52.大人は偏見の塊
数ヶ月前のこと。
某病院で複数名と一緒に作業をしていた。一緒にといっても、それぞれ別のことをしているので協力しているわけではない。単に作業場所が同じなだけである。
テレワークが提唱されて久しいが、現場系の人間は完全テレワークなんて出来るはずがない。病院のシステムに家の無線でリモート出来たら大事件だ。
一応最小限の訪問回数にはしているのだが、こういう時に互いの作業が被ることも珍しくなく、結局作業場所に人が集まってしまう。
「Bさんは今日は何の作業ですか?」
ふと話しかけると、私の背面で作業をしていたBさんが振り向いた。
「マスタの調整。古いマスタと新しいマスタでコード合わせないといけないからね」
「部下の若手ちゃんは?」
「あの子なら、下のフロアで各端末間の通信設定を確認してるよ」
「じゃあ今日って来てないのプロマネだけですかね」
人数を確認してからそう尋ねると、Bさんは「あれ?」と隣にいたDさんに話しかけた。
「プロマネ来るのー?」
「来るって言ってたよ。何するのかは知らないけど」
現場の空気はいつもドライである。ただ、雑談みたいな会話が発生している分、仲はいいチームだと思う。案件ごとにチーム編成が変わるので、場合によってはギスギスした空気に満たされたまま終わることもあるし、終始ふざけた会話を繰り返しながら進むこともある。
今回はあまり馴染みのない組み合わせだったが、存外うまく行っていた。
ある一点を除いて。
「……遅くない?」
Dさんが切り出したのは、それから数時間後のことだった。
時刻は既に午後の五時。私はそろそろ引き揚げようとしていた。因みに朝は十時から来ていて昼はちゃんと一時間休んで、そのうえ二回もタバコを吸いに行っているので、多分正味六時間ぐらいしか仕事していない。でもやることが終わっているので問題はないのである。
「何がですか?」
「若手ちゃん。端末の確認だけでそんなに時間かからないでしょ」
確認台数は二十五台。どんなにマイペースな人間でも二時間あれば終わるボリュームである。Dさんは首を傾げながら呟くように言った。
「もしかして、帰ったとか?」
「え、確認だけして報告なしで帰ったってことですか?」
まさか、と私が言いそうになるとBさんが半笑いで口を挟んだ。
「あり得る。若い子だもの」
「若手だったら余計に、作業終わったら連絡しません? ちゃんと出来たか不安ですもん」
「今の若い子はそうなんだよ。指示されることが悪だと思ってるから」
若いから云々でまとめるのはどうかと思うが、しかしそういう理由でもつけなければ、若手ちゃん自身の素養の問題に帰結する。何しろ似たようなことをしたのは、今回で三回目らしい。多分「若いから」と言うのはBさんなりのフォローなのだろう。
「彼女、理系? 文系?」
Dさんが何となく興味を持ったのか、そんな問いを発した。
「文系だって言ってたよ」
「へぇ……。文系ってそうなのかな」
文系理系で区分するのもどうかと思う。
「私、文系ですよ」
「あれ、そうなんだ。確かに淡島さん、敬語とかはしっかりしてるよね」
敬語が使えるかどうかは文系理系に全く関係ない。
この年で使えなかったら大したポンコツである。
「というか、マジで帰ったんですかね」
「帰ったかもねぇ……明日それとなく指摘しなきゃ」
「叱らないんですね」
「あの子、遅刻咎めたら泣いたんだもん。叱ったらパワハラで訴えられそう」
大変だなぁ、と思いながらパソコンの電源を落とす。荷物をまとめながら、今のいままで忘れていたことを思い出して口を開いた。
「あれ、そういえばプロマネも来てないですね」
「あー、来ないんじゃない?」
Bさんは興味もなさそうに言いながら、複数開いていたエディタを落としていく。どうにもこの現場は他人の行動に興味が薄い。
「プロマネ、一回ぐらいしか来てないじゃないですか。前も来るって言ったのにドタキャンしたし」
するとBさんは優しく諭すように言った。
「大人には、大人の事情があるんだよ」
「子供に言うみたいな口調やめてくださいよ」
「かりすちゃんには、そうしたくなるんだよね。世の中知らなそうな雰囲気があるんだもの」
大人の世界は偏見に満ちている。
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