39.叶うはずない願いをしてる
イヤホンが壊れて絶不調である。音楽を耳孔に垂れ流すのが好きなので、外出の際にはいつもイヤホンを持っているのだが、六年使ったワイヤレスは昨日遂に天に召された。作業のために某病院に向かう途中で「ガジュグビ」みたいな音を立てたきり、何も聞こえなくなった。悲しい。
ノーミュージックノーライフな生活をしているので、早急に新しいイヤホンが必要だ。いや、嘘をついた。「電車の中では音楽を聴いていたい派」というだけである。何れにせよ必要なことには変わりない。
壊れてしまったイヤホンをスーツのポケットに捻じ込んで、渋々と作業場へ向かった。待ち合わせの時間にはまだ少し余裕があるので、ワイヤレスイヤホンで良いものが無いか検索することにした。六年の間、私のイヤホンに関する知識は止まっている。エア何とかにしたって、最近は耳に何か挿している人がいますね、程度だ。あれは落ちやすいだろうなと思う。
どれがいいかなーとサイトを見ていたら、いつの間にか待ち合わせの時間が過ぎていた。相手はまだ来ない。特に驚くことでもない。何かのトラブルで遅くなったりすることは、よくあることである。
デザイン重視で行くか、性能重視で行くか考えながらイヤホンの選別を続けていたのだが、段々と不安になってきた。遅れることはよくあることだが、連絡が無いというのは滅多にない。私が手にした携帯は、静かな沈黙を保っている。
意を決して電話を掛けてみた。繋がらない。アナウンス的に地下にいるようだ。でも此処に来るまでの道のりに地下鉄はない。電波が特別悪い場所もない。何かあったのだろうかと思っているうちに、時間はどんどん過ぎていって、無意味に勤務時間が消費されていく。流石に遅すぎると思ったところで、電話が折り返された。
「今どこですか?」
「え? 茨城だけど」
「じゃあ今日の作業は?」
「なんの話?」
今日って指定しただろうが。
それに間に合うようにデータ整形しとけって言っただろうが。
そんな感情をオブラートに込めて伝える。オブラートは安物なので破れた。中身がボロボロと零れ落ちる。
「お客様にも、今日で作業完了しますって連絡してるでしょう?」
「えー。じゃあ一人でやってよ」
「会社の規約的にダブルチェック必須なのに? 書類改竄には手を貸しませんよ」
作業報告書に書く必要があるのでそう告げる。私は清く正しく健やかに酒浸り生活を送りたいので不正には手を貸さない。
電話の向こうで相手は尚も「今日だっけー」と言っている。今日だよ。紛れもなく今日。そもそも貴方が「この日なら暇だからいいよ」と言ったのに、なぜ覚えていない。というか暇ならずっと暇でいろ。茨城に行くな。
「では今日は仕事をしないということで帰ります」
言外に憤りを込めて告げると、相手は謝罪しながら電話を切った。私だって怒るときは怒る。
作業を切り上げて外に出た。こういう日こそ音楽が必要なのに、スーツの中のイヤホンは死んだままだ。人生上手くいかないなぁ、と矮小な絶望を抱えたまま駅へと向かう。イヤホンが生きていたら可能な限りの大音量で『ILLUSION CITY』とか流して、コルト・パイソンを撃つ妄想に浸ることだろう。
駅の改札を通ろうとした時に、再び電話がかかって来た。
「仕切り直しで、来週の水曜日にしておいたから」
「そこは行けないって、前に日程決める時に言いましたよ」
「あれ、そうだっけ」
「今お使いのスマートフォン、便利な機能がたくさんあるから使ったほうがいいですよ」
通話終了。改札を早足で抜けながら携帯電話の電源を切る。定時は過ぎたのでもう電話は受け付けない。ノー残業・ノー電話。これが正しい社会人の姿である。
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