第15話 優しい夜の物語。


 数日が経ったある日のこと。

 今日から、如月探偵事務所の休業の札が外れた。


 というのも、サライと砕牙が新しい依頼を持ち込みたかったが休業だからと遠慮していたのが原因なのと、和葉の『そろそろ再開してくれないと家賃死んじゃう』という発言により、再開せざるを得なかった。



「和葉ちゃんって強いなぁ」


「いつまで尻に敷かれてんだよ、お前」


「言うな……。高校時代から割と逆らえねぇんだよ、和葉には……」



 大きなため息をついて2人にお茶を出す。ついでにサライと砕牙が来ると知って前日に買っておいた、3人が大好きな塩豆大福も頬張りつつ。

 新しい依頼についての話は既に終わらせている。なんてことはない、俳優である砕牙のストーカー被害についての話だった。

 砕牙の所属事務所から秘密裏で調査依頼を出し、ストーカー被害を抑えることを目的としているのだそうだ。



「砕牙にもストーカー被害がなぁ、もぐ」


「もぐ。前は和馬っちに頼んで優夜っちに見張っててもらったんだけどさ、また再発したっぽくて」


「優夜に? ……あー、そうか、アイツならその手の秘密裏の行動得意だな。もぐ」


「優夜って確か、もぐ、和馬のサポートもしてたよな」


「そう。たまに和馬には変な仕事が舞い込むから、裏がないか探るのがアイツの役目。神夜さん譲りなのかその手の裏情報を探るのが上手いんだよ」



 和馬を支えるのは、長年付き添ってきた僕の仕事だからね。──それが、優夜の口癖なのだと和泉は言う。

 優夜にとって和馬のそばにいることが何よりの幸せであり、何よりの存在意義なのだろう。和泉もサライも砕牙も、関心の言葉を寄せる。



「あれ、でもさ。優夜っちってここのんで働いてるよな?? 裏情報探りとかやってて大丈夫なのかよ」


「その点は抜かりないらしいな。実際、アイツが立ち寄った場所とか見ても痕跡を一切残してないし」


「うはぁ、優夜っちすっげー。でも無理しないで欲しいなぁ」


「和馬の為とはいえ、身体を壊したら元も子もないからな。和泉からもよく言い聞かせとけよ?」


「俺じゃなくて和馬から言い聞かせた方が早いと思う」


「わかる。優夜っち、和馬っちの言うことを最優先にしてるもんなぁ」



 ぱくりと3人は塩豆大福を食べ終え、ウェットティッシュで手を拭く。美味しかったのか、3人とも満足そうな顔だ。


 だが空いた皿を見れば、みるみるうちに3人の顔がしょんぼりとしていくのが旗目から見てもわかりやすい。

 そうなるほどに塩豆大福は3人の好物なのだ。



「塩豆大福無くなったな……」


「ああ……。なんでこんなに早く無くなるんだろうな……」


「もうちょっと食べたかった……」



 しょんぼりとした男たちの背中は、とても寂しそうだ。

 塩豆大福だけでここまで落ち込むなど誰が想定しただろうか。


 ……しかしそれを予知していたかのように、その男は塩豆大福の入った箱を手にやってきた。



「いーずーくーん、塩豆大福持ってきうわっ」



 あまりの空気に塩豆大福を持ってきた男──優夜がドン引きしてしまう。

 しかし、落ち込む男たちは優夜の手にしている箱を見て、目が煌めいた。



「優夜! それ!」


「ん? ああ、これね。イズ君、最近アルムさんの事で頑張ってるなーと思って、ささやかなお土産。サライ君と砕牙君も食べるかなと思ったから、9個入りだよ」


「ナイスタイミングだ優夜! いただきます!!」


「はい、どうぞ」



 渡された塩豆大福を頬張り、やる気を出した和泉たち。

 そんな3人の様子を見て、本当に好きなんだな、と優夜は小さく笑った。


 そうして食べ終わるまでに、4人は些細な話をした。

 数日の間にアルムと和馬で色々な場所を巡ったりしては、情報の精査をしていたことを優夜から聞く。

 和泉がくれた情報を元に巡っていたため、フラフラと寄り道はしなかったそうだ。



「アルムはまだ外に慣れてないからなぁ。車もそこまで慣れてないだろ」


「竜馬おじさんと一緒に近所を散歩するぐらいだからねぇ。車での移動はあんまりないかな。乗せてもいいんだけど、そうなると和馬が移動手段なくなっちゃうから」


「もう1台持たねぇのかよ」


「昔、雪乃おばさんが盛大にぶつけちゃったから……って」


「あー……納得。和葉と同じ理由だな」


「和葉もぶつけたのかよ」


「神夜さんにぶつけた」


「父さんにぶつけた」


「それはもうぶつけたんじゃなくてただの事故」



 比較的冷静なツッコミが砕牙から飛んできた。

 しかし負けず劣らず、優夜も和泉にツッコミを入れる。



「っていうかイズ君も運転技術相当ダメじゃなかった……?」


「いや俺は別に? 和葉の方が相当なんで」


「お前ら両方とも荒すぎるんだよなぁ……駐車場、月に何回擦ってる??」


「1週間に2回」


「擦りすぎ」


「夜中にヤベー音出してたのお前か」



 これは夜に音を出してた罰だ、と言わんばかりに砕牙が和泉の手から塩豆大福をもぎとり、サライと半分に分けて食べた。

 和泉は逆に擦ってなんぼでは?という顔をしているため、この3人が車庫入れで分かり合える日なんて絶対に来ないのだろう。


 優夜はそんな3人の様子に、小さく笑う。

 10年来の友人である和泉はともかく、サライと砕牙の2人も普段は楽しくしているんだなと思うと、自然と笑みがこぼれたのだと言う。



「そうか? 俺たちは至って普通なんだが」


「でも、僕からしたら自然な2人を見るって言うのはなかなかないんだ。特にほら、砕牙君は俳優さんでスケジュールが合わないことが多いからね」


「下っ端も下っ端、エキストラだけどなー」


「でも僕、砕牙君の出演したドラマ、全部録画してるよ」


「ホントか!? 優夜っち優しい~~!」


「……あれ、でも……」



 サライはふと思い出す。砕牙が出演したドラマには、優夜の父である神夜がエキストラ出演したドラマもあったような、と。


 神夜は元々御影家で執事職を行いつつ、彼の雇い主であり親友の御影俊一が出資している映画監督のエキストラ役で出ることもあった。

 彼の左半身にある火傷の痕がペインティングによって消されたり、敢えて消さないまま出演したりしている作品も多い。


 砕牙と神夜の共演作については、優夜は少し顔を歪ませつつ、撮ってはいるものの見返せていないと答えた。



「ありゃ。まあ、親父さんと色々あるし、仲直りしたら見てくれ!」


「う、うん。ありがとう。ごめんね」



 無理矢理に笑顔を浮かべた優夜に、ぺち、と軽く頬を叩いた和泉。

 優夜が無理矢理な笑顔を見せる時には、必ずこのやり取りが行われるのだ。



「い、イズ君……」


「そういう無理矢理な笑顔はお前らしくないんだよ。だいたいお前、神夜さんの事で今日はここに来たんじゃないのか?」


「うぐっ、バレてた……」


「塩豆大福を大量に持ってくる時点で何となく察してたよ。頼みにくいから、食べながら話したいって気持ちがどこかにあったんだろう」


「……さすがは、和馬のライバルだね」



 今度の笑みは心の底からの笑みだ。自分の隣にいる彼と、同等の存在に対する敬意の現れでもある。


 そうして優夜は、「父との和解を協力して欲しい」と率直な依頼を伝えた。

 心の奥ではきちんと和解したいと考えているのに、頭では父の話が聞こえると怒りが優先されてしまうのだと言う。

 流石に心身問題は探偵の範疇を超えてしまうので、和泉が1度ストップをかけた。



「どっちかと言うとそれは精神科に行ってから、俺に依頼した方がいいと思う」


「うん、まあそうなんだけどー……なんて言うのか、零先生だと不安しかなくて」


「……まあ、零せんせーじゃなぁ……」



 和泉と優夜の言う『零』とは、事務所ビル4階に心療内科を開けている精神科医である。

 新規患者は少なく固定患者しか来ないため、普段は診療所の自室で薬剤関係の情報を得ては纏めている。



「だからさ、イズ君。僕の状況を客観的に零先生に伝えて欲しいんだ。自分で話せるところは話すからさ」


「構わないが、多分零せんせーは神夜さん経由で聞いてんじゃねぇの?」


「うーん、どうだろう。少なくとも父さんの現状は知ってても、僕の現状は知らないんじゃないかなぁ……」


「でも、神夜さんのことだから聞かれなくても優夜っちの事をめちゃくちゃ喋りそうなんだよな」


「あー」



 砕牙の言葉に優夜や和泉ではなく、サライが納得してしまった。

 と言うのもサライは御影邸に修理を依頼された時、必ずと言っていいほど神夜と出会い、そして優夜の話を必ず聞く。


 御影邸で初めて仕事をした日からこれまでに優夜の事を話さなかった日は無いと、サライが断言するほどに。



「いやあの人どんだけ優夜好きなんだよ」


「僕、一人っ子だからねぇ。母さんもそうだったけど、ベロベロに甘やかしてたよ」


「なんでそんなベロベロに甘やかされて育った子が裏情報探りとかしているんです??」


「父さんと母さんもある意味そっち系だし……??」


「神夜さんはわかるけど、おばさんもだったの??」


神巫かんなぎっていう旧姓で、元々は神社の──」


「あーーーはい、わかりました」



 神社と聞いて思い浮かべるは、幽霊等のオカルト系。和泉も砕牙もサライもしっかりはっきりと拒絶の意志を見せた。これ以上聞いてはむしろ心臓に悪い気がするとして。



「意外とお前もオカルト系に片足突っ混んでるのな」


「僕はほら、家に帰ると遼と響君がいるし。何より僕自身が和馬の助手として、誰かさんが怖がって手を出せない依頼を引き取りにきますし?」



 チラリと優夜の目線が和泉へと向けられた。

 オカルト嫌いの和泉がその手の依頼を受け取った場合、必ず和馬に連絡を入れてから依頼人を睦月探偵事務所に案内しているからだ。

 時にはマップを渡しても場所がよく分からないという依頼人がいるため、その場合は優夜が案内人として如月探偵事務所に来ている。

 そんなことを何度もやっているためか、優夜は茶化すように笑っている。


 深々と、優夜に対して和泉が頭を下げた。



「その点に関しては本当に申し訳なく思っております」


「ホントかなぁ。……まあでも、和馬もキミから依頼を流して貰う時は嬉しそうだし、別にいいんじゃない? 僕は2人のそういうところ、好きだよ」


「ほう」


「砕牙、お前は少し落ち着け」



 和泉、和馬、優夜の3人の友情(?)の話を聞いて、反応してしまう砕牙。

 この手の話題を捻じ曲げて解釈してしまうのが、歴戦の戦士である砕牙の悪いところである。

 その都度、サライが収めてくれるので和泉達は気にしたことはなかったが。


 あー、と声を軽く出したあと、和泉は人差し指を上に向ける。



「……砕牙、あとで和葉に会ってこい。今年の分で相談がある、だとよ」


「おっ、マジ? りょうかーい」



 砕牙と和葉による会話については和泉は関与しないのだが、この2人が揃うことはつまり、歴戦の戦士たちによる集まりがそろそろ近いということである。

 和泉もサライも、軽くため息をついては頭を抱えた。



「お前も大変だよな、サライ……」


「おめぇもな……」



 盛大なため息は苦笑いをする優夜にも届いていた。彼もなんとなく、砕牙と和葉のやり取りというものを容易に想像できたようで。

 しかしそんな2人だからこそ、優夜は今まで温めていた疑問点を口にした。



「なんで和葉ちゃんと結婚したのがイズ君なんだろうね? どう考えたって砕牙君の方が良さそうなのに」


「和葉ちゃんは趣味友は趣味友、好きな人は好きな人ってはっきりしてるんだよ。だから俺を好きになるってことはないし、和泉を趣味に引きずり込もうとはしないんだよ」


「なるほ……いや、趣味に引きずり込まないって俺の部屋を見てから言ってくれ」


「そういや上の和泉の部屋、和葉が作った制作物が置いてあるんだっけか……」


「完全に倉庫代わりだよ」


「在庫残ってるって言ってたもんなぁ」



 現状、和泉が上の階である家に戻ることが少なく、事務所の仮眠室が和泉の部屋のようなものなので、上の階の部屋は和葉に自由に使わせている。

 が、和泉は彼女の製作力というのを侮っていた。


 和葉は修理屋という職業のコネを活かし、本来特殊な技術や道具が必要なグッズまで制作し始めた。

 その数は和泉が予想したペースよりも早いもので、あっという間に埋まったのだという。



「在庫はちまちま売れてるらしいから、新しいのが出ない限りは上に戻れるっちゃ戻れるんだが……」


「次は夏の戦いだもんねぇ。きっと今まで以上に溢れそう」


「ダンボール箱、足りっかな……」


「ここのんで保守しとこうか?」


「頼むわ……出来れば小さめと大きめ」


「はいはい。じゃあ零先生の所に行ってから、後で遼達を迎えに行く時にね」



 やれやれ、と呟きながらにスマホでメモをとる優夜。毎年恒例のやり取りだからか、手慣れたものだ。


 そうして、診療所が閉まる前にと砕牙とサライと別れ、2人は真壁心療内科へと向かう。何度かドアをノックし、中へと入った。


 そこにいた心療内科の医者は、一心不乱にパソコンと向かい合っている。

 金髪に紫色のメッシュを入れた髪色は太陽の光を反射し、元から目に痛い色がさらに強調される。


 和泉が声をかけると、医者──真壁零まかべれいは振り向いた。



「あ、和泉君。と、優夜君」


「こんにちは。学会用の資料ですか?」


「うん、明日からまた学会出張でね。和泉君には言ってたと思うけど」


「あ? ……あ~~」


「イズ君、忘れてたんだね……」


「明日、砕牙とサライもいなかったなってのは覚えてた」


「あれ、サライ君がいないなら和葉ちゃんと玲二さんもじゃない?」


「……」



 無言になった和泉。

 と言うのも和泉はこのビルの住居者が仕事や出張などで長期不在になると、途端に怖くなってしまって睦月邸に泊まりに行く。

 今回の零たちの長期不在も、まさに当てはまるのだ。

 震え声で和泉は優夜に問い、宿泊の許可を得る。



「予想はしてたけどね」


「マジで忘れてた……。零せんせー、助かった」


「どういたしまして。それで、僕に何か?」


「あ、えっと、今日は診察をお願いしたくて。僕の父に対する精神的な怒りとか、そういうのを」


「なるほど。ああ、じゃあ記入シートあるからそれを書いてからだね。はい、これ」



 優夜に記入シートと鉛筆を渡し、あっちで書いてねと待機ソファへの移動を促す。

 優夜が記入している間に、零はカタカタとキーボード入力を続けた。


 記入項目はそこまで多くはないが、どのような事があったかについては細かく書くように枠が広げられていた。

 優夜は簡素だとわかりづらいと判断し、細やかに書き込んだ。

 全ての記入を終えてからシートを零に渡し、優夜へのカウンセリングを行う。



「僕は神様でもなんでもないから、把握出来るのはキミの言葉とこのシートだけ。だから、言いたいことは全部言っておこうね」


「は、はい。……あの、ちなみに零先生はどこまで僕たち親子のことをご存知ですか?」



 優夜の問い掛けに、零は目線を虚空へ移して思い出す。

 神夜と零は御影家にお世話になっているという共通点があり、零も時々神夜にお世話になることからある意味師弟関係のような状態になっている。

 故に、神夜に捕まっては優夜の話を聞かされるのはサライと同じだ。


 しかし、零は曲がりなりにも精神科医だ。

 神夜がここまで優夜を溺愛する理由もある程度の予想をつけており、零の所感では『過去に起こった出来事が理由で溺愛している』『過去のことを忘れてはならない』という強迫観念も混ざっているかもしれないという。



「だから、ジンさんもカウンセリングが必要な状態ではあるんだよね。……あ、もちろん優夜君は優夜君で、また別方向からのカウンセリングを行うけど」


「父さんも……」


「ただし、優夜君が落ち着いてからね。そうじゃないと、怒りでどうにかなりそうだろう?」


「……はい。時間がかかるのは承知の上ですが」


「ん。和泉君にも話を聞くことになるけど大丈夫?」


「和馬じゃなくて、俺でよければ」


「構わないよ。和馬君には後日、優夜君を連れてきてくれた際にでも聞いてみるさ」



 さて、それではと会話を始めた零。優夜も、相手が相手だからか少し安心したようで話すことができるようだ。



 ──しかし、このカウンセリングは後に無意味になってしまう……。

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