60.何かの記憶が開きそうで開かない

 この前、何かは忘れたが文章を読んでいたら、「食事をしている時に荷物の中からCDを出して渡す」というシーンが出てきた。それを読んだ時に、何かの記憶に触れたのだが、一体それが何かはわからなかった。酷く懐かしいような、特殊なような、あるいは思い出さないべきなのかはわからない。CDを荷物から取り出す行為に記憶の何処かが引っかかっている。


 こういうことはよくあって、あまり関係のないシチュエーションで別の記憶にリンクすることもある。大抵は他愛もない、忘れていた記憶である。脳内に散らかっている記憶が何かの弾みに呼び起こされるのだろう。


 記憶というのは「脳内に残ってるから思い出せる」というものではないと思う。砂金掬いみたいに、場所や条件で採れたり採れなかったり、採れたと思っても網目からこぼれたりするし、よく見たら雲母だったりもする。

 先日も人から電話がかかってきたので出てみたら、数年前にやった案件についての質問だった。


「これ設定すると、こういう結果になるんだけど、なんでだっけ?」


 質問に対して、「えーっと」と言いながら頭の中で記憶を一巡する。シンクロトロンみたいな円形の装置で、脳の中を一回グルリと回るようなイメージである。そこに辛うじて引っ掛かったものを強引に引きずり出す。


「稼働前に作業しませんでしたっけ?」

「それは別の方だと思う」


 あっさりと否定されてしまったが、此処で「じゃあ知らない」で終わらないのが人間の脳味噌の不思議である。これがデータベースなら「データないんで無いですね」で終わるのだが、何しろ人間の脳は不確かだ。


「あの時、何しましたっけ?」

「えーっと、ほら、Dさんが操作説明に間に合わなくて」


 引出したい記憶とは直接関係のないエピソードにより、当時のことがもう少し鮮明に思い出せるようになる。もう一度脳の中を、今度はさっきよりゆっくりと回ってみる。

 フラペチーノ、サムギョプサル、徹夜、煙草、冷麺、クリームパスタ、フラペチーノ。

 さっきは出てこなかった記憶が蘇った。あのビルの四階で食べたカツ丼は美味しかったな、とか思考は余計なところまで飛躍する。こうなるともう、さっきみたいな「円形に記憶を探る」のではなく「葉脈状に記憶を探る」イメージに変わる。何か引っかかって欲しい。食べ物以外で。

 いや、待てよ。食べ物?

 あの病院の人、親切だったから夜中に仕事していた時にお菓子くれたな。東北の有名なお菓子。あれ一緒に食べたのが、電話の相手で、それが稼働の直前で、じゃあなんでそんな忙しい時にお菓子なんて食べてたかというと……。


「あ、思い出した。プリンタですよ」

「プリンタ?」

「ほら、一台だけ繋がらなくて別で通したのがあったでしょ」


 電話の向こうで、相手も思い出したようだった。

 礼を述べて向こうが通話を切る。よかった、思い出せて。思い出せなくてもまぁ私のせいではないのだが、後で問題が起きた時に怒られそうだし。


 こんな風に記憶というのは色んなもので連結されるから面白い。

 冒頭のCDのことも、何か別の方面からアプローチを掛ければ思い出せそうな気がするのだが、何となく黒歴史とかに触れそうな予感がするので、現状そのままにしている。思い出さない方が良い記憶というのは多々あるのだ。中学生のころのハンドルネームとか、メールアドレスとか。

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