第12話 夢の続き
12月25日14時30分
松本、こと、なおを追って始発の特急列車で
今頃仕事から帰宅した夫が
「どこに逃げた!」
と騒いでいるかもしれない。
昨日だって、クリスマスイブだからと近所の人に見せつけるべく、わざと玄関を出て抱き締めてキスをしてきたのだ。
その姿をよりによってなおに見られてしまった。
「最悪…」
なおにだけは知られたくなかった。
木春じゃなく椿でいたかった。
会いたい。会って謝りたい。
これで終わりにはしたくない。
頭の中が後悔と言い訳でパンクしそうになりながら、木春は
しかし、松本の部屋には鍵がかかっており、ノックしても明らかに人の気配はなく、残念ながら不在だった。
(帰りの特急まであと一時間半。。)
微かな望みにかけて大学構内を探すことにした。
木春は松本と知り合ってから9ヶ月間、必死で顔面を動かすリハビリをした。
ピクリとも動かなかった左頬が1mm、2mm。
少しずつ、少しずつ上がる度に自信を取り戻せた。
今では両口角をほとんど同じ高さまで上げて笑うことが出来るくらい回復していた。
「私に笑顔をくれた人」
いつか会えたら笑って見せたかった。
木春にとって、なおは恩人だった。
初めての電話をしたとき、緊張で声がでなかった。
文通している間ずっとなおは女の人だと思っていたから。
でも怖くなかった。なおは怖くなかった。なんでだろうか、今までの
息を切らして走る。
白いセーターの下にあるFカップの胸が揺れた。
バレないように二度見する
(この人は私のことを見ていない)
なおは違った。
「私のことを初めて見てくれた人」
木春は極度の人見知りで人間不信だった。
小中高を卒業したあと、友達と呼べる人は誰もいなかった。
なおと何度も手紙を交わした。
何度も電話した。
送られてきたプリクラを見たとき、その平凡さが愛しくて胸が高鳴った。
(何故この人じゃなかったのだろう)
初めてを捧げたかった。
なおと結婚して一緒に暮らしたかった。
それは全て叶わないとわかってる。
やっと手に入れた絆。
せめて、友達のままでいたかった。。
12月25日15時30分
探すことの出来るギリギリの時間。
とうとう木春は松本を見つけることが出来なかった。
おめかししてきた茶色いスカートの下の黒いタイツは所々破れている。
お気に入りの黒いマフラーも、走ってる間に何処かへ忘れてきてしまった。
「はぁ…はぁ…うっ、うぅっ…ぅあああ!」
木春は子供のように泣いた。
周りを歩く人はみなギョッとした顔で振り返る。
嗚咽をもらしながら、それでも帰るために
12月25日16時10分
ガタン ゴトン ガタン ゴトン
特急『さなえ』に揺られながら、木春は今までのことを思い出していた。
こっちが話すのが上手じゃなくても、なおは一生懸命会話を盛り上げようとしてくれた。
友達と朝まで飲んで目が覚めたら目の前にゲロ用の風呂桶が置いてあった話。
激辛料理を食べたらトイレで大をするときに皮膚が痛くてお尻が拭けなかった話。
自然と笑みがこぼれた。
「楽しかった…ありがとう」
今日1日は
10カ月後に産まれてくる子供は女の子。
冬にちなんで、二人の名前の読み方も合わせて
いつか秋畑に帰ってきたなおと再婚して、姓を松本に変えて娘に
「この人が本当のあなたのお父さんよ」
って教えてあげる。
――――――――――――――――――――
列車に揺られ、いつの間にか木春は眠り、思い描いた夢の続きを見ていた。
そのとき、風が吹いた。
とても強い横風だった。
ドーーーーーーーーーーーーーーン!!!!
(熱い!!)
爆弾でも墜ちたような轟音と腹部に感じた強烈な熱さで木春は目を覚ました。
「何が…」
辺りは暗かった。
風の音がビュービューうるさい。
耳を澄ますと微かに人の声がする。
(どうして、自分は外に、、電車に乗って、、あれ?夢を、見ていた、、嘘、、まだ、夢を、、)
木春は手を伸ばした。
(私の、、大切な赤ちゃん、、)
手を伸ばした先に触れたのは、自分のおなか、ではなく固く冷たく凍った地面だった。
探しても、どこにも、おなかが、ない。
強風で列車が横転。
衝撃で窓ガラスを割って車外に飛び出した木春。
障害物に当たって両断された木春のお腹から下は遥か遠くに転がっており、もはや肉眼で見つけることは出来なかった。
冬の冷たい風に吹かれ、凍りついた地面に抱かれていたはずが今度は少しずつ暖かくなってきた。
(あぁ、暖かい。やっぱりこれは夢だ…。
目が覚めたら、秋畑に着いたらなおに電話しよう。
なおならきっと助けてくれる…。
そしたら、練習した笑顔を見せるから…。
大丈夫…大丈夫……、だい……すき…)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
12月25日19時38分
通報を受けた救急隊が駆けつけたとき見つけたのは、おびただしい血の海の中、穏やかに綺麗な笑みを浮かべて眠る若い女性の遺体だった。
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