第2話 猫の背は丸くできている



(結局、誰もあの電話のこと知らなかったな)




 歴史研究サークルの帰り道。



 辺りはすっかり父親の好きなブルーマウンテンコーヒーみたいに暗くなっている。




 民家が立ち並ぶ脇の細い路地を街灯頼りに、松本まつもとは下宿目指してゆっくり自転車をこぐ。



 考え込みながらフラフラと運転していると前方から歩いてきた人に気づくのが遅れた。

 


 危うくぶつかりそうになり、急ブレーキをして謝る。




 水曜日土曜日は週に二回ある歴史研究サークルの日。



 水曜日は今度行く博物館や遺跡はどこにするか話し合ったりする。



 主に雑談だ。




 小中高と、体育会系の部活で体を酷使してきた松本にとってそれは新鮮な時間だった。




「10km走るか1時間走るか好きな方を選べ」



 などという不自由な二択を毎日迫られることがもうなくなったと思うと、それだけで会話が弾むような気がした。




 同学年の5人も、先輩8人も、誰も松本に電話はしていなかった。




(あれは間違い電話だったのかな)



 下宿、第二萌木荘だいにもえぎそうに着く頃にはそう結論づけていた。




 下宿一階の食堂のドアを開けて入ると、大きなテーブルに並ぶ下宿生人数分用意された大屋さんお手製の夕飯。



 適当に席を決めて座る。




 大きな炊飯ジャーにはほかほかの真っ白なお米。



 お鍋の豚汁は温め直した。



 おかずもついてこのボリュームは下宿様々。




 食堂の真ん中にはテレビがある。

 


 何か見たいチャンネルがあるわけでもないけど、さみしいのでテレビをつけて一人黙々と松本は夕飯を食べた。




 県が変わると当然アナウンサーも変わる。

 


 県内ニュースで見慣れないアナウンサーが初めて聞く地元のスポーツチームの勝敗などを読み上げるのを聞くと、引っ越してきたことを実感させられた。




 第二萌木荘は60代くらいの中肉中背のご夫婦とそのお母さん(かっぷくの良い腰の曲がったおばあさん)の三人で切り盛りしている。



 大家さん夫婦はいつもニコニコしていて、遠く離れた土地で良い縁に恵まれて良かったなぁと松本は心底思っていた。



 あの事件があるまでは。。




 4月も終わりに近づいた春の日。



 大学の授業の合間の昼頃。



 松本がふらりと下宿へと戻り少し休もうとしたときのことだった。




「ニャー、ニャー…」



(…?猫の声がする)



「ニャー、ニャー…」



 それは普通の鳴き声とは違う。まるで助けを求めているかのよう。。




(どこから声がするんだろう)



 堪えきれなくなり松本は立ち上がり部屋を出る。



 声をたどる。




 下宿の前、通りをはさんで向かいにある大屋さんの家。



 家の周りの塀の上には鉄の柵。



 その柵に茶色い毛の小太りな猫が挟まり弱々しい声で



「ニャーニャー」



 と助けを呼んでいた。




(大変だ!でもどうしたら…)



 松本が助けを呼ぼうと駆け出したそのとき、大屋さんの家からおばあさんが出てきた。



(よかった。助けに来てくれたんだ!)




「大屋さ…」



 松本は声を失った。




 おばあさんはおもむろに猫の首を掴むと、後方へ強引に引き柵から引き剥がす!



「ニ゛ャ゛ーーーーッ゛!!」



 静かな住宅街に響く猫の断末魔の叫び声。




 柵から引き剥がす瞬間、猫の背はブリッジするようなあり得ない角度になり



「ボキボキボキ」



 と骨の折れる音が思わず脳内再生された。




 掴んだそのまま猫をそのまま地面へメンコのように



ビターン!!



 と叩き付ける!




ビクン!…ビクン!…



 伸びきった猫の手足が痙攣をしている。




 おばあさんはそれを気にとめることなく、道路の真ん中に猫を残してピシャッと家の戸を閉め去っていった。




 松本は猫に近づけなかった。



 背骨を折られ、地面に叩きつけられ。



 虚ろな目をして薄く開いた猫の小さな口からは赤い血が流れている。



 もう助かるわけがない。




(何の恨みが?)



 いや、何も感情を感じられなかった。




(こわい…)



 家政婦は見たではないが、見てはいけないものを見てしまった。。

 



 食事中に嫌なことを思い出してしまった松本。



 それでも



「ごちそうさまでした」



 と感謝の言葉を忘れない。




 食事を終えると食器は台所へ置いておき、食堂の電気を消して部屋へ戻る。



 今この下宿に住んでいる学生は松本を入れて大体8~9人といったところだろうか。



 20部屋あるにも関わらず半数以上は空室だった。




 さらにいうと同居人とはいえ顔見知りの他人、といった感じであり、顔を合わせても挨拶程度の仲にすぎない。



 物足りない感はあるものの、この距離感なら気を使わずに済むので居心地は良かった。




 自分の部屋の暗い室内にて手探りで電気を付けると、蛍光灯が六畳一間を照らし出す。



 相変わらず布団とパソコンとCDと電話しかない部屋で、松本は電話機の前であぐらをかいて座り込んで動かなくなった。




 松本には彼女はいない。人生で一度もいたことはない。



 しかし今、その候補となる女性がいるのである。名前はまだない。




 地元を旅立つ二週間前、あれはまだ雪の降る3月のこと。



 行きつけのCDショップ『ギルドスペース』に寄ってみた。




 それまで気づかなかったが店内の奥には掲示板があった。



 そこには所狭しと手紙がびっしり貼られている。




 大体みんな自分の好きなバンド名を羅列しており、



『よければ友達になりませんか?』



 的な張り紙がほとんどだった。




 残念ながら自分と好みのピタリと合うような人は…いた。



「灰色銀貨が好きな人、文通しませんか?椿つばき




 初めは軽い気持ちで返事を書いてみた。



「灰色銀貨の庭って曲が好きです。なお」




 そこから始まったやり取り。




 今ではお互いの電話番号を知るまでになった。



 約束では今日の夜9時に電話をくれることになっている。




ドドドドドドドドドドドドドドドド…!!



 緊張で響く心臓の音はまるで奇妙な冒険をしているかのようだ。




トゥルルルル!



!?



トゥルルルル!




 電話が鳴って2コールで勇気を出して受話器を持ち上げ、恐る恐る声をかける。




「もしもし、、椿…さん…?」




「もしもし…なお?」




 声を聞いた瞬間、、松本は恋に落ちた。



 顔も見たことないけれど。




「あ、こっちからかけなおすね!」




「うん」




 一度電話を切ってからかけ直す。電話代は男持ちだ!



 その後の電話は夜12時頃まで続いた。




 何を話したか。




 好きなバンドのあの曲がいいよねとか、、松本は夢中でよく覚えていなかった。




 電話を切ると耳が熱いくらいに痛くなっているのに気付く。



 手のひらを開いてみると緊張からかじっとりと汗をかいていた。



 こんなに遅くまで電話をすると声が響いて隣人に迷惑だからと、ずっと布団をかぶって電話をしていたのも汗ばんだ理由だろう。




(けっこう、かすれてハスキーな声だったな…)




 電話が終わってから布団に横たわる松本の心はそこになく。




 まだ見ぬ彼女つばきを想像して上を見ていると、そのままゆっくり眠りに落ちていった。













 



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