37.通勤鞄が壊れた場合

 実家に帰ったら母親に「これ畑で取れた茗荷と、親戚からもらったブドウと、クローゼットにあったヴィトンのバッグよ」と物を押し付けられた。ブランド物のバッグって、そんな気軽に人にあげる物なのだろうか。まぁ大きさは好みだったので貰っておいた。

 ブランド物の良さがわからぬ愚物なので、ブランドのバッグや服は持たない。

前はプラダのバッグを持っていたが、何かの拍子に捨ててしまった。それも母親が買って放ったらかしにしていたものである。捨てなきゃよかったな、と最近になって思った。ブランド物が惜しくなったわけではない。仕事用のバッグが崩壊したからである。


 崩壊は突然起きた。四年前に二万五千円で買ったトートバッグは、全国津々浦々引きずり回したせいか、かなり草臥れていた。

 持ち手の部分がボロボロで、そろそろ何がしかの手を打たないといけないと思っていたが、何となくそのまま使い続けた。ボールペンなら仕事中に幾度となく使うので意識もそれなりに向くが、通勤用のバッグは朝と夕方ぐらいにしか使わないので忘れがちだ。


 そんなある日のこと、耳に捩込んだイヤホンから流れる古い流行歌を聴きながら歩いていたら、急に左肩が軽くなった。続けて足元に鈍痛が走った。視線を下に向けると、肩に担いでいたトートバッグが落ちていた。何でだろう、と身を屈めたら肩に引っかかっていた持ち手の残骸がポトリと地面に伏した。

 どうやらボロボロのまま使っていた結果、限界を迎えて持ち手が引きちぎれたらしい。拾い上げると、想像以上にボロボロだった。バッグとの結合面は指で触れると乾いた泥みたいに崩れていった。耳の中ではいまだにシャウトが続いている。愛しているからと言って甘えてはいけない。


 とりあえずバッグ本体を拾い上げた。中にパソコンを入れてなくてよかったと思いつつも、バッグそのものが大きいので抱えるにもコツがいる。両手で体に押さえ込むように持つしかないのだが、その状態を維持するのは結構疲れる。お陰で目的地の病院についた時にはいつもより少し疲労していた。


 こうなったらバッグを買い換えるしかないのだが、問題は帰路である。この半壊したバッグを家まで運ぶ手段を考えなければならない。さっきは目的地までわずか数百メートルだったから良いが、帰りは四倍くらいの時間がかかる。どうにかして楽をしたい。人間、楽をするためなら努力は惜しまない生き物である。

 千切れた持ち手は先述の通り、もはや使い物にならない。近くのゴミ箱に捨てた。持ち手がついていた金具の部分は半円状のパーツなので、持ち手の代理品があれば良いかもしれない。しかし普通に生きていて、通勤用のバッグの中に「替えの靴下」は入れても「替えの持ち手」は入れないだろう。そう思いながらバッグの中を漁ると、折り畳み傘とハンカチと防災シェラフとドライバー一式が出てきた。替えの持ち手はないが、防災シェラフは常備している。

 このラインナップだとハンカチぐらいしか使えそうにないが、素材がペラペラしているので二次災害待ったなし。こんなことなら手拭いでも常備しておけばよかったと若干狂ったことを考えながら、一度コンビニに行くことにした。水分補給は大事である。


 コンビニに入ると、簡単な装飾具が売っているコーナーがあった。ハンカチやマスク、ネクタイ、帽子などが並んでいる。病院の中にあるコンビニなので、普通とは少し違う品揃えになっている。何となく眺めていると、その中に素晴らしいものを見つけた。革製のベルトである。これは天の恵みとばかりにレジまで持っていった。

 作業室に珈琲とベルトを持ち帰ると、早速小細工を開始した。バッグの金具は対角線上に二つ存在するので、そのどちらにもベルトの剣先を通す。細いベルトだが金具の中にそのまま通すのは無理だったので、ぎゅううと丸めて押し込んだ。通し終わればあとは簡単。ベルトの金具を止めるだけである。少々見た目は不格好だが、持ち手としては十分に機能するものが誕生した。ありがとう、コンビニ。ありがとう、ベルト。君もこんなことのために製造されたんじゃないだろうけど、これも数奇な運命と思ってくれ。

 画してその日は、ベルトでバッグをぶら下げる不審者となりながら、家まで無事にたどり着くことが出来た。


 そんなわけで新しいバッグを買わなければならない。しかし、どうにも良いものが見つからない。持ち手の強度を気にしすぎてしまって、自分の中でゴーサインが出ないのである。

 早いところ見つけないと、会社で「バッグを男物のベルトで吊るしている社員」のレッテルが貼られてしまう。それは困る。淡島かりすは静かに暮らしたい。とりあえずトートバッグは止めて、バックパックにしようと思う。

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