第7話 美味しいひと

 長時間の空腹と安堵で緊張感が抜けたのだろうか、由良は突然めまいを起こしてしまった。

 セイラがすぐに簡単な食事を用意する。ソファに寝かされてから、かいがいしく世話をする親友がやけに嬉しそうで、由良は思わずその理由を問う。

「だって、由良があたしの前で弱いところ見せたのはじめてだから。介抱してもらったことは多いけど、して上げたことはなかったし。だから楽しいのよ。」

 いつもとは逆転した立場であることが珍しく、また嬉しくて仕方ないらしい美夜子の顔をのんびり眺めながら、なんだかちょっと照れくさいような気分で身を起こした。その必要はないけれども、親友に手を貸してもらいながら。

「お待たせ。先ずはスープからね。」

 香ばしいコンソメの匂いと共にスープ皿がやってきた。

「セイラの料理はとても美味しいわよ。はい、あーん。」

 それだけは勘弁してくれ、と訴えながら由良はそれでも口を開く。

 美しい金髪の青年。少しの訛りも感じられない流暢な日本語。由良を警察署から救い出してくれた人だった。何とも風変わりな人物だ。

 秀も流河もかつての知り合いによく似ているために、違和感を覚えないが彼にだけはどうしても注目してしまう。黒いエプロンをかけて包丁を握る彼は、何者なのだろう。彼が煎れるお茶は今まで飲んだどの飲み物より美味しかった。

「気になる?由良」

「え、ああ、そうだね。変わった人だね。」

「美形だよねえ、すごく。しかもいっちばん優しいんだよ。あの人。」

「確かに」

 二人の兄弟はすでに暴力をふるっているので、初対面から正義の味方だった金髪の青年は一際優しく思える。

 再び彼が香ばしい焼き立てのパンとバターをのせた皿を持ってきた。

「どう、おいしいかい?」

「とても。」

 皿を受け取って、すぐにかぶりつく。なんとも言えずうまかった。

 その顔を嬉しそうにしばらく眺めてから、セイラは腕を組んでちょっと考え込んだ。

「美夜子ちゃんはちょうどサイズの合う服があったんだけど、由良ちゃんは少し大きいねえ。そうでなくてもここには女物が少ないし…随分汚れてしまったようだから、クリーニングした方がいいんだけど。」

「由良はグラマーだからね。」

「単に筋肉質なの。鍛え方が違うよ。」

 むきっと上腕を見せて筋肉をアピールする親友に、ハイハイ、と呆れたような返事をする美夜子は、既に着替え済みだった。

「男物じゃ、大きいでしょ?」

 セイラの問いに、由良は簡潔に答える。

「大きくてもなんでもかまわないです。」

 着られればなんでもいいのだ、という理屈がすぐに伝わるような口調で彼女が言うと、また美夜子がそれをからかいはじめる。

 ドアの開く音がしたので、そちらに目をむけると、

「あ、秀…」

 セイラが呟いて道を開ける。

「どうしたの、それ。」

 何の表情も見当たらない、切れそうなほど整った顔が手に持った衣類の方を向いた。それを、ソファでじゃれあう二人の上に落とす。

「良ければ、着るといい。」

 そっけなく言って、窓際へ背をもたせかけ、視線を由良の方へ注いだ。

 衣類に目を落とすと、どうやら彼のものらしい。しかも新品と思われるほど綺麗だった。

「…秀、さん、細いから私着られなかったりして。」

 苦笑混じりに由良が言うと、そっとセイラが傍によってきて、

「殴ったお詫びのつもりなんだよ。きっと。着て上げて。」

 小さな声でそう告げる。

 由良と美夜子が顔を見合わせた。

 窓辺でふてぶてしくこちらを見ている顔付きは、どう見てもそんな殊勝さを感じさせないのだが。

 仕方ないなあ、とでもいいたげな表情で美夜子が立ち上がり、由良を促す。

「ちょっと、隣りを借りて着てみよっか」

「あ、うん。」

 衣類を手に持って、二人が出て行くとセイラがにっこりと笑った。

「秀、ありがとう。」

「お前に礼を言われる覚えはない。」

 無愛想にそれだけ言うと、窓の外へ顔を向けた。黒ずくめの青年は、照れているのかもしれない。不器用な秀の思いやりは中々目に出来ないが、今日はその貴重な一日らしい。

 セイラはそんな彼に優しく声をかける。

「コーヒーいれるけど、飲むかい?」

「ああ」

 カウンターの向こうに流し台が見えて、そこでのんびりとカップを探すセイラが時折他愛ないことを語り掛け、秀はそれについて言葉少なく答えていた。

 ブラックの熱いコーヒーが運ばれてくると同時に、二人の少女が戻ってきた。

「ああ、良く似合ってるね。ぴったりじゃない。」

 優しい声でセイラがすぐに誉めた。

 コバルトブルーの綿シャツとクリーム色のパンツを着た由良が、軽く頭を掻いた。美夜子が傍らに寄り添うようにくっついている。見ようによっては初々しいカップルのようだった。

「そうでもないです。やっぱり、手足は長いですね。」

 裾と袖を少し捲っているが、それも御愛敬だ。

 男性としてはやや細身の秀の服が、少女としてはしっかりした体型の由良の体に適合したのかもしれない。サイズはともかく、中性的な服装が由良には良く似合っている。スカートよりも高い身長をすらりと見せるパンツ姿の方が彼女の印象にぴったりだった。

「当座は、それで我慢しろ。」

 コーヒーのカップを薄い唇につけながら、感情のこもらぬ声で秀が言った。

「制服は僕が預かってクリーニングするよ。」

 金髪の青年が美夜子から制服を受け取る。

「食事は済んだのか?」

 中断させた本人が、由良に問うと、

「あ、はい。凄く美味しかった。」

 由良の正直な感想を聞いてセイラがにっこりと笑い返した。

「三階に来い。刀麻とうまが戻ってきたから傷の手当てをしてもらえ。痛みはないらしいが、念のため診て貰ったほうが良かろう。」

 怪我を増やした張本人に言われたくないが、由良はここも正直に答えた。

「…まだ結構痛いですよ。」

「早くいけ。」

 セイラが険悪な雰囲気になりそうな二人に割って入る。

「由良ちゃん、先に刀麻のところへ行ってきて。僕の手当てはあくまで素人仕事だから、早く専門家に見てもらったほうがいいよ。」

 さっきまで彼がいたキッチンからロールキャベツの香りがする。それも食べたい、と思ってなんとなくその場を去れずにいた由良は仕方なく動き出した。

「刀麻さんはね、千沙にそっくりだったよ。なんだかおかしいね。そのうちクラスメートが全員現れそうだよ。」

 親友の腕をひいて美夜子がそう、教えてくれた。美夜子の検査は、その人がすでに終えてくれているようだ。


 美夜子に案内されて三階の突き当たりへ足を向ける。親友がノックをすると、

「どうぞ。開いているよ。」

と、陽気な声が返って来た。

「失礼しま~す。由良を連れてきました刀麻さん。怪我をしてるみたいだから診てやってくれますか?」

のんびりと内側へ開くドアを開くと、正面に小柄な青年が背を向けて座っているのがみえた。書き物をしているのかこちらを見向きもせず、

「そこの椅子に座ってちょっと待っててくれる?」

と、少年のように高音の、愛想のいい声を発する。どんな顔で性格なのか、ちょっと想像も付かないタイプな気がした。

 だが、あのつんつんと尖ったほとんど真茶色の頭はどうしたことだろう。まるで、コントで爆発後のメークをしたような、凄まじいヘアスタイルである。

 迷わずパンクロッカーな青年を想像した由良の予想を裏切り、間伸びした声が聞こえ、それに美夜子が返事を返す。にこやかにパイプ椅子へと足を向ける親友に従って、由良は腰掛けながら部屋の中をぼんやり物色した。

 出入り口のドアから正面奥に大きな窓があり、そこから昼間は陽射しが差し込むのだろう。その窓のすぐ下に刀麻と呼ばれる青年は机に向かっている。由良と美夜子はドア脇に置かれたパイプ椅子にちんまり座り、左右どちらの空間も白いカーテンで仕切られ、恐らく診察用のベッドやら機材やらがあるのだろうと推測した。

 ラフに着たオレンジのシャツと、迷彩柄のズボンの上に白衣をはおった青年がくるりと椅子を滑らしてこちらを向く。

「待たせて御免よ。とりあえずはじめまして。安西刀麻あんざいとうまと言います。流河や秀にはもう会ったんだよね。俺は奴らの弟だ。職業はご覧の通り医師。専門は外科だ。」

 パンクなヘアスタイルに似合わず、大きくて分厚い眼鏡をかけた小柄な青年は、ゆっくりと立ち上がり握手を求めるように右手を差し出しながら歩み寄ってくる。慌てて由良は立ち上がりそれに応じるように自己紹介した。ペンダコだらけの手と握手すると、思わず苦笑をもらしてしまう。彼の身長は由良とほとんど変わらなかった。

「随分あちこち傷だらけの戦士だねぇ。はい、軽くでいいから口開けてー」

 ガーゼやら包帯やらバンソーコーやらで武装した由良をみて眉毛を動かすと、立ったまま彼は診断をはじめた。

「はい、じゃ、今度は後ろ向いてー」

 後頭部の傷を見るために後ろを向かせて巻いてある包帯をはずす。陽気でやさしい対応に、小児科医を彷彿させた。

 美夜子はにこにこと笑って座ったまま見守っている。

 由良も外見は奇抜だが、愛想のいい若い青年医師に好印象を持った。

「あれれ、こっちは随分ひどいな。痛かっただろう?」

 眼鏡を直しながら刀麻が眉をひそめた。後頭部の裂傷は医師の目から診てもひどいものらしい。

 青年医師の言葉に不安になったのか、由良が思わず振り返ると同時に親友も立ち上がった。赤黒く変色した血の跡が残る首筋と包帯を交互に見ると、美夜子の顔が青くなる。

「今はもうそんなでもないですが、しばらくはとても痛かったです。」

「そうだろうね。下手すると跡になっちゃうかもしれないよ。一回きちんと開かないと駄目だねこれは。」

 立ち尽くす患者を尻目に、刀麻は机に戻り見た事もないようなペンで何事かを書き付けた。カルテを作っているのだろうか。

 自分の目からは見えないので親友の顔色から傷の様子を想像すると、さすがの由良も不安になった。


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