~木之上~

第14話 『陰茎操作』(ジョイコン)


「リィイイチ!!」


 木枯こがらし町の住宅街にあるアパートの二階の一室から藪内やぶうちの気合いの入った声が響く。



「…ロン」


 頬杖をついて卓上を見つめていた平泉ひらいずみが時間差で太く短く呟く。


 相手に通ったと思わせてぬか喜びさせてから叩き落とす、平泉のいつものアガリ方だ。



「ぁあああ!!」


 藪内は182cmの細身な体をくの字に曲げて頭を抱え、隣人から苦情の来そうな声を張り上げる。


 網戸にしている家の多い7月の深夜1時すぎ。近所迷惑だ。



はいをまぜる音が雷のようで眠れない!」


 と一階の人に警察を呼ばれたこともあった。


 とはいえ藪内が声をあげるのもそのはず。

 

 賭けのレートはテンゴで一回負けるだけで2~3千円とびかねない、決して安くない倍率。


 さらにこの麻雀には特別なルールがあった。



「社長!まぁまぁ、一献いっこん!」


グビグビ…


「かぁーーっ!」

 

 振り込んだ人はおちょこで酒を一杯呑まなければいけないのだ。



 しかもただの酒ではなく、ウイスキーのワイルドターキー。アルコール度数は40度。


 藪内の鼻の付け根が赤く染まる。


 酒に弱い人ならおちょこ三杯で思考力は奪われかねない。



 藪内は運任せの猪突猛進タイプの打ち筋。


 あせらず我慢してジワジワと相手を酒に酔わせて弱らせて丸のみにする蛇のようなタイプの平泉。


 慎重派の松本はひがいは最小限に抑え、後半戦に備えていた。


「麻雀の卓ってよく陰毛が乗るよね」


 そんなことを言って息で吹き飛ばす余裕もある。



 卓を囲む四人目の木之上きのうえはと言えば、


「先輩~どうなってんスか~。イカサマっスよ~」


 と顔を真っ赤にして虚ろな目で卓の上に突っ伏してアゴを乗せて上目使いににらみ、完全に出来上がっている状態。


 半開きの口からは白い前歯が2本、きれいに顔を出している。



 木之上も藪内同様に下手なのだが、藪内のような能天気でお気楽なフリこみとは違う。


 あくまで遊びの集まりなのに、木之上が牌を握る手には何か怒りすら込められているようだった。


「チッ!」


 他の人より少し長い前歯のせいか、木之上は無意識の内に舌打ちをする癖がある。



 そんな感情に任せた打ち筋の後輩二人に負ける松本と平泉ではなく…。


「悪いな、木之上。ロン。親満だ」


「先輩~どうなってんスか~~。チッチッ」


 フリこみすぎて酒に酔った木之上がまたくだをまく。



 元体育会系の木之上が両手をグーにして上目使いに平泉をにらむ。


 相撲の勝負が始まるかのような構えで今にも卓をひっくり返しそうな雰囲気を感じる。


 しかしそこはこの部屋の主である平泉も負けてはいない。


「君みたいな麻雀が弱いの相手にイカサマ必要ないでしょ」



ジャラジャラジャラ


 夜9時から明るくなる朝6時まで半荘4回やって、平泉の一人勝ち。藪内と木之上の二人が大きく負けた。



 藪内は勝つ気マンマンで財布にお札は千円しか入れてきていないことが最後にわかると、綺麗な土下座をして今度払うと約束し難を逃れていた。


 木之上はにらみつけてはいたものの負け分はその場で8400円払い、自転車を押して帰っていった。



 3月に新しく加わった第二萌木荘の新しい住人。


 それが藪内と木之上だ。


 同じ屋根の下で暮らすものの松本は国立、藪内は工業、木之上は薬科とそれぞれ別の学校に通っており出会うはずのなかった3人は下宿が縁となった。



 食堂でたまたま会って趣味の麻雀の話になったときの


「オレめちゃめちゃ強いっス。チッチッ」


「オレも役満アガったこともありまス!」


「本当か?」


 というオレTUEEE議論を経て今に至る。



 藪内は長身でちょっとやせすぎだが見た目は格好いい方で自称モテ男ならしい。


 バイトのお金を服につぎ込み、髪型も短い黒髪を整髪料でピッと整えている自称イケメン。


 しかし彼女を連れている様子は見たことがなかった。


 ノリが軽すぎるのが原因か?


「先輩!何かおごってください!」


 と悪びれもなく言ってくる姿は見捨てられない捨て子犬のようで、松本にとっては可愛い後輩に違いなかった。



 一方木之上は元野球部というのも納得な骨格のゴツい体をしており、ボウズから少し伸びたくらいの髪が筋肉質な体によく似合っている。


 体育会系の縦社会で鍛えられた、藪内と対極にいる硬派系男子だ。



 木之上には彼女がいる。松本も一度会ったことがあった。


 黒髪の日本人形のような印象で、恥ずかしそうに木之上の後ろに隠れたまま無言でお辞儀をしてくれた。


 首につけた黒いチョーカーが印象的だった。


 今は離島にいて、月に一度会えたら良いという関係とのこと。



 その月に一度の日になると木之上の下の部屋に住む藪内は


「あいつらギシギシうるさいんスよ!」


 と松本の部屋に来て愚痴をこぼしていた。


 松本は椿つばきとの関係を振り返り、


「そのときはオレの部屋に来い」

 

 と木之上の恋を応援していた。



――――――――――――――――――――



 松本と椿の関係は終わりを迎えていた。



 、松本が萬代ばんだい駅に行くと椿が、笑顔で迎えてくれた。


 それは今まで見たこともない、心から自分を温かく優しく迎えてくれる笑顔。


 満開に咲いた椿色の微笑み。



「会いたかった」



 ずっと会いたかった。


 松本と椿は出会って3秒で片手を恋人握りしながらくちびるを合わせていた。


 人通りの多い萬代駅前、まだ太陽も落ちないうちから舌を入れてキスをする二人を見て、道行く人はちょっと引きながら避けて歩く。



 椿はホテルで一泊してから秋畑へと帰っていった。


 そのホテルには松本も泊まった。 

 


 二人が一線を、越えることはなかった。



 松本が緊張のあまりにたなかったことも理由としてある。


 必死で起こそうとしても見えない力で腰から下の反応が遮断され、松本の願いに反して息子がたちあがることはついになかった。



 椿は心のどこかでほっとした。それでよかったと思った。



「私は汚れてるから」



 そう寂しそうにに言った椿を



「そんなことない!」



 松本は抱き締めた。



「すごく綺麗だ…」



 夢中でキスをした。


 髪の毛から爪の先まで。


 汚いところなどないと証明するかのように。



 真っ白いシーツで世界を隔てて二人きり。裸のまま抱き合って朝まで眠った。

 

 木春は松本と出会ったことで救われていた。


 萬代に来るまでは自分のことだけを考え、その精子を搾取して受胎することにとらわれていた。



 今は違う。


 松本のこれからのため、二人の関係にピリオドを打とうと心に決めていた。



(なおは私にはもったいない人)

 


 長い間蓄積された恨み、怒り、憎しみ、苦しみ。


 そのすべてが椿の瞳から一滴の涙になって流れ落ちて憑き物が、とれた。



 木春の人生は思えば思うようにしかならなかった人生だった。


 父も兄も夫もみんな、自分がそうだと思えばその通りに動いてきた。


 けだものじゃなくてにんぎょうだったことに気づいた。



 ーーもしかして自分が変われば相手も変わるのかもしれない。


 新しい未来の可能性を感じた。


 事実ここから遠くない未来、秋畑の夜の街に「椿つばき」という名のホステスが新星として現れ、長くナンバーワンとして君臨することになる。



 心から愛しているからこそ受け入れることを拒んだ初めてのひと


 木春は目の前のその人のこれからの幸せをただ祈った。



 別れ際、手を振りながら駅のホームで木春が発したのはバイバイでもまたねでもなく



「ありがとう」



 だった。



 松本の耳にはそれがさよならに聞こえた。



 その日を境に、夜9時になっても椿から電話が来ることはもう二度となかった。



 松本はわかっていた。


 椿は人妻、手の届かない存在。許されない恋だということを。

 


 ガラス玉のように綺麗な瞳を、フルーツのように甘い髪の香りを、マシュマロのように柔らかい唇の感触を、雪のように白い肌を。


 思い出しては自分を慰める日がしばらく続いた。



 7月、木枯町史上最も暑い夏が始まりを迎えた。

 

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