32.貴方と私は友達じゃないけど

 元ネタが分からないと、なんだか冷たい題名である。かといって元ネタを言ったところで通じる人は半数に満たないと思うので、そのまま続ける。大体そんな感じ。


 仕事で千葉の方に呼び出された。微妙に距離が遠いのでいつもなら渋々行くところだが、最近はコロナ禍で外出することが減っているので純粋に遠出は嬉しい。

 電車を乗り継いで現地に行く。待ち合わせ場所に向かうと、呼び出したマネージャーと新人らしい女性がいて、何か話していた。


「そろそろ来るはずなんだけどね。かりすちゃんに会ったことある?」

「いえ、ないです」


 私のことを名前で呼ぶマネージャクラスは何人かいる。勿論きちんとした場では名字呼びだが、軽く話に出すときは名前を使うことが多い。単純に名字よりも名前のほうが言いやすいらしい。

 お待たせしましたー、と合流すると挨拶もそこそこに病院へと移動した。今日の作業は「サーバ室でひたすらデータ整形」なので、あまり会話が発生する余地はない。本来なら。しかし、新人にはそれでも少々荷が重い。

 作業を始めてしばらくすると、新人は困った声を上げた。


「すみません、マネージャー。こういうエラーが出て」

「えー、何これ。見たことないな。かりすちゃんわかる?」


 速攻で丸投げされた。

 横から彼女の操作している端末を覗き見ると、確かにエラーが出ている。原因はすぐに分かったので、横からキーボードを借りて片付けた。マネージャは「さっすがー」と言いながらスマホでパズルゲームしていた。仕事してください。


「やっぱりこういうのは得意な人がやらないとね」

「マネージャが指導すべきでしょ」

「違うよ。彼女は僕の受け持ちじゃなくて、Gさんとこの子だよ」


 比較的仲の良い人の名前が出てきた。この人は基本的には厳しいのだが、私とは仕事が被ることがないためか優しい。多分一緒に仕事をしていたら、今のような「かりすちゃんにお願いがあるんだけど」というテンションではなく「淡島、これやっといて」ぐらいになるだろう。適度な距離というのは大事なのである。

 新人の手助けなどしつつ、自分の作業も並行して行う。集合時間が少し遅めだったので、作業を終える頃にはそろそろ定時に近づいていた。

 病院を出て、駅へと向かう。この辺りでは一番大きな駅なので、通っている路線も多い。マネージャとは別方向なので改札を抜けたところで別れたが、新人はどうやら同じ方面のようだった。

 数十メートルに満たない距離を、少し気まずい沈黙と共に歩く。ホームに降りるためのエスカレータが見えたところで、新人が意を決したように口を開いた。


「あの、かりすさんはどちらの電車ですか?」


 「かりすさん」?

 なんで下の名前で呼んだんだ、この子。フレンドリーが天元突破してるのか。

 湧き上がった疑問は、次の瞬間に瓦解する。


 この子、私の名字が「かりす」だと思ってる。


 マネージャもGさんも、私のことを下の名前で呼ぶ。そして私は今日出会ってから一度しか彼女に対して名乗っていない。そのあとは名前で呼ばれて、それにちゃんと応答していた。

 だから彼女は良かれと思って、私の名前を覚えようとして、下の名前のほうを名字だと思い込んだのだろう。違うんだ、新人。確かにちょっと名前としては流通していない語感だが、それは私のファーストネームなんだ。

 そう訂正したいのだが、この数時間で彼女が非常に慎み深く、真面目な性格だということはわかっている。訂正したら、きっと謝りまくることが目に見えている。それは可哀想だし、申し訳ない。


「……私はB線ですね」


 結局訂正はしなかった。新人はA線の方に乗って消えていった。

 どこかでひっそり修正されることを願おう。別に私は名前呼びでも気にしない質なのだが、それは名前だと認識されていることが前提であって、名字だと思われたままだと少し座りが悪い。次に会うまでに修正されていてくれれば、こちらも忘れた振りができるので、どうかGさんあたりが気付いて欲しい。

 そんなことを思いながら、ホームに来た電車へと乗る。

 あの新人って、名前なんだっけ。そう思いながら。

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