時の彼には異世界からやってきた化け物を倒している話を聞いたとしてもおとぎ話か何かだと流してしまうことだろう。
だからこそ、神夜は黙っていた。優夜が真実を知る日は既に予見していたため、彼はその日が来るまで何も言わず、自分を悪に仕立て上げようと。その結果……優夜は闇落ちの一歩手前まで来てしまったわけだが、神夜にとってはこの未来さえもお見通しなのだろう。
「……難儀だよな、未来が見えるっつーのも」
『…………』
「まあ、なんだ。話し合いの場は俺が設けるから、まずはお前の中からベーゼを追い出さねえとな」
『……イズ君』
過去の神夜達が黒い獣を討伐し終えると、神夜はなにもない空間――和泉と優夜のいる場所に向けて、柔らかな微笑みを残していた。
彼はこの時点で既に見えていたのだ。自分がこうして黒い獣を討伐したことで、息子とその友人がこの過去を見に来る未来を。
そんな微笑みに優夜は……何も返せなかった。手を伸ばすことも、言葉も返すことも、自分がやってはいけないと思ってしまって。自分の思い込みで父を傷つけていたことを知って、余計に自分自身に突き刺さっていた。
『っ……』
去ろうとする過去の神夜に向けて、優夜はなにか言葉を発したそうにしていた。
しかし、いざ言葉にしようと思うとなかなか言葉というのは出てきてくれないもので、喉が小さく鳴るだけだった。
言わなければ、きっと後悔する。
そんな気がしてしまって、優夜は必死で言葉を出そうとしていた。
そんな中で、数歩進んだ過去の神夜がこちらを振り向いた。和泉は首を傾げたが、彼の視線が自分ではなく優夜に向いていることに気づいた和泉は、彼の言葉を待った。
『ねえ、聞こえてるのかな? 未来から来た、優夜とその友人君。聞こえてるならそのままでいいから、聞いてほしいんだ』
先ほどと変わらぬ柔らかな笑み。瞬間、その言葉に胸が刺さるような思いをした優夜は、一歩だけ足を下げた。聞かなければならないのに、ここから逃げたいという感情が彼を支配する。
だがそれを、和泉が止めた。優夜の後ろに立って逃げ道を防ぎ、神夜の言葉にしっかりと耳を傾けてほしいから、と。
「聞いてやれ。……多分、もう聞けない言葉だ」
『でも、これは』
「過去だ。……けれど、面と向かって言えないから今言うんだろう。後悔をしたくないなら、聞いてやれ」
『…………』
和泉の言葉で、どこか安心感を得た優夜。逃げ出そうとしていた足を一歩前に出すと、過去の神夜の言葉に耳を傾けた。
まず、彼は謝った。見捨ててしまってごめんと。守りきれなくてすまない、と。
優奈の死に間に合わなかったのは、自身の呪いに引き寄せられたさっきの獣が原因だったことを、しっかりと謝罪した。
『キミはこの後、僕に凄まじい罵詈雑言を並べ立てるだろう。僕を永遠に許さないと誓うだろう。……でもね、僕はそれでも構わない』
『え……』
『僕は生涯永久に、永遠に、誰かの敵なんだ。キミが僕を恨むことで優奈を忘れないのであれば、僕はそれでもいいんだ』
「……神夜さん」
『キミたちがどの時代から来たのかは、今の僕にはわからない。でも忘れないで欲しいのは、僕は――』
そこまで言ったところで、過去の風景と神夜の姿が真っ黒に染まり……最後の言葉を聞くことなく、過去の再現は終わり再び優夜の精神世界である宵闇の空間へと戻ってきた。
和泉の前にいたはずの優夜は消えており、代わりとして神夜……ではなく、イズミの姿が残っている。どうやら神夜は《
そして彼が引きずり回していた黒い優夜の姿は、何処にもなかった。神夜が引きずった影響で消えたのか、それとも逃げ出したのか……真相はわからない。
だがイズミが言うには既に優夜の中にベーゼはいなくなっており、外に出ていった可能性が高いとのこと。そのため残る作業は、優夜に対してあることを告げるのみだった。
「あること?」
「俺が元は闇落ち……っつーのは、前に話したな?」
「ああ。……まさか」
「そのまさかだ。コイツが既に黒の涙を流していることは和馬達の調査からもわかっているからな。……しばらくは人を愛することも、愛されることも厳禁だ」
「マジか……」
空を見上げ、優夜の様子を確認する和泉。優夜からの反応はないが、ひどくショックを受けているだろう、というのは友人だからなんとなくわかっていた。
和馬と一緒にいることを怖がらなければいいが、と少々不安げな声を上げた和泉。伝えることは伝えたのであとは帰るだけだと思ったのだが……ここで、問題が。
「すまん、俺どうやって帰ればいい?」
そう、帰り方がわからない。
無意識のうちに力を使って、無意識のうちに優夜の精神へと入ったのだから精神世界からの脱出方法なんて知らない。こうしてイズミが来なければ、彼は優夜に追い出されるまでこの精神世界にとどまり続けることになってしまっていたのだ。
和泉の言葉を聞いて大きくため息をついたイズミ。帰り方やら何やらを考えない猪突猛進な性格なんだなと一言つぶやいた後、叱っておいた。
「なんで帰り方わからないのに入ったんだお前」
「いや……優夜に呼ばれた気がしたから手を伸ばしたら、いつの間にかここにいただけで……」
「ある種の天才だよ、お前。……しゃーねえな、俺の手を離すなよ」
和泉の手を引いて、出口を探し出すイズミ。人の精神を抜け出すための扉は必ず何処かにあるというので、彼は経験と勘を頼りに探しだす。優夜のように複雑な感情を持ち合わせており、且つ多少の知識と知恵を持っている者ならば大体空を目指せば扉が見つかるということらしい。
本当に空に扉なんてあるのか? と疑問の声を上げた和泉。何の気無しに空を見上げてみれば……優夜が2人のやり取りを聞いていたのだろうか、睦月邸の扉と全く同じ扉が存在していた。
「マジであった」
「な? まあ聞いてたからっていうのもあるかもしれねぇが」
「でも、どうやってあそこまで……」
「こうする」
「え」
そう言ってイズミは地を蹴って、思いっきり高く跳んだ。本来ならば人の跳躍では届かないような距離に扉はあるのだが、全く問題なく扉まで飛び上がることが出来た。
驚きすぎて何がなんだかとなっている和泉。同じように地を蹴ってみれば大丈夫だとイズミに言われたので、少し強めに蹴って跳んでみると……少々高く飛び上がったが、問題なく扉へと辿り着くことが出来た。
扉を開けば、その先に見えるのは紺青の闇。青く輝く海の中、深く深く進んだ先にある光の届かぬ闇のような色が扉の先に広がっている。進めば自分の体に戻れるのだろうが、少々勇気がいる。
これに入るのか、と聞こうとした矢先に和泉はドアの先に蹴り飛ばされて宙に浮く。言葉にならない悲鳴を上げながら落ちていった和泉を見届けた後、イズミはきっぱりと言った。
「どうせ色々言って入るの遅くなるし、こっちのほうが手っ取り早いんだわ」
そう言ってイズミも同じように、扉の先の紺青の闇に飛び込んだ。
***
一方そのころ、睦月邸。
しんと静まり返ったリビングで眠る男達を見守り続けているアルムがいた。
優夜を連れ戻してから約3時間。アルムはずっと、和泉達の側にいて彼らの目覚めを待ち続けていたのだという。
既に午前2時を過ぎており、睦月邸の住人達は眠りについている。しかし彼女は眠い目をこすってでも、彼らの無事を祈り続けたいと言ってリビングにいることにしたのだ。
……とはいえ明かりをつけると少々眩しさが強いというので、遼と響が使っている蝋燭を借りて僅かな明かりで過ごしていた。
もうすぐ針が3時を指し示す。そんな折に、水分補給に来た和馬がリビングを通ってキッチンへと向かってくるのが見えた。まだ眠っていないアルムに対し、彼は麦茶を用意してくれた。
「ありがとうございます。……寝ないんですか?」
「それはこっちの台詞だな」
「うぐ。……ええと、あたしは眠いんですけど、眠れなくて」
「そうか。俺と同じだ」
「え……」
ちょっと失礼、と椅子を持ってきて、和馬はアルムの近くに座って蝋燭の火を見つめる。ゆらゆらと揺れる火を見つめていると、ぽつりぽつりと今の心境を話し始めてくれた。
「いや、実はさ。……和泉と優夜が戻ってこなかったらどうしよう、って思ってて」
「それは……」
「わかってる。杞憂だってことぐらいは。……でも、今目の前で起きていることは、俺たちにとってはもう未知の現象だからな。不安になってしょうがないんだ」
「……でも、必ず戻ってきますよ。イズミ兄ちゃんが、きっとなんとかしてくれる」
「だな。……お前がそう言うなら、きっと大丈夫だ」
うん、と納得する和馬。イズミに対する信頼はまだ持ち合わせていないが、アルムの言葉を信頼して彼を頼りにすることにした。
と、ここでふと、和馬は何の気無しにアルムとイズミの話を聞いてみようと思い立って、話を進めた。眠れないし、イズミも和泉も優夜も聞いてないだろうからと、眠れぬ夜の暇つぶしとして。
アルムは特に気にすることなく、イズミとの出会い、彼との過ごし方、更にはベーゼとの戦いで起こった出来事等、色々と語った。大好きな人のことを話すと際限がなくなるのだろう、興奮気味に語るアルムの話を和馬は楽しく聞いていた。
「それで、イズミ兄ちゃんは靄になったベーゼにガッツリ一撃! そこで全部が終わったと思って……いたんですよ?」
「で、平穏無事に過ごしていたら現在このザマと」
「そうです。もう、ベーゼは絶対許さないです。ココだけの話、ベーゼを作り出してしまったレイさんも許せなくなりました」
「おぉう……」
残酷な真実を聞いてしまったぜ。と言いたげな顔をした和馬。これをレイ本人が聞いていたらどうなったんだろうと思ったが、ある種の自業自得なので別に問題ないか、という結論に至った。
そうして語ること、30分ほど。目の前のソファでゴトリと何かが落ちる音が聞こえてきた。
何事だと思って和馬が咄嗟に電気をつけてみると……横になっていたイズミがソファから落ちている。ついでに足場にでもしたのか、和泉の頭に蹴りを入れている。
「いってぇ……横になった覚えなんかねぇのに……」
「神夜さんが横にしてくれてたからな。……終わったか?」
「ああ、終わった。……が、目覚めるかどうかは俺にはわからん。時間も時間だし、少し寝るだろ」
「そうか。……そうか」
目覚めるかどうかわからないという言葉に、少しだけ胸が締め付けられた和馬。頭の中を整理したいからとフラフラと廊下に出ては、自分の部屋に戻っていった。
それを見届けたアルムは心配なので追いかけようとしていたが、それよりもまず、イズミにとっ捕まってしまう。……こんな時間まで何故起きているのか、と。
「あ、えーと……えへへ」
「笑って許される年齢は終わってるだろ、お前。……ほら、もう寝るぞ。こいつらが起きたときにまた起きればいい」
「はぁい……」
イズミに叱られるのが1番怖いアルム。ここで怒られるよりは従うほうが良いと判断したので、そのまま借りていた部屋に戻って眠ることにした。
彼女が次の日寝坊したのは……ここだけの秘密である。
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