第?話 堕ちた者


 和泉達が郊外の屋敷にいるその頃。


 スーパー『ここのん』。

 優夜が夕飯の材料を吟味しながら、店内を練り歩いていた。

 今日は竜馬がおらず、遼と猫助と響が仕事のため、買い出し係が優夜のみに限定されていた。


 最近の献立と栄養価をスマホのメモアプリで確認しつつ、材料をカートへと入れていく。



「そういえば、最近お好み焼き作ってないなあ……」



 キャベツ1玉が目に入り、ずっしりと重いものを選ぶ。少しお高いが人数の多い睦月家では1玉がすぐになくなるほどだ。

 ここで買っておいて損はないと、優夜は選んだキャベツを籠へと入れる。


 献立が決まればあとは順調に必要な材料を入れていく。

 なお、睦月家ではそれぞれの味の好みが違うのでそれを調整するのもまた一苦労。

 和馬の場合は紅しょうが抜きのお好み焼きが必要だったり、猫助の場合は豚肉の量を減らしたりなどなど、細かい部分で気にかける必要がある。


 といっても、この調整を行っているのは優夜ぐらいなもので、遼や響、猫助はそこまで気にしたことはない。


 順調に買い物を続けていると、優夜は声をかけられる。……実の父、神夜に。



「やあ、優夜」


「……やあ」



 真壁心療内科でカウンセリングを受け続けているとは言え、未だに父と顔を合わせれば黒い感情が心に渦巻いてしまう優夜。

 スーパーなので、あまり感情を表に出さないように心がけているが、それでもやはり一度訪れる感情を消すことは出来ないようだ。

 顔を合わせないように、なるべく商品を見続けていた。



「へぇ、今日はお好み焼き? いいなぁ、優夜のお好み焼き。僕も食べたいなぁ」


「……仕事は」


「今日はこの買い物が終わったらフリーなんだ。食べに来てもいい?」


「……竜馬おじさんに聞いてよ。僕に聞かれても」



 そっけない返事を返す優夜だが、内心はどうしたらいいのかわかっていない。父親に対する黒い感情を出すことも出来ないし、かと言って過去のことを許してもいいというわけでもない。

 ぎこちない表情が顔に出たまま、優夜はどんどん購入品をカゴへと入れていく。


 神夜も神夜でそんな優夜を気にかけているからなのか、心配そうについていく。

 それが余計に優夜へのプレッシャーになることは重々承知しているが、会話を先延ばしにしていてはいつまともに会話できるかわからないからこそ、ついていくのだ。


 会計へ進む優夜は、響のいるレジへ。今日の夕飯について彼に伝えておけば、遼と猫助にも自動的に伝わる。

 もっと言えば購入品に抜けがないかのチェックも兼ねて、彼のいるレジへと進んだのだ。



「神夜おじちゃんはええのん? めっちゃ張り付いとるけど」


「ああ、うん……。多分、家までついてくる、かなぁ」


「あらら。歩きやったっけ?」


「ん……まあ。今日は和馬がイズ君と一緒に、七星家本家に行ってるからね」


「そういやお父ちゃんも行くって言うてたなぁ。なんやろね、2人揃って呼ばれるなんて」


「さあ……。あ、でもアルムさんも一緒に行ってるから、もしかしたらアレの関係かもしれないね」


「せやなあ。……ん、そういや青のり買ってへんけど」


「えっ!? あ、もう青のりなかったっけ!?」


「あらへんねぇ。後で買うといたる」


「ごめーん、ありがとー……」



 響のチェックによりいくつかの購入物が抜けていることが発覚。優夜は響に謝りつつ、支払いを済ませる。意外と細かいところまで出すのが優夜の癖。


 支払いを済ませたあとは、さっさと店を出る。父に見つからないように、父と鉢合わせしないように、なるべく大通りを通りながら人ごみに紛れて欺く。それが、普段の優夜の通る道。

 少しでも父から離れられるように、少しでも顔を合わせないように。そうやって父親から離れてゆく。



「……こっち、通っていこうっと」



 人ごみの中ばかりを通れば、意図に感づかれてしまうかもしれない。

 そう思った優夜は、大通りを外れて小さな路地へと足を踏み入れる。普段とは違う道を通るため、周囲を確認しながら歩みを進める。

 食材が傷むのを防ぐため、なるべく早歩きで歩いているのだが……。



「……」



 さっきから、誰かが自分を見ている気がしてならない。その視線は父親のものではないとはっきりわかっているのだが、逆を言えば誰のものなのかわからない。

 気分の良いものでもないため、歩きが少しずつ走りへと変化していくのが分かる。

 それでも尚、着いてくる。どんなに距離をとっても、目線がずっと着いてくるのだ。



 ───黒く、心が濁る。

 ───目の前がグルグルと、崩れていく。



 奇妙な感覚が優夜にまとわりつく。

 それは、一瞬のうちに優夜の視覚を、聴覚を、嗅覚を、味覚を、触覚を奪い、彼の自由を奪っていって……最後に残るは彼の感情のみ。


 ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた感情が、大きく肥大して優夜を飲み込む。

 やがて掻き混ぜられた感情の中でも最も強い父親への黒い感情のみが、どんどん強く、どんどん大きくなり……声が聞こえた。



『復讐、果たそうか』



 誰の声なのかはわからない。

 どこかで聞いたことがあるような気はするが、それが誰なのかは今は思い出すことが出来ない。

 ただ、その声が聞こえると同時に押さえ込んでいた黒い感情がまた大きくなってしまって、もはや制御の効かないモノへと変化していた。


 誰かが自分の感情を操っている。そこまでは理解が及ぶのに、それをどうにかする方法が思いつかない。

 優夜は感情の波に飲まれながら、少しずつ己の無力に気づいていく。



 ―――■を失った悲しみが消えた。

 ―――■と■からもらった愛情が消えた。

 ―――■と■への愛が消えた。


 ―――■■への愛が、消えてゆく。



 黒い波に飲まれ消えゆく感情は、誰を失って悲しみ、誰を愛していたのだろうか。

 もはや今の優夜には、わからない。




「優夜さん!!」



 ふと、呼ばれる声に目を覚ました。気づけば全ての感覚が戻っているようで、視覚も聴覚も問題なく機能している。


 目の前には以前家に訪れたことのある男―――ベルディが優夜を介抱していた。

 どうやら優夜は倒れていたらしく、通りがかったところをベルディが助けてくれたのだという。



「あ、ありがとうございます……。僕、どれだけ倒れてたんだろう……」


「そこまで長い時間ではないかと。大丈夫ですか?」


「あ、ええ……ちょっと貧血起こしちゃったみたいで」


「……。」



 ベルディが何かを言いたそうな顔をしていたが、時計を見て優夜は小さく悲鳴を上げる。

 急いで帰って夕飯の支度をしなくては、和馬達の帰宅までには間に合わなくなってしまう。

 優夜はそのことをベルディに伝えながら砂埃を払って立ち上がり、転がっていた購入品を手に再び歩き出した。



 ―――何かを失ったことを、すっかり忘れたまま。

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