117.無知と既視

 長く仕事をしていると偶に変なことを頼まれることがある。先日も自分が関わっていない病院の稼働チームのプロマネからメールが来た。


「若手に切り替え作業をお願いするのですが、監査をお願い出来ますか?」


 監査? と首を傾げていたら一分後に「監視でした」と訂正メールが飛んできた。

 監視しなきゃいけない人間に切り替え作業をさせて、さらにその監視を稼働メンバじゃない人間にやらせる。プロマネはギャンブラーの素質があるに違いない。こんな仕事を引き受けるほど私は愚かではない、と思いながら「了解しました」と返事をした。

 当日現場に行くと若手は「やばいっすね」と連呼しながらそわそわしていた。切替作業の内容は、旧サーバから新サーバへのデータの転送とIPアドレスの変更である。つまり古いサーバの情報を新しいサーバに持っていって、IPアドレスも変えてしまうというわけだ。これは非常にオーソドックスな切替にあたる。


「まじ一人でやるとか勘弁なんですけど。俺やったことないから出来ないですよ」

「その理屈だと永遠に出来ないね」


 手順書の確認などをしながら開始を待つ。基本的にサーバというのは一つにつき一人しか作業しない。システムごとに存在するサーバに一人ずつ作業者がいて、他にもう一人ついているのが常である。今日は若手が作業、私はその横で腕組をしている係。


「やばくないですか。絶対やばいですよ」

「切替始まる前に手順書の確認したほうがいいよ」

「え、一週間前に書きましたよ」

「だからだよ」


 受け答えに若干の不安を覚えつつ、サーバの確認もしておく。彼は別に私の直属ではないので、今まで何をやってきたかは知らない。だが所属年数と作業内容、更にあのメールのことを考えるとプロマネが何を考えているかは大体わかる。ここで一発大きな仕事をやらせて箔をつけたいのだろう。この仕事は個人の能力を評価することが多い。この仕事が終わった後に更に別の仕事を一人でやらせるための試金石といったところだろう。


 夕方になって切替が始まった。制限時間は四時間。それまでにすべての作業を完了する必要がある。手順書を確認し、まずは最初の項目を読み上げた。


「旧サーバからファイルを転送するツールを起動。起動して」

「いや、どこかわからないです」

「何で」

「違う人が置いたんで。俺は場所知りません」

「大体わかるだろ。探せ」


 開始早々口が悪くなってしまった。しかし若手がいくら「俺は知らない」と騒いだところで、そんなのは通用しないのである。「そう、わからないの。困ったねぇ」なんて同調してたら夜が明ける。仕事が円滑に進むように日ごろのコミュニケーションは大事だが、仕事自体は淡々と進めたほうが良い。


「ツール起動しました」

「これ、画面がどう変わったら転送完了なの?」

「いや、知らないです」


 だろうな、と思ってツールを設置した人に聞いてみたら、その人も知らなかった。どうなってるんだ、このチームは。脱力感が拭いきれない。多分プロマネたちはそういった基本的な確認作業を彼らに教えるのを忘れている。

 若手の「俺は教えてもらってないから知らない」を隠しもしないスタンスに、どうしたもんかと悩んだが、別に自分の部下ではないからいいかと思いなおす。こういうのは性格によるものなので、今日一日で私がどうにか出来るものではない。大体四時間の制限時間は延ばせない。


「淡島さん」


 途中でプロマネが話しかけてきた。


「どうですか?」

「ちょっと押してますね。まだオンスケの枠内ではありますけど」

「すみません、引き続きお願いします。あ、お菓子食べてください」


 作業部屋の奥に山積みになった菓子類と栄養ドリンクを指さしてプロマネは去って行った。許可をもらったので遠慮なくチョコパイとユンケルを手に取る。味覚は正常だが味覚にこだわりがないので味の組み合わせは気にしない。切替の中で悠長に菓子を食える程度には、私の腹は据わっているし空いている。


「転送終わりました。件数も確認しました」


 なんだか泣きそうになりながら若手が言う。なんかそういう顔されると私がパワハラしているみたいだからやめて欲しい。今は何かと繊細で厳しいのである。


「じゃあ次はIPアドレスの変更だね。手順はわかるよね?」

「はい」


 マウスを持つ手が死ぬほど震えている。どうした。何をそんなに緊張している。


「落ち着いて」

「はい」


 その時近くにいた別チームが不意に声を上げた。


「誰かメンテナンス用端末のリモート入ってますか? 俺たち使いたいんですけど」

「はい!」


 勢いよく返事をしたのはサーバを操作している若手だった。勿論メンテナンス端末なんかではない。私は慌てて訂正を入れる。


「ごめんなさい。弄ってないです。今のは謎の嘘です」


 周囲から笑いが漏れる中、若手は「なんで俺返事したんですかね」と首を傾げている。知らない。

 そんな状態で取り掛かったIPアドレスの変更作業は、思った通り難航した。というか手順書を自分で書いた筈なのに手順の意味をわかっていないのである。確かにこれは監視が必要だな、と煎餅を食べながら見守っていたが、ふと時計を見るとタイムリミットまで残り一時間だった。

 一時間。え、一時間?

 作業状態とこれまでの時間経過から考えて、どう考えても間に合わない。どこかで大幅に時間を消費したとかではない。一つ一つの作業の小さなタイムラグが積み重なってしまったのだろう。もはや時間は取り戻せない以上、やることはたった一つ。


「交代。私がやる」


 そう告げると若手は顔を輝かせた。口には出さないが「やっと言ってくれたか」みたいな感情が滲んでいる。そういうのは表に出すな。嘘でも悔しそうにしておけ。本音しまえ。


「絶対淡島さんがやるほうがいいっすよね。なんで俺なんだって思いません?」

「お前がこの稼働チームのメンバだからだよ」

「今時関係なくないっすか」

「関係あるっすね」


 チョコパイを追加して一気に作業を進める。この病院の切り替えはそこまで難しいものではない。作業内容さえ整理されていれば困ることはない。


「手順書の確認しなかったの」

「いや、しましたよ」

「じゃあなんで知らないところが多かったわけ」

「知らないところどうするか教えてもらってないんで!」


 元気いっぱいのお返事は小学校なら微笑ましいのだが、夜の病院ではむなしいだけである。


「知らないなら聞けよ、誰かに」

「誰に聞けばいいのか知らないっす」

「誰でもいいだろ」

「じゃあ淡島さんに聞きます」

「今日聞いても手遅れだろ」


 旧サーバの電源を落とし、新サーバの動作チェックをしているとプロマネが様子を見に来た。いつの間にか作業者が変わっていることに気が付いたプロマネは訝しげな表情をしながら若手に問いかけた。


「なんで淡島さんが作業してるの?」

「いや、知らないです!」

「はぁ?」


 口癖なんだろうか。もう指摘するのも疲れてきたので、愚痴をユンケルで喉奥に押し込んだ。

 タイムリミットまであと五分の出来事だった。

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