2.不動明王の目を突いた

 不動明王の刺青を入れていた奴がバイト仲間にいた。

 入れていたというか、入れている最中だった。毎月一度か二度彫りに行っては、そのままバイト先に来るような奴だった。まぁあれは針でざくざく入れるものなので、当然ながら痛いし血も出る。しかも乾燥してはいけないとかで、スタッフルームで上半身裸になっては、乳液を体に擦り込んでいた。そこまでして入れたいものなんだろうかと思ったが、人それぞれの好みなので放っておいた。


 ある日、そいつが申し訳なさそうに私に乳液のボトルを差し出してきた。何かと思えば、背中に塗って欲しいと言う。肩から背中に掛けて彫ったばかりで、腕が上がらないとのことだった。

 暇だったので珈琲とコーラで安請負いし、乳液片手にそいつの背面に立った。ボトルのキャップを開けた時に、そいつが何やら楽しそうに口を開いた。


「淡島さん、運が良いですね。俺がゴルゴだったら死んでますよ」


 皮を剥がされたいのか?

 お前、東郷じゃなくて伊藤だろ、と思いつつも乳液を背中に垂らす。彫りかけの不動明王がこちらを見ていたので、「お肌に優しい素材で出来た乳液」を塗り込んでやった。


「結構形になってきたでしょ? これ彫り終われば俺も夢に一歩前進ですよ」

「何の夢?」

「海賊王です。故郷に錦を飾りたいと思って」


 犯罪行為で錦飾ってどうするんだ。そもそもお前は長野出身だろうが。海ないぞ。

 呆れている私のことを、相手は超前向きに解釈して「だからといって畏まらなくていいですよ」とか言い出す。もう本当に辞めて欲しいな、と思いつつ更に乳液を掛けた。


「ほら、俺って鬼の化身じゃないですか」

「そうだっけ」

「生まれながらにして鬼を背負ってしまったんですよね」


 不動明王は大日如来の化身だったと思うが、鬼を封印したということで良いのだろうか。

 同い年の野郎の夢みがちなストーリーを聴きながら、バレないように欠伸をする。大体私はこの手の「俺は凄いんだぜ」話が嫌いである。


「で、鬼を背負いし海賊王さんは一人で乳液塗れないと」


 そう言うと、流石にそいつは恥ずかしそうにしたが、ものの数秒で立ち直ると首を左右に振った。


「本当は俺だって、美人な姉ちゃんを左右に侍らせながらスーパー高い乳液を塗ってもらいたいですけど、我慢してるんですよ!」


 中々に度胸のある奴だ。

 ディスカウントショップで叩き売られていたと思しき乳液のボトルを逆手に持ち、口の部分で不動明王の右目を突いてやった。画竜点睛だ、感謝しろ。


 それから数年後、そいつは横領の罪でクビになった。

 恐らくこれから死ぬまで、不動明王の目を突くなんてことは出来ないと思うので、その点だけは感謝する。

 

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