71.目的・手段・期待値
忙殺されている。久々の忙しさだ。それだけならまだ良いが、先だってから書いている通り「全然慣れない作業」をしているために精神的摩滅が激しい。いつもなら「先生が大激怒している? よし、心を無にして頭を下げてこよう」とか「データベースがキッティング時のミスで止まった? どうせ動いてないからサーバ再起動しようぜ」みたいな内容を、実に心軽く作業するのだが、今の状態としては「これで、これでいいんですか……ミスター。これが僕達の最適解なんですか」と架空の存在に縋りつつ、成果物やら作業やらを一つづつ片付けている。
その隙間で、更にいくつか仕事を抱えていて、そのうちの一つを若手に任せていた。月曜日に「これお願いね」と渡して、ふと気づいたら木曜日だった。何の音沙汰もないが大丈夫かと声を掛けたら、案の定だった。
「あの、指示された通りにこの記述をソースに追加したんですが……エラーが出てビルド出来なくて」
プログラミング用のエディタには、エラーを示すマークがいくつも出ていた。
「調べたんですけど、よくわからなくて」
「なるほど。じゃあこれは何を処理しようとしているの?」
「え?」
後輩は驚いた声を出した。何を驚いているのかわからないが、伝え方が悪いのかと思って言い直す。
「このコードは具体的に何をしようとしているの? ファイルアクセス?」
「えっと……その……考えたことありませんでした」
普段どうやってコーディングしてるんだ、この後輩は。
不思議に思いながらも、根気よく続けた。
「何をするために書いたコードなの?」
「わかりません。あの、これはどう直すのでしょうか」
書いてない人間がわかるわけないだろう。第一私はプログラマじゃない。
多分、この後輩は今まで「練習問題」のようなコーディングをしてきたのだろう。誰かが解答をしっかり持っていて、ミスも対処法もその人が教えてくれるような環境。だから自分でコードの意味は考えない。ミスすればその答えを誰かが持ってきてくれる。
だが残念なことに、私はそんなに優しくないし知識もない。
かつての上司は私に言った。大事なのは「目的」と「手段」と「期待値」が自分の中で確立していることだと。つまり、何かの目的があって、その目的のために一つの手段を取った場合、その手段によってもたらされる結果までをシミュレーションしておけというわけだ。
期待値通りに行けば手段が当初より変更されてもよい。期待値が予想通りだったとしても目的を満たせないなら手段を変えるしかない。
「そのエラーが出ている箇所に記載されている内容は? それはわかるよね」
「はい、でもエラーで動かないので直さないと」
いいから内容を教えろよ、という言葉を最新のオブラートに包んで「まずは一通り処理を確認しようか」と宥める。多分向こうも、さっさと解答を教えてくれと思っていることだろう。
「この処理を行うために、別の場所にある関数を呼び出しています。そこでエラーが起きてます」
「関数の中にエラーはあるの?」
「そこはないです」
「じゃあその関数を呼び出せていないんじゃないの」
「そうなんですか?」
いや、知らないけど。でも目的が「関数を呼び出す」で、手段が「X行目に引数とともに記載する」で期待値が「関数が呼び出され処理が続行する」なのだから、手段が間違っているのではないだろうか。
「その関数を呼ぶために必要な記載がないんだよ、きっと」
「それはどこに何を記述すれば」
「いや、それを調べなきゃいけないんでしょ?」
はぁ、と後輩は気の抜けた声を出す。きっと「二行目にこういう綴りの文字を書けばいいんだよ」的な答えを期待したのだろう。残念でした。私にそんな素敵な知識はない。
「エラーと調べなきゃいけない内容はわかった? それで進めてみようか」
「えっと、これで解決しない場合は」
「別の箇所にエラーの原因があるってことになるね」
「それはその……やり方が間違えているってことですよね」
「そうだよ」
あっさりと返したせいで、後輩は今度は「はぁ」とも言わずに黙り込んでしまった。
誰も答えを持っていないなら、試行錯誤をするしかないではないか。絶対に間違えたくないから攻略本の通りにゲームを進めます、みたいな話ではないのだから。どうやら後輩は失敗が嫌いなようだ。私だって好きではないが、必要なことはしなければならない。
「じゃあそれでやってみてね」
「はぁ」
それから五分後、エラーが解消されたという報告が上がってきた。どうやら、思ったとおりの内容だったらしい。安堵する私に、後輩は先程と同じテンションで尋ねた。
「あの、エラーが解消されたので、エラーがない状態になったということでいいのでしょうか」
……良いのではないでしょうか?
後輩の求める期待値と私の手段が、多分かなりズレている。だが当分直せる気がしない。
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