第17話 感情の見える男。


 花火の日から数日後、如月探偵事務所にて。

 今日も今日とて、客足が伸びないのがこの事務所。


 というよりも、来てもすぐに逃げ帰るように去っていく客が多く、和泉も頭を悩ませているというのが現状。

 事情については和泉自身なんとなく心当たりはあるものの、それが実際に作用しているかどうかはわからないため何とも言えない。



「お客様、来ないねぇ」


「来ないなぁ……」



 誰も来ない事務所内で、和葉と2人で休憩を取っている。今日は和葉も仕事が休みなため、事務所で書類整理を手伝ってもらっていた。

 とは言っても書類整理は、以前和泉と遼で軽く終わらせている。そのため、和葉はむしろ仕事に来たと言うよりも涼みに来ていると言うのが正しい。


 ふと和葉は時計を見る。今はまだ11時を指しているが、今日のスケジュールを話していなかったことを思い出したため、和泉に告げる。



「今日はあたし、午後には実家の方に帰るね。サライさんが砕牙さんの遠征について行ったから、修理係いなくって」


「あー、そうか、そうだった。玲二さんもあっち行ってるんだよな」


「そうだよぉ。だからお夕飯は和泉兄ちゃんのだけでいいよぉ」


「はいよ。こっちに戻る時はメールな」


「はぁい」



 手を挙げて返事を返す和葉。その様子は誰が見ても、兄妹のやり取りだ。

 実際、和葉の父と和泉の母が兄妹なのでいとこ同士でもある。故に、和葉は未だに『和泉兄ちゃん』と呼ぶ。


 そんなほんのりした空間に鳴り響くは、来客を知らせるベルの音。お客が来た!と嬉しそうに和葉は扉を開け、客を招き入れる。



「失礼、お邪魔致します」


「? はぁい。そちらのソファへどうぞー」



 客は、ベルディ・ウォール。今日は1人で来たようで、付き添いのレイはいない。

 何処にいるのか聞いても、ベルディはレイの行方を知らないという。


 キンキンに冷えた麦茶を出し、和泉と和葉2人で応対する。和葉はまだベルディに会ったことがないため、念の為に彼の素性についても説明しておいた。



「へえ、アルムさんの保護者さんなんですかぁ」


「保護者、と言うと語弊がある気もするんですが……まあ、はい。保護者です」


「実際は騎士なんだっけか。その騎士様が今日は何しにここへ?」


「……」



 ベルディが1度無言になると、言葉を選んでいる様子がみてとれた。

 彼は依頼への言葉をかなり慎重に選んでおり、言い方によっては誤解を産みかねないと判断しているようだ。

 素直な言葉で、と和泉が促してもそれは変わらない。彼はかなり実直な人間のようだ。



「……実は、優夜さんについて、なのです」


「優夜ぁ??」


「優夜さんですか?」



 何故ベルディが優夜について気にかけているのかと聞けば、彼はアルムと再会出来たあの日、優夜の周囲に渦巻く何かが見えてしまったのだと言う。

 その何かについてはよくわからないが、ベルディ曰く『黒い霧のようなもの』なのだそうだ。


 それがどうしても気になってしまい、数日ほどベルディは優夜が勤務しているスーパー・ここのんに入り浸っており、その都度優夜の様子を確認していた。

 初めて会って数日は何ともなかったのだが、ここ最近は黒い霧が優夜を大きく取り巻いているのだという。



「何かあったのかなと思い声をかけようとしたのですが、どうやら黒い霧は私にしか見えていないようで……」


「それで優夜の事情に詳しくて、且つここのんから1番近い俺のところに来たわけか」


「はい。迷わずに来れました」



 えっへん、と胸を張るベルディ。

 和泉は事前に朔から『ベルディは迷子気質』と聞かされていたが、まさか胸を張って答えられてしまうとは思わず、小さく吹き出してしまった。


 当然首を傾げるベルディ。本人は全くもって悪気はないし、出来ないことを出来て嬉しいと表現しただけだったので、余計に和泉のツボに入ったようだ。

 だが、流石に笑うのは失礼に値すると判断した和泉は、吹き出しそうになりながらもベルディへ言葉を投げる。

 当然、ベルディはそれさえも嬉しそうに答えるので、和泉の身体は小刻みに震えている。



「ちょ、ちょっと待ってくれな。ふふっ…。そう、迷わずに来れたんだな」


「はい。今回は地図を少しだけ見ましたが、次からはもう見なくても大丈夫です」


「お、おう、そうだな。俺の事務所の場所、覚えてくれてありがとうな」



 これで難は去った。と思いきや、突然ベルディが首を傾げながら和泉と和葉の頭をワサワサと触り始めた。

 そもそも2人の頭には何もついていないし、撫でられるような事はしていない。

 それとなく和葉がベルディに聞いてみると、少しだけ困った様子で彼は答えた。



「あ、いえ。お2人の周りにオレンジ色の薄い霧のようなものが漂っていたもので……触ることは出来ませんでしたが」


「オレンジ色の……」


「薄い霧……??」



 そんなものがどこに、と2人は顔を見合わせる。もちろん和泉にも和葉にも、何も付いていない。

 ベルディの言うオレンジ色の薄い霧のようなものは、どうやら彼にしか見えていないようだ。


 ふと、和泉は先程ベルディが言った『優夜の黒い霧』について思い出し、考察を重ねる。

 優夜の黒い霧の発生時期を思い出しつつ、今見えた自分達のオレンジ色の薄い霧が発生した理由を考えれば、そこから導き出される答えが1つだけあった。



「ベルディ、お前もしかして、人の感情を見ることが出来てるんじゃないか?」


「えっ」



 初耳だ、と言いたそうな顔のベルディ。この世界に来るまではそんな事は出来ていなかったし、見えるとしても『真実』だけが見えていたという。

 それらを踏まえて、和泉はベルディの力に対してある推測を立てる。『異世界渡航によって能力に変化があった』という推測を。



「真実が見えるってことは、人の感情という真実を見ることが出来ると解釈が取れる。まさに『感情は嘘をつかない』というやつだな」


「でも、そうなるとアルムさんは? アルムさんも何かの能力持ってなきゃおかしくない?」


「アルムの場合は魔法が使えない代わりに、別の能力に変化していると考えるとどうだろう。アイツが使えた魔法は確か……」


「アルム様は火属性の魔術を使用します。ですので変化するとしたら、火に関する事かと」


「ふむ、その辺は明日以降に聞いてみよう。今日は和馬が付きっきりになりつつ、パソコンで遊ぶって言ってたし」



 明日の予定は、と考えつつスマホのメモを開く和泉。その動作がなんなのかよくわかっていないのか、ベルディは首をかしげている。

 異世界の住人の仕草には慣れたつもりだったのだが、ここまで露骨な仕草をされると少しビビる。


 そうして和馬に連絡を入れたあと、間髪入れずに返答が来た。和馬曰く、優夜の様子がおかしいので見に来て欲しいとの事。

 花火の日から時間が経っていると言うのに、未だに立ち直る気配がないのだそうだ。


 先程のベルディが言った『黒い霧のようなもの』についても見てもらいたいため、ベルディに明日以降の日程を聞いてみることに。



「……ベルディは明日以降は空いてるか?」


「明日以降ですか? 新しいホテルを探して場所を覚えなくてはならないので、お会い出来るかどうか……」


「お前そこまで方向音痴なのかよ。……ああ、もう仕方ねぇな」



 一度立ち上がり、事務所の仮眠室への扉を開ける。少し手狭でベッドが乱雑になってはいるが、寝るだけならば問題のない広さだ。

 和泉はどうやらベルディの宿泊先をこの事務所の仮眠室にしてやろうという考えのようだ。


 当然ながら、そこまでしてもらう必要は無いと拒否の意志を見せるベルディ。

 ただでさえアルムが世話になっているのだから、自分まで世話になる訳にはいかないと。

 だが和泉からすれば、迷子気質なベルディにホテルを転々とさせる方が逆に不安だし、それならいっそ空いてる部屋に放り込んだほうがマシなのだ。そこをハッキリと伝える。



「うう……私ってそんなに迷子に見えますか……」


「事務所に来れたことをドヤ顔で報告するのは、まあ迷子の気質がある証拠だな」


「うう……」



 恥ずかしさのあまりにベルディは顔を赤く染めた。目線も和泉と和葉から外れるように、床を向けている。

 だが、どんなに恥ずかしくとも和泉の言うことも最もなのだ。それは否定しないし、寝床を与えられるのならば受け取る姿勢でいる。



「じゃあ合鍵作らなきゃねぇ。あたし、後で作りに行ってくるよ。家の方に行くならついでに立ち寄れるしね」


「ん、頼んだ。一応上の家の鍵も複製しといてくれ」


「あいあいさー」



 和泉と和葉の軽快なやり取りのあと、ベルディが部屋を確認に向かった。手狭ではあるが、自分のいる騎士宿舎と変わりないのだから気にしないとベルディは言う。


 その後、和葉が出かける時間になったため、和泉は一度事務所を閉めることにした。

 ベルディに事務所の中に何があるかを教えておかなければ、後で何が起こるかわからないからだ。



「客が来た場合には直ぐに応答してくれ。俺がいない場合はこの名刺を1枚、渡しておくように」


「めいし?」


「おーっと、名刺を知らない文明だったか。そういや免許証も知らないって感じだったしなぁ」


「何分、身分さえわかれば良いという世界ですので。ああ、なるほどお名前が書かれているのですね」


「それと俺の連絡先な。必要な場合はこっちに連絡するように依頼人に伝えること」


「わかりました。そのようにお伝えすれば良いのですね」



 自分しかいない場合の対処をしっかりと聞き、何をどのように対処するか、どこでどう対処するかと記憶に焼き付けたベルディ。

 難しく考えるのは後にして、とにかく言われたことをやれば良い。ただそれだけを和泉に指示された。


 ふと、時計を見れば夕飯の買い出しに出なければならない時間だ。急いで和泉は準備を始める。



「どちらへ?」


「買い出し。来るか?」


「そうですね、和泉さんが良ければ」


「それじゃ行くか。お前さんもここに住むし、材料多めに買わねぇとなぁ」



 ポツリと呟いて、彼はベルディと共に買い出しへと出かけた。

 その間にもベルディは様々な人の頭に色のついた霧が見えていたようで、首をかしげ続けていたのだという……。

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