58.灼熱ドームと真夏の饗宴

 数年前のお盆の時の話。実家の方は七月に盆が来るので、一般的なお盆休みよりも早い。理由は知らないが、多分農作業の影響などだろう。

 実家でごろごろしていたら、妹が何やらバッグに色々と詰め込んでいた。何処かに出かけるのかと思ったら、どうも内容がおかしい。派手なタオルにサイリウム。人の顔と名前がデコられたうちわまで入っている。何処に行くのかと尋ねたら、某アイドルグループのコンサートに行くらしい。実家から電車で少し行ったところにドームがあるのだが、そこのチケットが取れたと言っていた。

 アイドルなんて詳しくないし、あの大手事務所のアイドルグループの曲なんて数えるほどしかわからない。多分、カラオケで歌えと言われたら「氷が溶けて血に変わるまで」ぐらいしか歌えないと思う。


 荷物の中には、ハンディ扇風機やボトルに保管する冷やしたタオル、塩タブレットなども入っていた。部活に行く中学生みたいな装備である。


「こんなにどうするの?」

「ライブ行くの初めてだから、ネットで調べたらね、「そこのドームは超暑い」「ナメプしたら死ぬ」「熱中症対策は万全に」って書いてあったから」

「大変だね」


 そんな会話の後、妹はライブに出かけて行った。残された私は冷房の効いた部屋で快適に過ごしながらネットサーフィンを楽しんだ。何せ外に出ても何もない。ど田舎というわけではないが、娯楽がない。地元の友達というのも皆無なので、引きこもりが捗る。


 時は流れて、深夜十二時頃。妹が帰ってきた。さぞかし高揚していることだろうと思ったら、どうも様子がおかしい。不貞腐れたような表情をしている。冷房の効いている私の部屋に入ってきた妹は、大荷物を投げ出すと溜息を吐いた。


「どうしよう。XXが嫌いになったかもしれない」


 XXというのは妹の推しメンバである。床に落ちたうちわにでかでかと印刷された爽やかな笑みの青年のことに違いないが、私はそのグループをよく知らない。


「何でよ。席が悪かったとか?」

「席は良かったよ。目の前にメンバーが通る通路みたいなのがあって、そこを皆が歩いていくの。だからこそ嫌いになった」


 妹の話を聞くと、要するにこういうことだった。

 目の前を推しが通る素晴らしい席。周りにいるファン達も当然ながら、彼らが通る瞬間を今か今かと待ち構えていた。妹もドキドキしながらその瞬間を待っていた。

 そして、ついに通路の向こうから煌びやかな衣装を身にまとったアイドル達がやってきた。キャーキャーと上がる黄色い歓声。妹もそれに混じり、近づいてくる彼らを見つめる。十メートル、五メートル、二メートル。ついに妹の前をメンバ達が通過した。


「尻が通過したの」


 妹は悲しそうに言った。


「XXは私の前を通る時に反対側を向いていたから、尻しか見えなかったの!」


 万全の支度に万全の席。そこで見たのは推しの尻。妹はその瞬間にXXに対する気持ちが萎んだのを感じたと言う。


「そりゃ何万人もいるんだから仕方ないんじゃないの」

「そういうことじゃないの。そういう理性的な気持ちでファンやってないの」


 思い当たる節は数多くあるので、その意見には賛同せざるをえない。


「待ちわびた気持ちの前に尻があったんだよ。尻なの。私の好きなXXは尻だったの。尻が通って行ったの。だから嫌い」

「裏切られたとかそういう感情?」

「違う」


 ファン心理難しい。


「はぁ……ライブに行って嫌いになるとか思わなかった……。折角色々買い揃えたのに」


 大きな荷物を見ながら嘆く妹。私は妹の尻心理よりも気になることがあったので口を開いた。


「暑かった?」


 ナメプしたら死ぬとまでネットに書かれるドームの暑さを知りたかった。因みにその日の最高気温は三十五度。夜でも十分に暑い。


「いや、別に。確かに暑いけど、扇風機はいらなかったし、冷やしたタオルも使わなかった」


 予期した通りである。何故なら私も妹も高校まで公立だからだ。

 妹とは高校は違うが、どちらもドームに近い場所だった。小中は言うまでもなく同じである。そしていずれの学校にも冷房どころか扇風機もなかった。中学に至っては、真夏なのに二重窓で締め切りである。そんな環境ですくすく育った人間は、少しの暑さではビクともしない。


「とりあえず、風呂入って寝れば? 疲労により正常な判断ができなくなってるかもしれないし」

「そんなことある?」


 翌朝、妹はライブの戦利品を並べてテンション高く朝食を食べていた。


「やっぱりXXは尻も最高だよね。昨日は血迷ってたんだと思う」


 傷ついた朝には希望が生まれるのである。推しが嫌いになりそうな人は、一回寝てみることを推奨する。


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