第21話 『英雄PAY』

 

ちょっと目付きの悪い、どこにでもいる足の速い子供。


 木之上きのうえは小さい頃からかけっこが得意だった。


 運動会では100m走1位が指定席。



 小学4年生から頭を坊主にして入部した野球部。


 持ち前の運動神経を活かし、先輩を押し退けてすぐにセンターのレギュラーを勝ち取る。


 5年生から1番バッターとして活躍した。


 異変があったのは中学3年生のときだった。


 野球部最後の夏の始まり、練習のときから木之上は異常に疲れていた。



「きっと暑さのせいだから」



 いつもと同じ練習なのに一人だけ呼吸が苦しくて、汗が止まらない。


 足が重い、バットが重い、やがて、立つことも出来なくなった。



 先生からの連絡を受けて学校に呼ばれた母親と向かった病院でくだされた診断は、急性白血病。


 血液のガンと呼ばれる病気。


 木之上は若さゆえに進行が早く、気づいたときには全身の自由がきかなくなっていた。



 乗り込んだ車のエンジンをかけてから運転できず泣いている母親の隣で木之上は


「夏の大会までには治るかな」


 と考えていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 中学3年の夏休み、木之上は一ヶ月の投薬を終え、自宅で療養していた。


 野球部は木之上抜きで最後の野球の大会に挑み、たいして強くもない学校に2回戦で惜敗。



 (二年間の努力は、仲間と追いかけた全県制覇の夢は…)

 

 木之上はまだ現実を受け入れられずにいた。



 ソファに座り一階の窓からぼんやり外を眺めていると、小学4年の弟が近所の男友達二人とコソコソと家の裏に向かうのが見えた。


 もしやと思いあとをつけると、やはり最近出来たスズメバチの巣の前でたむろしている。



 大人の頭ほどの大きさのクリーム色をした蜂の巣が木之上家の軒下にぶら下がっているのだ。


 父が駆除業者に依頼したのでその前にとこそこそ集まったのだろう。


 あろうことか木之上弟はスズメバチの巣に向かって石を投げはじめた。



「何してる!当たったらどうす」


コツン


 見事に巣に当たった小石は、巣を壊すことなく跳ね返って落ちた。



 攻撃を察知し巣穴からわき出る大量の蜂。


ブブブブブ!!


 明らかに怒っている蜂たちのすさまじい羽音。



「チッ…」


 木之上の背中を冷たい汗が伝う。


 黒色と黄色の縞模様しまもようをした獰猛どうもうな蜂たちが敵を探して飛び出す。


 そのうちの2匹が木之上弟を見つけて瞬時に迫る。



ブブブブブ!!


 突如襲いかかる蜂の恐怖。



 泣きながら走って逃げる弟に


「止まってしゃがめ!」


 と木之上は大きく声をかけた。



 普通は止まらない。そんなアドバイスは聞かない。


 しかしそこは兄弟の信頼関係が勝り、幼い木之上弟は兄を信じてその場にしゃがみこんだ。



 すると偶然か、奇跡か、スズメバチは木之上弟の頭の上で2度円を描くように飛んでから巣へと戻っていった。


 何匹ものスズメバチに一度に刺されれば命も危ういところだった。



 それから間もなく、病院で受けた検査の結果のこと。



 木之上の検査数値は劇的に改善していた。


 担当医は首を傾げながら余命宣告を解除した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 木之上が高校2年のとき、5歳離れた弟が小学6年生の頃。



 木之上は高校に入ってからは部活動はせず帰宅部として勉学と安静につとめていた。


 それでも徐々に病魔は忍び寄り、検査の数値は再びレッドゾーンに近づきつつあった。



 近くにある湖も凍ってワカサギ釣りができるくらい寒い冬の日のこと。


「お兄ちゃん助けて!!」


 三軒隣に住む弟より1つ年下の女の子が木之上家に駆け込んできた。



 何事かと木之上は少女に導かれるまま後を追った。


 そこで目にしたのは池にうつぶせで浮かぶ少年の姿。



康治やすはる!!」


 弟の名前を叫ぶと木之上は、砕けた氷の浮かぶ池に足を突っ込む。


 お腹のあたりまでの深さなので5~6歩進むと弟を抱き寄せることができた。



「ゴボォ、、ガハッ!!」


 陸にあげると氷のように冷たい弟の口からよどんだ池の水が吐き出された。


 幸いにもすぐに呼吸が再開。弟は一命をとりとめた。



 ストーブの前で毛布にくるまって震えながら暖をとる弟のそばで、木之上の両親は口喧嘩していた。


「お前のしつけがなってないから池の氷の上で遊ぶんだ!」


「友達と一緒に遊んでたから目を離してしまったのは仕方ないでしょう!」



 木之上はそんな話は頭に入らないほど集中していた。


 何故なら、弟を助けたあとやけに体調が良いから、いや、良すぎるからだ。


 こんなに体が軽く感じるのはか。



 普段は高校から電車とバスを乗り継いで帰るのも辛いのに、今は吹雪の屋外で野球をしようと誘われてもプレーできる根拠のない自信があった。


 5日後の定期検診の結果を見て自信は確信に変わる。



「信じられない…」


 医者が機械の故障を疑い再検査を予定するほど木之上の体は健康を取り戻していた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 あれから2年。


 木之上は薬剤師を目指して薬科大学へ進学。


 近くの下宿で暮らすことにした。



 環境は変わった。


 木之上の体もまた、変わっていく。



 も、も、健康な体を取り戻せたのは一時のこと。

 

 今はまた思うようにならない体と薬と付き合う日々が始まろうとしていた。



 (チッチッチッ…)


 怒りを静かに舌打ちにこめる。



 木之上は憎かった。

 

 毎日朝昼夕に薬を必要としない人が。


 待ち合いで待たされ注射を刺され点滴をされベッドに横たわり検査結果に怯えることがない人が。


 太陽の下で汗をかいて走り回ることができる人が。


 ゲームをして、

 アニメを見て、

 麻雀して、

 酒を飲んで、

 SEXして、

 騒ぐことを当然の権利だと思っている。


 能天気なまわりの大学生が、

 憎かった。



――――――――――――――――――――



 同じ病気で通院する4つ年上の佐渡子さとこと付き合い始めたのは4月のこと。

 


 佐渡子は離島から月に一度定期検診で通院している。


 よく待ち合いで一緒になるので何気ない世間話を始めると、同じつらさがわかる同士で話がはずみすぐに意気投合した。



 知り合って二度目の病院の帰り、木之上は佐渡子を下宿に招いた。



 若い男女が二人きりで布団の上ですること。



 木之上と佐渡子は月に一度会うたびに


 ーー互いの首を締めた。



 息が出来なくて意識をなくす瞬間、そこから戻ると生きていると実感できた。



 佐渡子もまた、首を締めると嬉しそうにバタバタと暴れた。



 両の足できつく腰をはさみ、木之上が果てるまでしがみついて離さない。


 両の手で木之上の首を締め返し、口の端からよだれを垂らして喜んだ。



 普段のおとなしい日本人形のような清楚な装いからは想像もつかないみだらな姿。


 木之上は目をむいて震えながらよがる佐渡子の姿に感動した。

 

 ピンク色の舌を出して佐渡子の透明なよだれを受け止めると、頬や額のしょっぱい汗と交互に美味しそうになめ回した。



 目隠し、ムチ、ロウソク、ロープ、洗濯ばさみ。


 SMと呼ばれる類の交わりだが、目的が異なる行為。



 生きている。



 それをただひたすらに裸になって確かめあう。



 生きている。



 生きていることがこんなにも素晴らしい。



(その素晴らしさが理解できていないなら…俺がもらう)



 7月4日、太陽が高く登った午後2時頃。


 汗で湿った布団の上。


 疲れて眠る一糸まとわぬ彼女の隣。



「チッ」



 両手を組んで頭の下において、天井よりずっと上をするどく見据えた木之上は、下宿への放火を決意して小さく一度舌打ちした。



 



 



 

 






 

 


 


 

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