第11話 憧憬新世界


 2月、木春こはるは退院してからも仕事へ復帰する気にはなれず、仕事を辞めて自宅で療養することにした。



 一番の理由は、人と会うのが怖かったからだ。



 家事をする以外で持て余した時間、あまりダラダラと過ごすのも気が滅入ってしまう。


 近くの大手CD店『レコードタワー』へ行き、リラックスできる曲があればと久しぶりにヒットソングを上から順に聴いてみた。



「♪ずっと愛してる♪」


 くだらない。



「♪君に恋した♪」


 くだらないくだらない。



「♪いつまでも二人♪」


 くだらないくだらないくだらないくだらない。



 男と女の関係なんてそんなものじゃない。


 男はみんな女を肉便器よくぼうのはけくちとしか見ていない。



 木春はリラックスするどころかむしろ腹が立ってきて、早足で店をあとにした。



 秋畑あきはた駅前を歩くと偶然見かけた小さなCDショップ『ギルドホーム』。


 ちょっとでも違う曲が聴けて気が紛らわせたらという気持ちでさっきより期待せず入ってみる。


 店内は綺麗な顔をした男の人が髪を赤や青や黄色に染め、化粧をして黒い衣装で身をかためる、いわゆる『ヴィジュアル系バンド』という人たちのCDで埋め尽くされていた。



 木春には今まで縁のなかった世界。


 その中でも一際大きなポスターで取り上げられていたバンド『灰色銀貨』。


 試聴機のヘッドホンを左耳に当てて再生してみる。



「♪僕がこの鏡に映らなければ♪」


「♪幼い頃 優しさに飢えてた」



 自分の気持ちを代弁してくれるかのような歌詞。


 重々しいバンドサウンドも陰鬱とした心にすっと馴染んだ。


 木春は店内にあった灰色銀貨のCDアルバム1枚とシングル1枚を買って帰った。



 夫が夜の交通整理の仕事でいない夜9時からの時間が楽しみになった。


 その間はずっと好きな曲を聴いていられるから。



 同じファンの人がいたらと店内の掲示板に『椿つばき』名義で灰色銀貨について語れる友達を募集した。



 いつの日かは出会えると信じて。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る