第22話 Instead of life

 検事からの取り調べは下宿生8人全員が受けた。


 同じ下宿生への恨みで放火を疑われた、かもしれないというまだ可能性の話。


 木之上きのうえ自身も私物が全焼して被害を受けた側なので、まさか自身で火を着けたとは警察も予想していないと踏んでいた。


 7月21日、日付が変わり22日になる深夜0時。


 木之上は第一萌木荘だいいちもえぎそうの周囲に人の気配がないことを確認してから、下宿の一階一番奥の物置に回り込んだ。


 心臓の鼓動が高鳴る。


 静寂に包まれた住宅街。


 耳をすませば聞こえるのは、止まないカエルの合唱と、ときおりどこかから聞こえる犬の鳴き声と、ドクンドクンと脈打つ自身の心臓の音。


 使うのはライター1つ。


 木之上はタバコは吸わない。何故好き好んでお金を払って寿命を縮めるのか理解もできない。


 冷たい眼差しをコンビニの黄色い100円ライターに向ける。


 乾いた木造建築物を燃やすには灯油もガソリンもいらないことは、第二萌木荘で実証済だった。


 映画に出てくる怪盗ルパンのように気配を消して自身の定めた着火地点でしゃがみこむ。


ボッ


ボッ


 ライターに火が灯る度にオレンジ色をした木之上の無表情な顔と白い歯が暗闇に浮かぶ。


 用意した白い紙に火が移ると、木之上はそれをそっと下宿の木の床に置いた。


 始めはモクモクモクと煙ばかり出てくるが、やがて


パチパチ


 と音を立てて煙の奥に火が見え始めると、木之上は廊下の死角で息を殺し、その火が育つのを待った。


 第一萌木荘は第二と同じく20部屋を擁する。

 

 引っ越した学生8人、木之上以外の7人の部屋は把握済みだ。


 一階に木之上と藪内やぶうちを含む5人。二階は松本まつもと先輩含む3人。


 部屋割りを思い出し、目を閉じて集中力を高める。


(これで最後だ。7人の命を助けたら、細く長く薬剤師として生きていく)


 消火器で消しても困難であろう勢いまであと少し、のところで木之上の携帯電話が震えた。


ブルルル ブルルル


 マナーモードの携帯電話をポケットから取り出すと、佐渡子さとこからのメールだった。


(今は読んでいる時間はない)


 覚悟を決めた木之上は大きく息を吸い込んで、下宿中に響くように叫んだ。


「火事だぁーーーーーっ!!」


 ヨーイドンで一部屋目の下宿生のドアを力強く


ドン!ドン!ドン!


 と叩く。


 ドアノブを回して鍵がかかっていないのを確認すると勢いよくドアを開けて中へ侵入。


「火事です!逃げてください!」


「ファッ!?」


 1人目を起こすことに成功。


 寝ぼけまなこでドタドタと外へ逃げていくのを見送ると、体に力がみなぎってくるのを感じた。


(よし、次の部屋だ)


「火事です!早く逃げて!!」


 順調に2人目までを起こして逃がした。


 次は藪内の部屋。


 息を切らしながらドアを叩く。


「藪内!起きろ!火事だ!!」


 藪内からの応答はない。振り返ると火の手は廊下の奥の一室目を覆うところだ。


「チッ!」


 木之上は予定を変えて携帯電話を取り出して藪内を電話で起こすことにする。


 携帯を開くとメールがいつの間にか2通に増えている。


 木之上はそれを無視して藪内に電話をかける。


プルルルル プルルルル


『おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かな』


「チッ!つながらねぇっ!」


 焦り始めた木之上は一度外へ飛び出した。


 外にはすでに野次馬が5~6人集まり始めている。


(時間がない!)


 回り込んで藪内の部屋の網戸を開けて入る。


「藪内!火事だ!!」


 そこには布団や無造作に置かれた教科書やノートがあるだけで、藪内の姿はなかった。


(チッ!今日にかぎって夜遊びか!)


 木之上は急ぎ下宿の中へ飛び込む。


 一階のもう一人はぐっすり眠っていたので起きるのを待たずに肩を組んで引っ張り出す。


 家事の最中、寝ている学生を起こして助けてまわるその姿は野次馬にしてみればまさしくヒーローそのものに見える。


(あとは二階だ)


 割りと角度のきつい階段を勢いよく2秒で駆け上がる木之上。


 本人は夢中で気付いていないが身体能力は野球部時代のそれを上回っている。


(二階の1人目は、松本先輩!)


「先輩!火事です!起きてください!」


ドンドン!


 返事がない。


「せんぱ!」


 ガチャリ


 ドアノブが呆気なく回り、木之上はつまずきそうになりながら松本の部屋に上がり込む。


 真新しい布団と姿鏡とCDコンポと電話機。


 そこに松本の姿はなかった。


「えっ…」


ドサッ


 不意に木之上の足から力が抜けて、松本の部屋の畳の上に両ひざをついた。


 さっきまでカモシカのように走れていたのが嘘のように足が震えて力が入らない。


「なんで…」


 立ち上がろうと近くにあった姿鏡を掴んだ木之上の思考回路が停止する。


 暗がりの中、鏡に映し出される見慣れぬ顔。


「親父…?」


 シワが刻まれ、シミが浮かび、目元が垂れたその顔は木之上の父親によく似ていた。


 ウゥウゥウウウウ!!


 消防車が到着したのだろう。間もなく放水が開始される。


「早く助けないと…」


 ガシャーン!!


 足に力が入らず姿鏡ごと倒れる木之上。


(ヤベー、先輩の鏡壊しちまった…)


 ふと廊下の方を見ると殺意に満ちた黒い煙が天井を埋めていくのが見える。


 木之上はほふく前進で這いずって廊下に出て進む。


「火事です…逃げてください…」


 ついさっきまでと比較にならないほど弱々しい声は、激しさを増す火勢とサイレンにかき消されて1m先にも届かない。


 廊下の奥の部屋へ向けて伸ばした腕を、手の甲を見てそのシワの深さを見て木之上は気付く。


「チッ、失敗した………」


 代償を受けて松本は下宿生の死を悟った。


 部屋割りとは違うところに誰かいたのだろう。


 助けるどころか、自らの過ちで殺してしまった。


 このままここで死ぬ。それが木之上なりのケジメのつけ方。


 仰向けになり、ポケットから携帯電話を取り出して開く。


 佐渡子からのメールが心残りだった。


 思いのほか文面は短かいが、その内容を見て驚く。


1通目。


『妊娠検査薬、陽性』


「あ……」


 添付写真の検査キットは十字を示している。


2通目。


『一緒に長生きしようね^^』


「ああ……」


 松本は階段に向かって這った。


「嫌だ…死にたくない!死にたくない!」


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ


 煙に包まれた暗い廊下の下から40cmを、鳴り響くサイレンの中を、枯れ木のような細い腕を懸命に伸ばして、カエルのように足を動かして必死で這いずる。


 わずか2mの距離が遥か遠くに感じた。


ドタン


 壁に寄りかかり必死の思いで立ち上がってみるがそれが仇となり、廊下の上にたまった煙を吸ってしまった木之上は尻餅をついて倒れる。


「ゲホッ!ゲホッ!!」


 呼吸が急激に苦しくなり、喉を両手で抑えて伏せる。


 もはや目も開けていられない。


 木之上は引き絞って閉じた両目の端に、眼前から迫り来る火事と同じくらい熱い涙がにじむのを感じた。


(誰か…助けて……死にたくない……。俺のせいで…ごめんなさい………先輩………佐渡子………………) 


トゥルルル! トゥルルル!

ウゥウゥウウウウ!!


 電話のコール音とサイレンの合唱の中、木之上の意識は途絶えた。


 





――――――――――――――――――――


 翌朝。



 消防による必死の消化活動も虚しく、焼け跡から学生二人、70~80代とみられる身元不明の男性の一人の遺体が発見された。



 



 


 




 


 


 




 

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