66.個人のエッセンス
新人教育に疲労している。あるいは苦労。一時間も費やして、作業指示が三分の一も伝わらないのは、私だけのせいではないと信じたい。しかし指導はしないといけないので、またそれに時間を費やす。結果として業務の遅延が発生し、夜十一時に上司と電話して、朝の四時にメールを送る羽目になっている。デスマの時は当たり前だが、テレワークの最中にそんなことはしたくない。
そんな中、別件で先輩に電話をかけた折りに、新人教育の話になった。といっても話題は新人ではなく、私が前に指導をしていた若手のことだった。
「あの子はさ、淡島が育てたせいで淡島のエッセンス入っちゃってるんだよね」
初めて聞いた。何そのエッセンス。
「そうですか? 従順で素直なとことか?」
「そこはあの子の素養で、お前の要素は一切ない」
「それだと私が従順じゃないみたいじゃないですか」
「あるわけないだろ」
酷い。そんなストレートに言い切らなくてもいいではないか。悲しみのあまり、次に会った時にはソーシャルディスタンス・ローリングソバットを一発くらわせようと心に決める。先輩の言うことにはイエスと言って中指を立てる素直な人間だ。
「大体、私のエッセンスって何ですか」
「言葉には言い表せないけど、滲み出ている」
何だそれは。それはズルい表現だと思う。そんなこと言い出したら、誰にでも当てはまってしまうではないか。
「私っぽいところってことですよね?」
「うん。能力的なことじゃなくて」
「はぁ」
自分に対する分析なんてしたことはないが、それなりに生きていれば己の性格や能力は把握出来ている。それを踏まえて、頭の中に思いつくものを羅列してみた。
勘任せ、大雑把、口が悪い、口だけ回る、飽き性、サボり癖。
素敵なものが一個もなくて、ちょっと泣きそうになった。こんなエッセンスが入った若手が可哀想である。今からエッセンス抜けるだろうか。抜けないだろうな。何処に入ってしまったかもよくわからないし。すまない、上手く共存してくれ。そんなことを胸の内で考える。
「だから、あの子が誰かを指導するようになったら、淡島のエッセンスも引き継がれるかもしれない」
「その理屈だと、私には先輩のエッセンスが入っているのでは?」
「入らないだろ。教えてないし」
「だって、私の教育係の教育係の教育係の……」
「遡るな」
新人は教育係に似る。これは様々な場所で使われている通説である。つまり数代前の教育係にも多少は似ると言われている。実際にはどうかは知らない。
「全然性格違うし、仕事のやり方も違うだろ」
「性質は一緒じゃないですか」
「絶対違う」
強めに言い切られた。気が弱い私はしょんぼりして、携帯電話を持っているのとは逆の手でマウスを操作する。目の前のモニタには、ソースコードが表示されていた。
「傷ついたので、確認するように言われたバグ見つけましたけど、教えなくていいですか?」
「それとこれとは話が別だから」
冷たく告げられてしまった。というかこういう性質は似ていると思うのだが、多分相手は一生認めない気がする。大体、認められたところでその先に通ずるものはない。ただただ互いに不名誉な称号が付くだけである。
そんなことを考えながら、マウスでドラッグしたソースを、メールにコピペして相手へと送付した。
「送りましたよ」
「やったー、ありがとう! お礼は何がいい?」
「どら焼き!」
こういう互いに単純なところも似ていると言えば似ている気がする。まぁ人の性格なんて、大きく分けたら二十にも満たないというし、多少被るのは当然のことだろう。仕事における人付き合いなんて、単純なぐらいが丁度良い。
「粒餡ですよ。栗入り駄目ですよ」
「栗入りのほうが美味しいのに」
「粒餡です」
しかし、それと食べ物の好みについては別物である。食べ物の好みは単純とか複雑とかそういう次元ではないので、然るべき主張をすべきだと思う。美味しいものは美味しく食べるのが我が社のモットーだ(大嘘)
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