95.もやしとグッピー

 最近、長編を一本書ききった。処刑人の令嬢が「なんでこんな駄目王を処刑しなきゃいけないんだ」と逆行転生して、もっと良い王様にしてから処刑しようとする話である。今流行りの悪役令嬢転生物にしたかったのに出だしから間違えている。悪役令嬢というか単に悪人だった。間違えたけど完結したので良しとする。

 これとは別に二年ほどかかって書き続けているSFがあり、どうして二年かかっているかと言うとカクヨムコンが来るたびに中断しているからである。おかげで再開する時にはストーリーは覚えていても話全体のテンポを忘れている。仕方ないのでまた読み直している。一気に書けよ、と思うだろうが人間はそんなに規則正しく生きてはいけない。


「あっちの病院の方はどうなってるの?」


 夜の八時、外は暗い。現場で作業をしている中で、一人がふと疑問符を挙げた。

 同日稼働の病院があるのだが、そういえばずっと音沙汰がなかった。不調とも順調とも聞かないのである。こちらも忙しかったのでついつい忘れていたが、そろそろ稼働も近い。

 その病院が無事に稼働しないとこちらにも影響がある、という関係性なので気になるのも当然だった。


「あぁ、昨日電話したら結構揉めてるみたいだよ」


 窓際で携帯を弄っていたプロマネがそう言った。二時間ぐらい向こうの担当者と電話をしたらしい。思春期の女子か。


「どうして?」

「いや、メンバーがさぁ」


 続けて挙げられたメンバーの名前を聞いて全員なんとなく察する。それは大変だ。揉める。

 例えるならサンタのそりを曳くトナカイが五匹必要なのに、四匹がカモノハシみたいな、そんな感じである。一匹のトナカイは大苦戦中ということらしい。

 それでも何とかしてもらうしかないね、などと無責任な話をしていると、丁度その担当者からプロマネに電話がかかってきた。


 挨拶と相槌、そしてその声が次第に焦りを持ったものに変わっていく。

 電話を切った後に、プロマネは「やばいよ」とこちらを向いた。嫌な予感がする。


「このままじゃ稼働しないかも」


 そんな前置きと共に話された内容は、確かに「やばい」ものだった。放置することは出来ないし、放置したら間違いなく稼働初日に会社に大クレームが来る。

 しかし、手も足も出ないような内容というわけでもない。サブマネと私は顔を見合わせる。


「データのインサート時にテレコすればいいですよね」

「そうだね。データの一部を関数使って引っ張ればエラーになる部分を回避できるから」

「で、多分なりすましとして取得先を作れば実データにも影響はなくて」


 知っている人間であれば大した知識ではない。ただ現場の人間がそれを知っているかどうかは別問題である。

 多分カモノハシには無理だ。そう思っているのが相手の表情からもわかる。


「何? 解決策あるの?」


 こういうことには耳聡いプロマネが聞いてくる。いつもはスマフォでダービーしているくせに。

 二人で説明すると、プロマネは首を傾げた。


「難しくはないってこと?」

「技術的な話だから、俺か淡島さんのどっちか行けば一時間で解決する。その程度には簡単」

「それは簡単って言わないだろ」


 稼働目前である。作業自体は一時間で終わるとしても、往復の時間を入れれば四時間はかかってしまう。

 このタイミングで四時間削られるのは厳しい。


「電話で指示したらやってくれたりしないの」

「無理だよ。元の構造知ってないと」

「でもどっちも手離せないでしょ」


 離せないが、かといって放っておくわけにもいかない。

 現場に唯一対処出来そうな人はいる。しかしその人は自分の周りのカモノハシに嫌気がさして、現在一人でサンタとソリを小脇に抱えて爆走している状態。誰も止められない。その人の担当システムの話でもない以上、頼むのは自殺行為に近いだろう。


「淡島さん、行く?」

「えー」


 というか、技術レベルが同等だから名前を挙げられただけで、私は別に行くとも行きたいとも言っていないのである。

 因みに私の技術力が特別高いわけではない。同等程度の人は会社にあと何人かいるし、それ以上の人もいる。だが悲しいかな、稼働の時期というのはどこも被るものであって、その方々は全国に散らばっていて二週間は帰ってこない。

 いつもなら助けに行ってもいいのだが、話を聞く限り現場の状況はよろしくない。空気はギスギスしていそうだし、余計なことも依頼されそうだし、カモノハシ群がってきそうだし、何より病院の場所が駅から遠い。あり大抵に申し上げて面倒くさいから断りたい。

 何か断る材料ないかな、と自分の今日の作業を思い起こす。しまった。久々に勤勉に取り組んだものだから、殆ど作業が残っていない。というか八時だから普通に引き上げるつもりで七時あたりから作業をまとめ始めている。別に明日の仕事を「今からやるんで」と言ってもいいのだが、そうしたら必然的に帰るのが遅くなる。そう、私は向こうの病院に行きたくないのではない。ただ帰りたいだけだ。帰って風呂に入って酒飲んで寝たい。八時はそれらを今日中に終わらせることが出来るギリギリのラインである。


「行きたくなさそうだね」

「えーっと、まぁ」

「俺も行きたくないな。グッピーに餌あげないといけないし」


 グッピーを持ち出された。まずい。ペットの餌やりは大事だ。このままではグッピーに負けてしまう。

 どうにかしてグッピーより重要な用事はないだろうか。頭の中を本日最大級に回す。家にあるいくつかのものを頭に思い浮かべて、取捨選択を行い、そしてレベル付けをしていく。

 数秒でそれらの作業を終えたあと、私は少しつっかえながら口を開いた。


「も……もやしが消費期限切れるから」


 数十分後、私は帰りの電車の中にいた。

 凄いな。グッピーに勝ったぞ、もやし。皆「もやしはやばい」と言って帰してくれたが、過去に何かあったのだろうか。

 ありがとう、もやし。助かったよ、もやし。消費期限一週間前に切れてた気がするから帰ったところで食べないと思うが、感謝の気持ちだけは伝えておこう。

 そう思いながらマスクの中で欠伸を噛み殺した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る