~椿~

第7話 おやすみ眠れない夜


「こんにちは!はじめての方ははじめまして」


 よく通る若い男性の、少し高い声。静まった薄暗く狭い空間にマイクで響いた。


 絞られた照明の薄明かりに照らされる観客は50人ほど。



 室内にこもる甘くて魅惑的な香りは9割の観客が女性だからだろう。


 ステージには黒いスーツを着た黒髪ロングヘアーで薄化粧の男性が四人。

 

 ボーカル、ギター二人、ベースという編成で演奏している。



 松本まつもとは一人、木枯こがらし町から電車で30分ほど離れたライブハウス『Z-7』(ズィーセブン)にギプシーのライブを観に来ていた。


 Z-7は地下一階にあるので、階段を降りてチケットを買い入場する。

 

 隠れ家のような秘密基地のような場所は自然と心を高鳴らせた。



「跳べるかー!?」


 観客を盛り上げるボーカルに対し抵抗するかのように松本は最後尾で仁王立ち。



 心の中では大好きなバンドの挑発に


「うぉーー!!」


 と反応しているが、男性客が跳び跳ねると目立ちすぎてしまうので、はやる気持ちを抑えて腕組みして我慢する。


 悲しいことにバンドマンからしてみればただの反応の悪い客にしか見えない。



 初めて木枯町に来た頃、松本は寂しくて寂しかった。


 孤独でたまらなかった。

 


 家族もいない、友達もいない、知り合いもいない。そのことを甘く見ていた。


 引っ越したばかりの下宿で未開封のダンボールに囲まれて手をつける気にもなれない。

 

 眠りにもつけない。



(みんな同じ夜を越えたのか。オレだけ小心者なのか…)



チク タク チク タク



 いつまでも響く時計の針の音がやけにうるさかった。


 カーテンのない一人部屋のすきま風が寒くて寒くて嫌だった。



 そんな松本を孤独から救ってくれたのは、音楽だった。



 Z-7のすぐそば、萬代ばんだい駅前にあるCDショップ『Risk en Drug』(リスクアンドラッグ)。


「こんなところにドラッグストアがあるんだ」


 と珍しがって立ち寄ると開けたドアの先で迎えてくれたのは店員、ではなく黒猫。


 尻尾を立てて我が物顔で歩くとカウンターの特等席らしき場所へ飛び乗って座ると丸くなる。



 看板猫だろうか、なんとも変わった店だ。決して広いとは言えない店内をぐるりと歩く。


 不眠に効く薬を求めて寄った店で、たまたま手に取った地元のバンドであるギプシーのCD。


 粗削りでまっすぐな想いの乗った歌を聴くと、松本は独りの不安を忘れることができた。



♪おやすみ もうすぐ夜が明ける♪



 あれから8ヶ月、今は12月。


 2回目となるギプシーのライブを堪能する松本。



「今日は来てくれて本当にありがとう。ここで、重大発表があります」


 急な発表にざわつく観客。


「12月24日にギプシーは…新しいCDを発売します!」


 パチパチパチパチ!!



 観客は拍手で応えた。


 顔は見えなくてもわかる。みんな笑顔で祝福をしている。そんな空気だ。


 このアットホーム感、これがギプシーのライブの良さ。



(発売日にCDを買って、椿つばきにもすぐ聴かせてあげよう)



 松本は思いを馳せた。



 椿との進展は、いまだなかった。


 電話は4月から毎日のようにしているのにだ。


 夜9時過ぎ、椿から電話がきたらこっちからかけ直す。


 でもこっちからかけることはしない。

 

 それがいつしか暗黙のルールになっていた。



 CDのやり取りを通してお互いの住所はわかっている。


 手紙に貼ってくれたプリクラ一枚、それで松本は満足していた。


 目は大きく、唇は少し厚め。わずかに微笑んでいるが口元は閉じている。


 その黒髪の女性の写真一つから松本は大きく想像力を働かせた。



(クリスマスイブに、会えたらな…会いに行ったら、驚くかな)



「次の曲です。新しいCDから一曲、聴いてください。『ワクワクドキドキ恋心』!!」



 松本の思いを応援するかのように、ギプシーのライブも終盤、最高潮を迎えていた。



 



 

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