56.ノーリターンカード

 某メガバンクにキャッシュカードを奪われた話。

 事の起こりは、2月28日の昼だった。良い天気だったので、隣駅まで歩いて、近くにある銭湯に入ろうと思い立った。不用意な思いつきは、しかし財布の中の残高のことを一切考えていなかった。試しに見てみたら千円しか入っていなかった。キャッシュレス化の波が銭湯まで及んでいるかどうか甚だ疑問だったため、隣駅の前にある支店のATMへと入った。

 不幸だったのはこの時、私の他に誰も客がいなかったこと、そしてそこのATMの画面は正常だったことである。キャッシュカードを入れて、暗証番号を入れて、引き落とす金額を入力して、確定した途端に画面が切り替わった。古臭いドット絵の行員が頭を下げて「このATMは使用できなくなりました」とかほざいている。どういうことだろう、と思っていると後から入ってきた人たちが次々に同じ状態になった。


 青い鳥のSNSを見ると、どうやら全国的に同じ状況が発生しているらしい。しかもよく見たら朝からである。だったら公式のホームページにその旨記載しとけよ、メガバンク。おかげで被害は拡大中である。

 ウンともスンとも言わないATMを前にして途方にくれる。備え付けの電話をいくら取っても、コールセンターには繋がらない。隣のATMを使っていたお姉さんは、知人らしき人に電話をして現状を説明している。待ち合わせ前にお金を下ろしにきたのだろう。その向こうのATMでは、お仕事中と思しき作業服の男性が頭を抱えていた。


 キャッシュカードが出てこないので、どうしたら良いかわからない。どうにかできないかとSNSをくるくるしていたら「紛失届のところに電話かけてカード止めればいいじゃん」みたいなことを書いている人がいた。申し上げたい。余程の奇才天才でもない限り、大体の人の思考回路は同じだし、一人が思いついたことはとっくに皆試している。私もその投稿を見る前に紛失届センターに電話を掛けたが、全く繋がらなかった。


 どうしようか、と困り果てながらも解決策を探すこと二時間。隣のお姉さんと協力しながら、新しく来る人たちに「ATM使えないですよ」と説明も欠かさなかった。中には「どうして?」「いつ復旧するの?」と聞いてくる人もいた。冷静になれ。一利用者にわかるわけがないだろう。


 お昼頃に出てきたので、お腹も空いた。別に他の銀行のカードもあるし、キャッシュレス出来る店を探せば良いので、金の有無が問題ではない。問題は「この飲み込まれたカードをどうしたら良いか」だ。放置している間に、勝手にシステムが復旧してカードを吐き出したりしたら困る。そういう懸念なのだが、どうやら疑問は解消されそうにない。


 色々考えた挙句、気がついた。

 もしカードが第三者の手に渡ったとしよう。だとしても今日それを使う猛者はいない。カードの番号がわかるものは何処にもない。未成年の時に作った口座とカードだから必要最低限の機能しかない。


 放っておいてもいいんじゃないか?


 そう思いついて、再び青い鳥SNSを開く。検索窓に「紛失 カード 取り込まれ」と打ち込むと、案の定奇跡的に紛失センターにつながった人の投稿が出てきた。やっててよかった、若い頃からのネット人生。こういう時のサーチ能力を褒めてあげたい。それを見ると、カードが自動で出てくることはなく、後日回収されて送付されるとのことだった。


 よし、と潔く諦めてATMを後にする。別にカードが悪用されなければいいのである。そんなことより銭湯だ。銭湯が私を呼んでいる。

 別の口座から金を引き落とし、それで無事に銭湯に入ることが出来た。大きいお風呂は素敵だ。キャッシュカードが出てこないことなど、割とどうでもよくなる。自分だけに起きた悲劇だったら嘆き悲しみ魂呼ばいの真似事などするが、仲間は日本中に溢れている。


 銭湯の帰りにもう一度ATMを覗くと、スーツ姿の男性がいた。支店の者だと言うので、カードの取り扱いについて話を聞こうとしたのだが、社員証も名刺も持っていなかった。怪しい。でも逆に詐欺ならもっとそれっぽくやると思う。私ならそうする。純粋にそこらへんの考慮が抜け落ちている若手なのだろう。そういうとこだぞ、メガバンク。


 翌々日、連絡を待っていても実家の方に送付されそうな気がしたので、電話を掛けてみた。支店の方に電話が回り、恐らく窓口になっている人が出た。支店まで取りに来てくれというので、行く日時を伝えておいた。

 当日赴くと、入口の所で窓口係の人が用件を尋ねてきた。


「28日にキャッシュカードがATMに取り込まれたので、受け取りに来ました」

「キャッシュカードですか? ATMに取り込まれたとはどういう……」


 そこは流石に察しよく行け。


「この時間に受け取りに伺うとXXさんにご連絡したのですが」

「XXでございますね。それで、ご用件は……?」


 メーガーバーンークー!!!


 その後無事にキャッシュカードは戻ってきて、粗品も貰った。ついでにあの日にいた行員らしい人について尋ねたら、間違いなくそこの行員ということだった。似た問い合わせがいくつもあったらしい。皆、警戒心強めで生きていて何よりである。


 とりあえず色々疲れた。口座をどうするかは、支払いが残っているクレカなども含めて考えることにする。

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