第31話 宵闇広がる世界


 ――目が覚めたときには、そこは何もなかった。



 和泉は何が起こったのかわからぬまま、目を覚ます。

 頭が目の前の出来事を把握するまで、数分。ここに至るまでに何が起こったのかを考えるのに数分。周囲の探索をしようと思い立つまでにいろいろなことを思い返していた。


 足元は夜、空は夕焼けという不可思議な空間に和泉は立たされている。

 ここが何処なのか、そもそも山の中にいたはずではないのかと考える中で、声が聞こえてきた。



『驚いたな……お前も使えるなんて、知らなかったぞ』


「……イズミ?」



 イズミの声に周囲を見渡すが、彼の姿は見当たらない。むしろ彼の声はそこにいるからではなく、空間全体に響き渡っているような、そんな感じだ。


 どういうことなのかと話を聞いてみれば、和泉は現在優夜に対して精神干渉を行っており、和泉の精神をまるまる優夜の精神の中に入れているのだそうだ。

 じゃあイズミは入ってこないのかと聞いてみるが、彼は道具を使っての干渉を行っているため、イズミ自身の精神が入ることはないのだそうだ。



『とはいえ、やばくなったら俺もそっちに向かう。今は外から優夜を押し留めておくから、お前はベーゼの対処を頼む』


「……っつってもなあ……」



 ――こんなことになるなんて、誰が考えた?

 そう呟こうとして、言葉を飲み込んだ和泉。視線を向けた先に薄っすらと見える光が、彼の言葉を阻害していたのだ。


 何をどうすればよいのかなんて分からない。だからこそ、彼は光の見える先へと進むことを決意した。



「……優夜、悪いがちょっとだけ邪魔するぜ」



 親しき仲にも礼儀あり。

 和泉は優夜に向けて色々と謝罪の言葉を向けた後、宵闇の広がる世界を歩き始めた。



 ***



 一方その頃、九重市の裏山。

 和泉が優夜に覆いかぶさるように倒れたところから始まる。



「い、いじゅみ……だいじょぶ……?」



 猫助が声をかけてみても、和泉には何の反応も示さない。むしろ彼は眠るように呼吸が小さくなっており、その様子に気づいたイズミが優夜の身体から剣を引き抜いて和泉の身体を確認する。


 すると、和泉は自分の精神をまるごと使った精神介入を行っているようで、今現在は優夜の精神の中に入り込んでいるのだという。

 優夜が作り出した闇の種族を全て蹴散らしたアルムもまた、和泉の様子を確認し……その様子がイズミが使う精神介入と似ていると伝えた。



「なんで和泉が使えてるんだ……?」


「それはわかりませんが……もしかしたら、イズミ兄ちゃんと魔力構造が同じっていうのが、関わってるのかもしれません」


「はにゃ、あの珍妙不可思議な検査結果。レイさんもベルも結局わかんなくて首傾げてたよね」


「……となると、俺が武器転送使えてるのもコイツが影響してる可能性が高い、か」



 剣を振るうと、一瞬のうちに収納された2つの剣。和馬も猫助も驚いていたが、この技術がアルムも使えるはずなのに使えないことを知って、余計に驚いていた。

 しかしそれは和泉とイズミに何らかのつながりがあるのではないか、と和馬は予想を立てて考察を開始するが……それよりも前に、神夜が止めた。ここで考察するよりは、一度帰ったほうが良いだろうと。



「優夜も血まみれだし、なにより……温かいご飯、作ってあげたくてね」


「あ……」



 血まみれなのは、お腹が空いていたからだろう。神夜はそう仮説を立てて、優夜の身体を持ち上げて下山を開始。和泉の身体は、なんとアルムが軽々と持ち上げる。

 イズミが持ち上げればいいんじゃないかという声も上がったが、今現在彼は優夜から離れることが出来ない。そのため、イズミとほぼ同じならとアルムが持ち上げることになったそうだ。



「どうよ、そいつの身体は」


「うーん、イズミ兄ちゃんよりちょっと軽いかな?」


「和泉の身体を平然と持ち上げる王女……」


「いじゅみ、起きて事実を知ったらショック受けそう……」



 神夜の車と和馬の車、それぞれに乗り込んで睦月邸へ戻る。その際、他に出ていたメンバーにも連絡を入れて呼び戻しておいた。

 帰宅後は優夜にこびりついた血を洗い流す作業から始まった。口まで真っ赤に染まっていた彼の身体は、丁寧に、ゆっくりと神夜とイズミが洗い流す。


 そんな折に、イズミは神夜にだけ事実を伝えておいた。

 優夜の口周りについた血の真実を。



「……闇落ちになると、どうしても、肉を食いたくなる衝動に駆られる。それは人が加工した肉とかじゃなくて、生きた肉、目の前で自分が殺した肉を」


「優夜は……何かを殺して、食べてしまった?」


「ここまで血を付けてるとなると……我慢の限界、だったんだろうな……」



 ――人を狙わなくて、よかった。

 イズミはぽつりと、小さく呟いた。

 己が闇落ちとなった時の状況を思い出してしまったのか、手が止まってしまう。


 彼の場合は飢えすぎて、獣だけでなく人まで喰らっていた。

 大人も子供も関係ない。自分が喰えると判断した者達は、皆自分の養分となってもらっていた。

 そうすることで飢えが満たされることは、何故か、本能的に知っていたから。


 でもそうしたことで、人という存在から自分が遠くかけ離れてしまう。

 今、自分が人の姿を保てているのはある種の奇跡にも等しいわけで。


 だから、『優夜が人を喰わなくてよかった』。

 そういう思いを込めて呟いていたようだ。


 神夜はそんなイズミに向けて、優しく、息子を撫でる時と変わらない撫で方で彼を撫でてあげた。やってしまったことを悔やんでもしょうがないからと、現在を見て欲しいと、息子のことを考えてくれてありがとうと、そう伝えるかのように。



「――……」



 撫でられたイズミは……涙を零した。

 闇落ちとなった時に自分が喰らってしまった者達を思い出して。

 己が過去、何をしたのかを思い出してしまって。

 世界から呪われ、運命からも呪われた存在である自分を、こうして優しく慰めてくれる人がいることが、嬉しくて。



「す、まない……なんか、急に、涙が」


「ううん、いいんだよ。涙を流せるのは、人である証拠だよ」



 アルム以外にも、過去に囚われ続ける自分を認めてくれる人がいる。

 アルム以外にも、自分を人間だと認めてくれる人がいる。

 それを知れたことが、あまりにも嬉しくて。

 いろいろな感情がぐちゃぐちゃになって、イズミの中でまぜこぜになった。


 小さな声で、顔を下ろしたまま彼は涙を零す。神夜には泣いている様子を見られたくないということなのだろう、しばらく手を止めていた。



「……悪い。もう少しだけ、俺を現在いまに繋ぎ止めてくれないか」


「うん、構わないよ。……でも、あまり長く泣いてちゃ、ダメだよ?」


「わかってる……」



 優夜の身体を優しく洗いながら、神夜はイズミをゆっくりと撫でて、現在いまに繋ぎ止める。誰も彼もが敵じゃないと教えながら、ゆっくりと、優しく。



 ***



 その頃、和泉はずっと、ずっと歩き続けていた。

 宵闇の広がる世界、優夜の精神世界の中を、光に向かって。

 手帳に状況を書き記しながら、出来る限りの考察をしていく。


 しかしその後、ぴたりと足を止めた和泉はイライラした様子で手に持っていた手帳を足元に叩きつけた。



「……いや、辿り着けねぇんだわ!! なんで見えてるのにいつまでも辿り着けねぇんだよ!?」



 あまりに長く歩き続けたものだから、べちん、と床を叩く。一体いつになったらゴールが見えるんだよと言いたくなる程に歩いたために。


 小さな光がぽつんと浮いているのは見える。そしてそこへ向かえば何かが起こるというのもわかる。

 けれどなんで辿り着けないのか、というか光がさっきから大きくなっている様子が見えないんだが? という疑問が浮かび、足を止めてツッコミをしたのが今。


 労力が凄まじくて、和泉はそこで一旦休憩を取った。優夜を助けるためにベーゼを何とかしろとは言われたが、ここで精神力を消耗させては負けるのが目に見えているための休憩だ。



「……ふぅ……」



 疲れから、ため息をついた。我ながら何をしているんだろうと考えたが、過去のこと――探偵業を共にした相棒を亡くした時を思い出すと、もう二度とあのようなことは起こすわけにはいかないと、心が騒ぐ。


 如月探偵事務所。もともとは和泉と相棒・水無月春樹みなづきはるきと共に開いた探偵事務所だった。

 15歳の時に知り合い、2人で何かをしようと目標を立てて、2年前に事務所を設立して……ある狂乱事件に巻き込まれて、春樹は死んだ。


 春樹を守るチャンスはいくらでもあった。なのに、守ることも出来ず、ただただ彼が死ぬのを見届けるしかなくて、それを今も尚引きずっている。


 今、自分は優夜を助けるために手を出している。ここまで来たからにはその手を離すことはしたくない。それが彼を突き動かす心理のようだ。



「……お前を春樹のように……助けられなかったなんてことには、させねぇからな」



 決意を口にした和泉は休憩を終わらせ、もう一度立ち上がって見えている光に向かって歩く。今度は必ず光を掴むという気概を抱え込んで。



 そうして、ようやく彼は光に辿り着いた。

 淡く輝く光。文月優夜という男の中に存在する、暖かな『優しさ』に。



「……待っていてくれたのか、俺のことを」



 今現在、優夜の精神はイズミによって眠らされている。なので本来ならば精神世界といえども彼が目覚めることはないため、目の前にある光は彼を構築するための僅かな欠片に過ぎない。

 しかし、眠っていても和泉を手助けしてあげたいという『優しさ』が、光となって彼を導いていた様子。その証拠に、和泉が近づくと柔らかな寝息が聞こえてくるのだ。



「……ありがとな。お前はやっぱり、名前の通りのやつだよ」



 そう言って微笑んだ後に和泉は後ろを振り向き、いつの間にか存在していた真っ黒に染まった優夜に向けて睨みつける。それが優夜ではないことは、誰よりも自分がよく知っている。

 優夜の姿をした何かは無言でナイフを取り出して、構える間もなく和泉に向けて攻撃を開始する。彼が敵であること、排除しなければならない存在であることを本能で感じ取っているのだろう、容赦なく喉や目を潰すように動いていた。


 さて、どう動いたものかと悩む和泉。ベーゼを何とかすると言われても、何をどうすればいいのか分からない。そもそも、目の前に存在する優夜に攻撃を加えても良いものだろうか? その部分さえもわかっていないのだから、余計に手出しができなかった。



(……どうしたもんかね。優夜が起きていればワンチャン、説得が通じないか試せたんだが……)



 頭の中で考える。身体はしっかり、行動する。

 この場を生き残り、且つ優夜を救う方法を考えて。

 自分も優夜も無事に元に戻るように動く。


 そんな折に、イズミの声が聞こえてくる。外では既にあらゆる事を終わらせた後なのだそうで、そろそろイズミも介入するとのこと。



『ただ、ちょい時間がかかる。あと5分ほど凌ぎきれるか?』


「んなこと、言われて、もっ、だなぁ!?」



 職業柄、こういう時間稼ぎはよくやるから慣れてはいる。しかし5分もの間凌ぎきれるかと言われたら、正直ここに至るまでに体力や精神力を削いでしまっているためになかなか難しい。

 今も尚、黒い優夜の攻撃をギリギリで躱せている状態だ。皮膚を切り裂くことはなくとも、衣服はどんどん切り裂かれてしまっている。故に、イズミにはもっと早く来いと叫んでおいた。


 イズミは彼の切羽詰まった様子に急ぎ準備を始める、とだけ伝えて声を届けなくなる。それからはしばらく、黒い優夜と相手をし続けておいた。



「おい、ベーゼっつったな! さっさと優夜の中から出ていけ!! そんでイズミの方にぶん殴られろ!!」



 回避行動を取りながら、言葉で揺さぶりをかけてみる作戦。今の自分に出来ることはこれぐらいだから、イズミが来ることを悟られないように和泉は動き続けた。



『――して……』


「ん?」



 イズミではない誰かの声が聞こえたため、和泉は大きく距離を取るために黒い優夜を蹴飛ばし、声に耳を傾けた。

 その声の正体は、優夜。目の前で和泉に攻撃をしている優夜ではなく、本人そのものが和泉に向けて声を上げているようだ。イズミの精神介入が一時的に途絶えた証拠でもあるのだろう、彼は和泉に向けて何度も『どうして』と声をかけ続けた。



「どうして、と言われてもな。俺がダチ思いってのは、お前もよく知ってるだろう」


『でも、これは僕の問題だ。キミが介入する必要なんて……』


「無くはない。お前が人を捨てることになる、なんて聞かされて……見捨てるバカが何処にいるよ?」


『それ、は……』


「和馬だって、遼だって、猫助だって、響だって、お前のことを心配していたぞ。……特に和馬は、お前のことを気づけなかったからと苦しみ続けていた」


『っ――……』



 宵闇の世界が僅かにグラリと揺らぎを見せる。和馬が心配してくれたという言葉、それだけでも罪悪感で心が満たされてしまいそうになる様子だ。

 だから、彼に一緒に謝りに行こうと優夜へ声をかけた和泉。しかしそれを遮るように、黒い優夜が和泉に向かって突進、ナイフを脇腹へと突き刺した。



「ぐっ……?!」



 精神世界だけれど、痛みは広がる。血が滲むことはなくても、じわり、精神が崩れ落ちていくのがわかる。

 和泉は黒い優夜を突き飛ばし、刺された箇所に手を当てて止血と同じ動作を行う。それでも、ざらざらと自分の精神が崩れたなにかが指の隙間からこぼれ落ちてしまっていた。



「くそっ……ここで倒れるわけにゃ……いかねえ……」



 目の前が少しだけ歪む。痛みのような感覚が身体に広がる。自分の精神全体が徐々に崩れていく。

 それでも和泉はしっかりと足に力を入れて立ち続ける。目の前にいる黒い優夜が消えるまでは、絶対に負けないと。


 そんな和泉に対し、優夜は悲痛な声を上げる。自分の精神世界の中で親しい友が刺される光景を見ることが恐ろしくなったのか、今にも泣きそうな声で和泉に訴えた。



『もう、やめて! イズ君、お願いだから僕の中から出ていってくれ!!』


「悪いな、出方わからねぇままで入ってるから、出ようにも出れねぇんだわ」


『じゃあ、僕が追い出してあげるから! 早く、ここから出ていって!!』


「そうしたって出ていかねぇのはわかってんだろうが!! テメェの中にいるコイツをぶっ倒すまで俺は出ていかねぇよ!!」


『っ……』



 言葉に詰まった優夜。彼の動揺が黒い優夜にも伝わっているのか、姿がぐらりと揺らぐのがよくわかる。

 だからこそ、和泉にこれ以上喋らせるわけにはいかないと再びナイフを突き立てようとした……その時だった。


 和泉と黒い優夜の間に光が溢れる。

 その光は2人の視界を遮り、真っ白に染め上げて何もかも見えない状態を作り上げ……1人の男を、作り出した。



「ああ、もう。本当にキミ達は僕に似てるなぁ」


「……!?」



 和泉も、黒い優夜も目を疑った。

 ここで現れるはずなのは、イズミだ。それなのに光はイズミではなく神夜を作り出したのだから。


 足が止まったその一瞬のうちに、神夜は黒い優夜に蹴りを叩き込む。

 『それ』が本当の優夜でないことを知っているからこそ、息子の姿を象っているのを見てしまった以上、生かしておくわけにはいかないと。



「あ、和泉君。ジャック君からの伝言」


「え、は?」


「僕がこうして来ている以上、今度は優夜を止めるのはキミだ、ってさ」


「うげっ、マジで!?」



 神夜の柔らかな微笑みと同時に、宵闇の空間が歪む。

 どうやらイズミの抑えが無くなったことに気づいて、優夜が動き出した様子だ。何が何でも和泉と神夜を追い出そうと、空間の中に圧縮した風の刃を送り込む。


 和泉は回避を、神夜は黒い優夜を盾に取って風の刃の直撃を免れているが、それも何処まで持つか。こうなってしまってはやむを得ないと、和泉は思い切って神夜に1つ提案を示す。


 ――イチかバチか、優夜に向けて《預言者プロフェータ》の力を逆流させて過去を見せるという、歴代の持ち主でも思いつかなかった荒業を。



「……かなりバチ当てな賭けになりますけどね!!」


「いいね、悪くない! 僕はそういうの大好きだよ、和泉君……いや、次期会長候補!」


「だからそれ言うのやめてくれって言ってんだよなぁ!!」



 男達2人は走り出す。

 宵闇が夜へと切り替わる空間の中を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る