第6話 真夏に凍える体を溶かす


 木枯こがらし警察署から下宿へ帰る頃にはもう夜の9時になろうかという時間だった。



グーッ


「こんなときでも腹は減るんだな…」



 行方不明の池谷いけたにのことを考えると自分一人こうして安全な場所で温かいご飯を食べていいのか、そんなことは許せない気持ちになった。



(今日の夕飯はやめておこう)


 力なく階段をあがり、部屋のドアを開けて布団に倒れこむ。



(疲れた…)



 短時間とはいえ全力で泳いだこと。


 いなくなった池谷を探して大声を出しながらみんなで海を探し回ったこと。


 警察を呼んで野次馬も集まり大騒ぎになったこと。


 遅くまで聞き取りが続いたこと。。



 何もかも疲れた。



 でも一番つらかったのは、あのとき池谷を助けられなかったこと。


 自分の無力さだった。



「何で…何でこんなことに…」



 真冬のような寒気を感じ小刻みに震える松本まつもと


 その唇はまだ紫色に染まっている。


 目をギュッとつむると涙があふれた。



 ふらつく足で松本は椅子に座りパソコンの電源を入れた。


 充血した赤い目を見開き、インターネットで海の波について検索する。



離岸流りがんりゅう…」



 Mikipediaで見つけた説明を読む。



「離岸流とは、幅10メートルから30メートル前後、長さ数十メートルから数百メートル前後で生じる局所的に強い沖方向の波」


「海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとする時に発生する強い流れ…」



(岸と並行に泳いでいればよかったのか…!!)



 松本はうなだれた。



 今、それを知ったところで何になるのか?

 

 池谷は帰ってこない。



 いや、まだ見つかっていないのだから溺れ死んだと限ったわけではない。


 いやそもそも、池谷は無理して浮き輪で沖まで来ないようにオレがあのとき止めていれば。


 いや違う、オレたちが泳ぎ比べをせずに浅瀬で楽しんでいればよかったんだ。


 いや…。



トゥルルルル!トゥルルルル!


「!?」



 松本の答えのでない一人押し問答を遮るように電話が鳴った。



椿つばき、か…?」



 どうしよう。


 どんな顔で、いやどんな声で電話したらいいか今日はわからない。



トゥルルルル!トゥルルルル!



 松本は迷った末に、そっと受話器を持ち上げた。



「もしもし…」



 しかし聞こえてきたのは椿のハスキーボイスではなかった。


「私…」


 女性。


 もしかしてこの声は。。


 似ている、でも人違いかもしれない。



 9割以上は期待を込めて、松本はその名前を呼ぼうとした。


「い…」

「あの…」



 声が重なってしまった。


 松本はまず話を聞こうと思い


「どうぞ」


 とだけ言う。



 すると電話の向こうの女性は思いもよらぬことを語り始めた。



「私、好きな人がいたんです。学校の先輩で。

 今日学校の裏で待ち合わせして、好きです付き合って下さいって。勇気を出して言ったんです!

 けど。。」


「…フラれたの?」


「ううん、ちょっと時間がほしいって。

 でも遠ざけられるのって、フラれたのと同じですよね。


 私悲しくて、もう…死んじゃいたい」


「駄目だ!!」


「!?」



 松本は電話機を持って立ち上がり大きな声を出す。



「あれ?この声、、松本くん…?」


「あのときオレは!


 …池谷と目があったとき、こっちじゃない!一緒にあっちに行こう!

 って、30mって、そう言えなかった。


 離岸流なんて知らなかった。


 けどもういいんだ。

 生きていればやり直せる。


 加藤先輩は優しい人だから、池谷のこと真剣に考えてくれてる。

 考えて考えて老後のことまで考えて、池谷のこと心配させないように月曜日には絶対に良い返事くれる!


 …だから言うなよ。

 せっかく助かったのに、、死にたいなんて言うなよ………」



 松本は泣いていた。


 気がつけば目から涙がボロボロボロボロ落ちていた。


 鼻から鼻水がズルズル出ていた。



 自分だけ助かって、自分のせいで死んだと思ってた池谷が無事で、でも死にたいとか、フラれたとか、何がなんだかよくわからなくなって、泣いていた。



 普段はフィルターをかけて言葉にしないような感情まで声に出してしまっていた。



「ふふふ…」


「?」


「松本くんと話したら、なんだか元気でてきちゃった。ありがとう。」


「あ、いや、、オレの方こそ、、なんか生意気言ってごめん」



「話せてよかった。また明日ね。おやすみ」


「おやすみ…」



ツー、ツー、ツー、ツー



 呆気なく電話が終わったあとも松本は受話器から耳を離せなかった。



(これは夢じゃないよな?池谷が、池谷……よかった)

 


グーッ



 催促するように鳴った腹の音で我に帰った松本。


 来たときより力強い足取りで部屋を出て階段を降り、食堂へ向かった。




 前を向くその顔は今日見たイケパンのピンク色と同じくらい晴れやかだった。




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