109.どこかで間違えた
新人指導を行なっていると、予期せぬところで質問を受けることがある。というのも自分はそれを息するように行なっているので、至極当然のことだと思い込んでいることが、新人にとっては意味不明だったりするからだ。こういう場合「おいおい、こんなことも知らないのかよ」と思ってはいけない。自分だって知らないことは知らないのだから、質問をしてくれたことに感謝するくらいの気持ちで教えるのが適切だろう。
先日、大叔父が亡くなった。つい数週間前に祖母の一周忌で会ったばかりだったので非常に驚いた。通夜に出るように言われたため、クリーニングから戻ってきたばかりの喪服を抱えて実家に行った。
実家のあたりには親戚が身を寄せ合うように住んでいる。元を正せば一つの家が土地を持っていて、子供たちが結婚する時に土地を分けていった。その元の家というのが私の実家で、要するに「本家」である。別に金も歴史もないのだが田舎では本家や分家の意味が重い。大叔父の通夜に列席するのも、当然と言えば当然だ。
曽祖母は十人以上子供を産んだ。そのうち成人したのは八人。途中で曽祖父が兵役についたのもあって、一番上と一番下で二十歳離れている。そしてそれぞれの家が年始ともなると実家に集まるので、子供の頃はいつもお祭り騒ぎだった。小さいころは親戚の区別がつかないので、成人している人たちはまとめて「おじさん」「おばさん」と呼んでいた気がする。屋号で呼ぶのが決まりだったから下の名前を覚えるタイミングがない。「せきせいのおば」だの「やらいのおじ」だの、漢字すらわからない屋号が飛び交っていた。だから大叔父が祖父の弟だと知ったのは随分と後の話である。
通夜会場に行くと、もう一人の大叔父がいた。この人は確か叙勲を受けたとかで子供の頃に実家でお祝いをしたことがある。あの時はまだ存命だった祖父が我が事のように大喜びをしていたし、どこで調達したのか新巻鮭が天井からぶら下がっていた。
意外ときちんと覚えているものだ、と自分の記憶力に満足しながら、今度は亡くなった大叔父のことを思い出す。確か末っ子だったと記憶している。手先が器用な大叔父は工務店を営んでいて、実家を建て直す時には特注の棚を安く作ってくれた。不器用極まりない私から見たら神の所業である。というか父方も母方も手先は器用なのになぜ私には一欠片も受け継がれなかったのか。遺伝子とはかくも厄介な代物である。
そんなことを考えながら通夜会場に入ると、いくつもの花が目に入った。喪主とか子供一同とか孫一同とかに混じって、故人ゆかりの会社や団体からの花が飾られている。それを見た時に違和感を覚えた。今までの思考の何かが間違っている気がする。
「いい写真だなぁ」
大叔父が飾られた写真を見ながら呟いた。
「兄貴は昔から写真写りがいいんだよ」
そこでとんでもない間違いに気がついた。この人が工務店を営む末っ子だ。遺影の中で満面の笑みを浮かべているのが、立派な花を送ってきた企業に勤め、叙勲を受けた大叔父だ。
一体どこで間違えたのか。どこかで顔と名前と職業をごちゃまぜにしてしまった。それがいつかはわからない。少なくとも幼少期に出来立ての牡丹餅を届けにいった時には間違えていなかったはずである。叙勲のお祝いの時か。それとも妹の結婚式の時か。考えても考えてもわからない。まさか誰かに聞くわけにもいかない。ここは都心から一時間足らずの場所にあるが十分な田舎である。「本家の長女は親戚の顔すら覚えてねぇ」なんて悪評がたったが最後、死ぬまで言われ続ける。
ちゃんと覚えておけよという話なのだが、今の今迄それが間違いだと気づいていなかったのだから訂正のタイミングがない。
こうなってくると新巻鮭や棚の記憶もちょっと怪しくなってくる。変なことを口走る前に気付けて良かった。そう思いながら数珠を取り出すと、私は静かに椅子に腰を下ろした。世の中、素直に言ってはいけない質問や誤ちというのもあるのである。せめて恥をかかぬように生きていきたい。
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