73.追いすがるもの
ここ数ヶ月がずっと地獄みたいだったので、「土日切り替えの現地作業来る?」と言われた時に喜んで飛びついた。深夜切り替えでも早朝集合でも何でもいい。そんなものには慣れている。今自分が置かれてる環境に比べたら天国だ。
出張前日の深夜まで必死に仕事をして、なんとか片付けた。もはや何が正解で何が目的かもわからなかった。兎にも角にも出来たものだけサーバに保管して、出張に向かったわけである。
「今日は新人も同行してまして」
最寄り駅まで迎えに来てくれた若手がそう言うと、一緒にいた更にフレッシュな新人が頭を下げた。「鍛えてやってください」というありがちな社交辞令にケラケラと笑う。
「新人育てられる技量はないなー。知ってるでしょう?」
「俺は去年、淡島さんから教えてもらった技術をフル活用してますよ」
そんな役に立つこと教えた記憶はないのだが、まぁ本人がそう言うのを否定するのは変なので笑って誤魔化す。多分彼なりのおべっかだろう。
六人乗りワゴンの、中央の席に乗り込む。パソコンが入っているバッグを足の間に置いて、中からスマホを取り出すと、丁度何かを受信したらしく小さく震えた。
新着メッセージ:62件
やめろよ。まだ朝の九時だぞ。
恐る恐るスマホのロックを外し、メッセージアプリを起動する。昨日置き去りにした案件のやり取りが行われているアプリである。
メッセージ画面を開いた私の目に飛び込んできたのは、阿鼻叫喚のメッセージの山だった。部下たちが混乱の中、誰かに助けを求めてメッセージを発信し、別の誰かがそれに応じ、それからこぼれ落ちてしまった者は再度助けを求める。
昨日、このアプリをアンインストールしときゃよかった。そんなことを思いながらもメッセージを辿る。管理職たちが何やら必死で話し合っているやり取りも見える。
なんというか、その、一人だけ逃げて申し訳ない。
人らしい心は忘れていないつもりなので、そんなことを考えながら、コンビニで買ったカフェラテに口をつける。美味い。
阿鼻叫喚の中から、私でも対応できそうなものを選んで返信をつけていく。それはオーケー、それは除外、それはこれと合わせて対応……。
「淡島さん」
隣の人が声をかけた。右手は空調調節用のパネルに添えられている。
「寒くないですか? エアコン切りましょうか」
「え、私は大丈夫ですよ」
「なんか凄い顔してるから」
メッセージアプリの惨状が顔に伝染したらしい。これはいけない。
せっかく今から楽しい楽しい土日出勤深夜切り替えだというのに。
「ちょっと燃え盛っている案件があるんですよ」
「でも今日はこっちに注力してくれないと」
大変ごもっともである。アプリケーションを閉じて、椅子に座り直した。
折角呼んでくれたのに気もそぞろでは失礼というものだろう。
「昼食はどうするんですか?」
「XX市のとんこつラーメン」
「有名なんですか?」
「うん。有名人が来るような店なんだってさ」
なるほど、豚骨。それは少し気合をいれなければならない。出張で大事なことは、腹の調子を万全に保つことである。例え車外温度が三十度台後半だとしたって、我々が着ているのがスーツだとしたって、食事はしっかり摂る必要がある。
「豚骨いける?」
「大丈夫です」
だが私はまだ知らない。
この後、8食連続ラーメンになってしまうことも、そのうち半分が豚骨であることも、更に言えば、深夜二時までメッセージアプリが元気に悲鳴を上げ続けることも。
「いやー、本当に現場のほうが楽ですね」
その悲鳴が遂に出張が終わるときまで続くことすらも。
デスマは決して、途中で逃げることを許しはしないのだ。一度関わったが最後、どこまでも置い続ける。出張から帰ったら山積みの課題が襲ってくることなど知らず、私はただ豚骨ラーメンのことだけ考えていた。
平和ボケした社畜に、デスマの神はうっそりと笑うのである。
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