第?話 黒に染まる
―――眠れなかった。ただ、それだけ。
優夜は唐突に、なんの予兆も無く目が覚める。
枕が変わって寝付けなかったからなのか、それとも彼がここで目を覚ましたことは何かの始まりなのか。それは誰にもわからない。
少し散歩に出かけようと、ゆっくりと立ち上がって扉を開ける。近くを警備していた兵士に一言断りを入れ、城の裏手口から外へ出る。
真っ黒に塗りつぶされた夜空には、細かに散りばめられた星と……ひときわ目立つ青色の月と白色の月が、辺りを微かに照らしていた。
「……月が、ふたつ……」
九重市では絶対に見ることの出来ない光景。それが今、優夜の目の中に映されている。
異世界に来たという事実を受け入れるのに少し時間がかかっていたというのに、輝く2つの月のおかげでここがはっきりと九重市ではないのだと理解する。
風でなびく髪をかきあげた時、ほんの僅かに優夜の脳裏には母を亡くした時の記憶が通り過ぎる。
あの日も同じような満月。母の優奈が最期に月が綺麗だと言ったのは、今も忘れることが出来ない。
「……母さん……」
ぽつりと母に呼びかけた途端、優夜の胸に突き刺さるような痛みが走る。
何もしていない、ただ空を見上げて母を呼んだだけだというのに、息をするのも辛くなるほどの痛みが優夜の身体を駆け抜けた。
その後、彼の瞳は月から逸れ、地を見下ろす。その時にぽたりと、彼の目から雫が落ちるのだが……その雫の色は、黒い。
「……え……?」
涙が黒い。拭い去った後に理由を考えようとしたのだが、突然酷い目眩が優夜に襲いかかった。
頭の中をぐるぐるとかき混ぜられるその感覚は、まるであの時……買い物で神夜に出会い、逃げた後に襲いかかってきた目眩の感覚そのものだった。
頭の中では母・優奈のことを愛していたはずなのに、気がつけば彼の心は父・神夜への憎しみで埋め尽くされていた。
憎い。憎い。あの男が憎い。
文月神夜という男が憎い。殺してやりたい。
あの男の存在すら、許してはならない。
あの男は、僕と母さんを愛さない非道な男なのだ。
まるで別の自分が代弁するように頭の中で叫ぶ。自分が考えている言葉ではないのに、何故か、誰かがスラスラと喋っている。そんな気がしてならない。
「や……やめろ……。僕は……僕は……!!」
違うと、叫びたかった。
違うと、否定したかった。
違うと、考えを変えたかった。
けれど彼にそれは、出来なかった。
既に文月優夜という男の心の中には、ガルムレイでは闇の種族の王と称される者が住み着いていたから。
否定を否定して、優夜の心の中を憎しみだけにしようと画策する者―――名を、ベーゼ・シュルト。アルムとイズミとの因縁を持つ者が、優夜を操作していた。
『違うというのなら、僕を受け入れることはない。キミは、父親を殺したくて仕方がないはずだ』
「そ、れは……」
『契約の時に、キミは強く願っていただろう?』
「…………」
ベーゼとの契約。
優夜はあの日、目眩で倒れた僅かな期間にベーゼに魅入られ、身体に住み着かれた。神夜に対する強い憎しみの念が彼を引き寄せたのだろう、契約はすぐに履行された。
しかし、ベーゼは思念体の存在。魔力の補給が九重市では出来ない上に、異界の人種への接触故に魔力が不足してしまい、強制的にガルムレイへと連れてくることになったという。
せめてアルムだけはどうにかしたかったとベーゼは言う。だが、魔力不足で思念体を維持できなくなればそこで終わりだからと、今回は無理をしない方向で決めたようだ。
『僕の復讐を果たすためには、キミという存在が不可欠。彼らへの復讐を済ませたら必ず、キミの憎悪の昇華をお手伝いしてあげよう』
「…………」
『ああ、でも。僕はまだまだ本調子じゃないから、キミのほうが先になるかもしれないね? ……僕を見張る者はアルムとイズミだけじゃないから、動きづらいし』
「……それは、どういう……」
どういう意味だと聞こうとした矢先、強い風が通り抜ける。
言葉を遮られ、身体をよろめかせた優夜はバランスを崩して倒れそうになったが、誰かがそれを支えてくれた。
優夜は思わず顔を見上げ、支えてくれた相手の夕日のような瞳に見入ってしまう。
海のような青い髪と朱と金が入り交ざった不思議な瞳を持ったその相手は、優夜の瞳をじっくりと眺めた後に体勢をゆっくりと立て直させる。
「大丈夫かい? この季節、この国では突風が起こるから気をつけてね?」
「あ……すみません、ありがとうございます……」
―――今の会話を、聞かれなかっただろうか。
ただただ、優夜はそれだけが不安になった。
己の中にいる者と会話しているとなれば、それは独り言にしか聞こえないだろう。だが、ベーゼが最後に言った『見張る者はアルムとイズミだけではない』という言葉が引っかかってしまい、目の前にいる彼でさえも警戒心を解けなくなっていた。
そんな男は……優夜の様子を気にも留めず、その場を後にした。ただの通りすがりだったのかはわからないが、優夜はホッとして再びベーゼに語りかける。
「……あれ?」
ベーゼからの反応は……なくなった。先程まであんなにも会話をしていたはずなのに。
いなくなったのかと思ったのだが、言葉ではなく身体に痛みを与えてくることからまだ彼が中に存在するのはわかっている。ただ、言葉を返してこないだけのようだ。
「…………」
―――夜が、更ける。
このまま戻らないのはまずいだろうと、優夜は一度部屋へと戻ることにした。
先程まで寝ていた布団にもう一度潜り込んで、自分の身に起きていることを悟られないように再び眠りにつく……。
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