110.教育と成長
前に書いたと思うが、教員免許を一応持っている。しかしそれを活かす気がない。なぜなら自分が誰かに指導できると思わないからである。計画性のなさと言語化の適当さでは他人に負ける気がしない。運転免許を持っていても運転に適さない人間とでも思って欲しい。
先日会社の飲み会で先輩が溜息混じりに言った。
「部下がなかなか育たない」
まぁよくある悩みである。その部下は知っているが、受け答えで必ず否定から入るという人間だから、先輩とは合わないに違いない。
「これやった? って聞くでしょ」
「はい」
「やってようがやってなかろうが、「いや、それは」って付けるんだよ」
「口癖なんでしょうね」
「お客様の前で言わないように指導してるんだけど、まぁそれ以外にも技術がまだ追いついてないかな」
大変だなぁ、とビールをちびちび飲む。
「そもそも先輩、誰か指導するの初めてでは?」
「そうだよ。だって淡島は勝手に育ったし」
そんな人を雑草みたいに。
「当時の上司も特に手取り足取り教えてたわけじゃないし、なんなら放置気味だったのに、なんか勝手に成長したじゃん」
「一応、基本は教えてもらいましたよ」
「だとしても、あれはおかしい。どう考えても計算が合わない」
なんの計算だろうか。わからないので運ばれてきた唐揚げの数を座卓の人数で割ってみる。余りは無い。良かった。
「適正の問題では? だって私、プログラミングは死ぬほど出来なかったし」
「それ言ったら指導も何もない」
それはそう。でも飲みの席でそんなこと言われても困る。
計画の頭と終わりだけ決めて、やる事だけ頭の中でリストアップして、自分で調整しながら終わりまでに間に合わせて、医師の方々の傾向に合わせて説明を変えて、というのが適当人間の性格に合っていただけである。
勿論笑えるミスから笑えないミスまでやったし、やりたくない案件に半年くらい泣きそうになりながら関わったこともあるが、今となっては記憶に蓋をしてしまったから良い思い出だ。うん、思い出したくない。
思い出しかけた漆黒の歴史を唐揚げを食べることで封印する。
「そんなに勝手に育ったんですか」
向かいの席の人が訊ねる。私が否定するより先に先輩が肯定してしまったので、仕方なく通りかかった店員さんに追加の酒を注文した。
「若手とは思えない落ち着きがあって、自分の方が先輩なのについ頼ったりしてたから」
「あぁ、深夜一時に電話かけてきた時のことですか?」
「そう、もうやること多くて泣きそうになりながら電話かけた時」
「泣きそうにっつーか泣いてましたよ」
二年目の冬、病院の外で煙草を吸いながら泣きじゃくる先輩を電話越しに宥めた時のことを思い出す。確かあれは正月だった。
まぁしかし、雑草扱いでも褒められるのは悪い気はしない。何しろこの年齢になると、褒められることなんて健康診断で上手に血管に針が刺さった時くらいだ。
「だからね」
ビール片手に先輩は続ける。
「お前は何の参考にもならない」
急にダメ出しされた。悲しい。
「部下を育てる参考にならないんだよ」
「知りませんよ、そんなの」
「放置したら育つかなと思って放置したのに育たないし」
「放置しちゃ駄目ですよ、あいつは」
先輩は酔いが回ってきたのかダラダラと続ける。
「もっと新人らしく後輩らしく育ってくれれば参考になったのに」
「この環境で健やかに育つ新人、逆におかしいと思います。そんなのいたら化物ですよ」
「じゃああの新人はどうやって育てたらいい?」
私に聞くな、そんなこと。今までの話の流れを思い出せ。
そう言いながら相手の顔に唐揚げのレモンを逆噴射したい気持ちを堪えて考える。考えること三秒、面倒になったので思考の精査などおざなりに口を開いた。
「なんか難しい案件に一人で放り込んだらいいんじゃないですか?」
「放置となんか違うの、それ」
違わない。でも仕方ない。
人は自分の経験からしか話すことが出来ないので、間違っても「上長が完璧な指導カリキュラムを作って管理して優しく育てればいいのでは?」なんて言えない。だって自分がそう育ってないのだから。無慈悲に一人で仙台に行かされたことを忘れはしない。
「そもそも聞く人間間違ってますよ」
「そうだよ。なんで横に座ってんの」
とうとう座席の位置まで怒られた。なんて理不尽な飲み会だ。気の弱い私はそれに抗議する代わりに、先輩の分の唐揚げを食べた。
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