72.偶にある謎のスペース

 普段出入りしている病院は、大体400床レベルからそれ以上の規模である。400床とはベッドの数だ。市民病院とか総合病院の殆どは、200床から500床といったところで、大学病院クラスになるとこれが一気に跳ね上がったりする。逆に500床レベルでも、全部個室で相部屋がありません、みたいな高級な病院もあるから一概には言えないが。

 まぁそんなわけで比較的規模の大きな病院に出入りすることが多い。規模が大きいということはすなわち建物も大きい。大きい建物というのは簡単に建て替えとかが出来ないので、増築や改築を繰り返しているところが大多数だ。中には「四号館は十年前に作りましたが、一号館は明治時代に出来ました」なんてところもある。


 戦後に建てられた病院に行くと、偶に面白いものを見つける。

 例えば、食堂の横にある何もない円形のスペース。中央部分だけ日焼けの度合いが低く、その周囲の床は削れている。これは喫煙室の跡である。今や病院に限らず殆どの公共機関は禁煙となっているが、昔はどこでも吸えるのが当たり前だった。だから病院の中にも立派な喫煙室があったわけである。使わなくなったからといってその部屋を潰すわけにもいかないから、扉だけ取り去っていることが多い。だが壁や床を見ればヤニの汚れで一目瞭然である。

 また、事務室の近くでよく見かけるのは「電話交換室」である。電話交換手が常駐して、病院にかかってきた電話や、病院からかける電話を取り次いでいたのだろう。70年代の漫画「ドーベルマン刑事」では、電話交換手を夢見る盲目の女子高生が登場する。ということは、この病院はそれより前に建てられたのだろうと推測出来る。今の病院では公衆電話だって置いてあるかどうか怪しいというのに、電話を取り次ぐための部屋があったというのはなかなか面白い。


 数年前に行った病院も戦後まもなく建てられたもので、看板や案内図などのフォントがいかにも歴史がかっていた。その日は打ち合わせのために赴いたのだが、打ち合わせ相手の病院の職員が少し困った顔をして出てきた。


「実は会議室が使えなくなりまして」

「そうなんですか」


 マネージャーがそう応じる。別にそれ自体は構わないのだが、相手は申し訳無さそうに続けた。


「いや、この暑さで熱中症患者が急増しましてね。それで会議室を即席の待機所にしているんですよ。すみません」


 そういう事情なら仕方がない。

 因みに、緊急時にどこでも治療が出来るよう、廊下やホールなどに酸素供給口を取り付けた病院がある。作った当初は、あまり評価されないどころか、無駄なことだと言われていたらしい。だがその評価は地下鉄サリン事件をきっかけにひっくり返った。そのため最近では同じ様な設備を取り入れているところが多い。


「ではどちらで打ち合わせをしましょうか。我々はどこでも良いですが」

「といっても機密情報も含まれますし……。ちょっと遠いのですが、一緒に来ていただいていいですか?」


 そう言うと職員は歩き出した。どこに行くのかわからないまま、その後ろをついていく。気分はカルガモだった。待合室を通り抜け、外来の廊下を通過し、そのまま今まで行ったことがないエリアへと突入する。

 言われるがままにエレベータに乗り込み、微振動を伴いながら上昇。到着した階は外の気温に負けず劣らず、暑い空気が篭っていた。しかしそれより気になるのは周囲の光景である。我々は病院にいたはずだが、今目の前に見えるのは襖である。それも襖なのに外から鍵がかかるようになっている。


「どうぞ」


 襖を開いた相手はそう言って中に促した。そこには畳の部屋があった。

 夜勤の人が寝るための宿直室かなにかかと思ったが、それにしてはおかしい。窓があるはずのところがコンクリで塞がれてしまっているし、水道などの設備もない。なんというか、適当に作った和室みたいなイメージだ。

 机や椅子もないので、畳の上に正座で向かい合う。今までいろいろなところで打ち合わせをしてきたが、流石にこの状況は初めてだ。武道と茶道を学んでいたころを思い出して、ちょっとだけ背筋を伸ばしたりしてみる。どこかに空調でもあるのか、襖の向こうと比べて室温は低い。


「此処は、宿直室ですか?」


 マネージャーがそう尋ねながら資料を渡すと、相手は「いやいや」と否定をした。


「それは別の階にありますよ。今時、布団で休んだりしません」

「じゃあ此処は?」

「まぁいいじゃないですか」


 正解は教えてもらえなかった。あるいは相手も知らないのかもしれない。何しろ、病院の入口に掲げられていた年表によれば、百年以上の歴史がある。建物はまだ五十年そこそこだろうが、その時に何があったかなんてほとんどの人が知らないだろう。


「では始めましょうか」


 取り組みでもするかのように、双方頭を下げて会釈する。

 何の部屋かなんてどうでも良い。必要なのはさっさと打ち合わせを終えることだ。そうすればこの部屋からも開放されるし、昼飯を食べに行ける。

 そう思いながら資料の表紙をめくる。視界の端に入る、何故か壁に飾られている能面のことは見てみぬふりを決め込んだ。この謎を解くのは私の仕事ではないし、多分だれも解けない気がする。そんな確信を抱きながら。

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